第4章 歌姫は一人 奏者は何を思う?

第25話 視察




 ひりつく緊張感が肌に刺さる。

 しんと静まる静寂がさらに緊張感を増し、構えた弓がブレそうになるのをどうにか抑え、呼吸を整えていく。

 直後、指揮棒が振り下ろされ、それに合わせて弓を引いた。


 出だしは順調。

 目立つミスも無く、弦楽器と管楽器、打楽器の音色が交じり合って室内に響き渡る。


 ここは今までもミスすることなく出来ていた。

 楽し気な音楽が気分を高揚させ、弾む音律が聴くものを笑顔にさせるだろう。


 だが、ここからだ。

 音色が沈み、暗いものに変わる。

 沈んで、沈んで、沈んでいって。

 やがて先頭に座る三人の音が変わり、全体から外れて光を照らしていった。


 いままでの失敗が脳裏によぎり、鼓動を高く跳ねさせる。

 しかし、それでもアルは自分がミスを犯すとは考えなかった。


 それは、演奏をしているアルたちの正面。椅子に座って演奏を聞いている一人の少女の存在のおかげだ。

 ほどなくして先日までミスを重ねていた部分を安定して弾ききり、演奏はその先へ。


 重く、深い旋律を留めて、アル達の演奏は微かな光を潰えさせる。

 どん底の地獄。不安を煽り、危機感を逆なでさせる調べが室内に満ちて。

 それは、奏者の姿勢も同様だ。英雄を示していた三人は演奏を止めて顔を落とし、演奏を続けているアル達も指揮が見えるギリギリまで顔を俯けさせて暗さを表現していく。


 そして地獄の終焉。

 完全に演奏が止まり、しんと静まり返る室内。


 演奏の終了——それを察してしまうほどの長く設けられた空白の時間を越えて、先頭の三人が演奏を再開させた。

 最初は弱弱しく、でも少しずつ強くなっていって。

 徐々に彼らに釣られるようにして、アルたちは前に座っている者たちから演奏に参加していく。

 そうして取り戻したのが——平穏の再来だ。


 不安を煽るような音とはうって変わり、落ち着くような音の調べ。

 こうして、旧ハイゼングルドの街を模した演奏は幕を閉じて——


「すばらしい!」


 パチパチと。

 楽器を構えたまま余韻を感じていると、一人の拍手が響き渡った。

 拍手をしていたのは貴族服を着た男性——フリント様だ。彼は興奮冷めやらぬといった様子で座っている席から腰を上げる。


「練習があまりうまく進んでいないと聞いていたが杞憂だったみたいだね。本当に君たちに依頼して良かったと思っているよ」


 終始笑顔のフリント様に団員たちも安心したようだ。

 胸を撫で下ろしたり、あからさまに息を吐き出したりしていた。


「まあ、僕の指導が良かったからだね」


「うるさい、この色狂い。フェルド君は何もしてないでしょ」


「いや、フィー……お前の方が——」


「ごほん……!」


 トップの三人が軽口を交わしている最中、響き渡る咳払い。

 すると、すぐに三人が口を閉じて姿勢も正す。


「今日は良い演奏だった……が、まだ荒の目立つ場所もある。今後はそれを洗練させていくとともに、良い面は良い面でさらに磨いていくように。それとフェルド」


「なんでしょう?」


「公演も近い。女性と会うのは自由だが、お前はクイントン音楽団の看板の一人だということも忘れないように」


 肩をすくめるフィルド。

 その仕草一つ一つが芝居めいていて聞いているのか怪しいものだが、それを気にせず団長は続ける。


「それとまだ調整中ではあるが……今回、曲の終盤を少し変えることにした。皆も予想はしていたと思うが、アリア嬢の独唱を組み込み、この街の発展を象徴する演奏に変えようと思う。練習時間は少ないかもしれないが、頭に入れておいてくれ」


 全員の視線がフリント様の隣に座っていたアリアに集中した。

 仮の団員となった彼女は演奏することは出来ない。しかし、団員となった以上はクイントン音楽団の演奏を知ってもらう必要がある。

 そのための措置として演奏を聴いてもらっていたわけだが、団長の意図としてはそれ以上のものが有ったらしい。


「この街の悲劇については皆聞いたと思う。ならば、この街の復興を掲げるのは、この街で生きてきた者がふさわしい……これはすでにディフリント殿にも確認をとり、承認されている」


「素晴らしい考えだったからね。負担になるかもしれないとは思ったが、ガルズ殿率いるクイントン音楽団であれば必ずや成功させてくれると期待しているよ」


「そういうことだ。ディフリント殿はこれで視察を終了するが、皆は彼がいなくとも気を抜かず練習に励んでほしい……以上だ」


 礼を取るフリント様に、慌てて団員たちが礼を返す。

 もちろんアルも同様に頭を下げていたわけだが、不意に養父の呼び声が届いた。


「それとアル。練習が終わった後に団長室に来るように」


「はい」


「では、失礼するよ」


 フリント様、アリア、次いで団長の順番で部屋を後にする。

 演奏の終わりのように静まり返った室内で、最初に声を上げたのはアルの前に座る男だった。


「ふぅ、まさか僕の演奏がレインネス卿をも魅了してしまうとは……全く恐ろしい」


「なに言ってるんですか……フィルドさんは女遊びに耽ってたでしょう」


「おお、アルまでそんなこと言うのかい? これは、今日にでもティルナ君に慰めてもらわないといけないかな?」


 チラリと、フィルドの碧眼が小さな少女へと向く。

 あきらかに冗談を言っている顔だ。


「あの内臓を抉るようなパンチを貰う覚悟があるならどうぞ」


「それは怖い……なら、君はそのパンチを貰ったのかな?」


「そりゃあ何発も……あれ、痛いんですよ」


「ふーん」


 思わしげな顔のフィルド。

 彼はもう一度だけティルナの方を見て。


「……これは、本当にお祝いをしないといけないかな?」


「は? なんで……?」


 アルはフィルドの言葉に首を傾げてしまう。


 ……なんで殴られるのがお祝いに繋がるんだ?


 自分アルはそんな特殊な性癖を持ってはいないし、そんな噂を万が一でも広げられてしまうと迷惑だ。


「意味が——」


「よし! 練習を再開しようか! みんな構えてくれたまえ!」


「っ……あとで教えてくださいよ」


 楽器を構える。

 結局、その理由をフィルドが教えてくれることは無かった。

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