第24話 一人はみんなになって




「アル、まだ寝てるのか」


「……ああ?」


 前にもあったような物音に、アルは意識を少しだけ浮上させた。

 しかし、その意識もすぐに沈んでいきそうになる。


「ティルナ先輩に君を起こしてくるように言われたんだ! 早く出てきてくれ!」


「もう少し……」


 昨日はあの森で夜空を見ていて、それからあの少女——アリアが来て。

 彼女と演奏をすることで妙に頭がすっきりとしてしまい、どうにも眠れなかったのだ。


 そのせいか、ガンガンと響いている扉の叩く音が子守歌のように聞こえてきてしまう。

 かろうじて開いていた瞼が上下に動き、その均衡が下へと傾いていった。


「ああもう、開けるぞ!」


 ノブが回る音がして、すぐに扉の開く音がする。


「やっぱり寝てたのか……起きてくれ!」


「…………ああ、なんだよ……」


「まずは布団から出てくれ」


 どうにも、何かがあったらしい。

 布団から顔を覗かせて時計を確認すると練習時間までは余裕があった。時間的には食堂で料理が提供され始める時間だろう。


「まだ早いじゃないか……寝不足なんだ」


「おい、布団をかぶるな!」


「面倒くさいな……」


「面倒って……君な……! いい加減にしてくれ、あの子が食堂に来てるんだ」


「っ!?」


 瞬間、アルの意識が覚醒した。

 布団を跳ねのけ、飛び上がるとすぐに着替えて——


「……いったいどうしたんだ?」


 アルは自室を飛び出した。




 食堂にたどり着くと、すでに中は異様な雰囲気に包まれていた。


 緊張……といえばいいのだろうか?

 食堂の奥で一人立つ少女に注目し、いったい何をするつもりなのか注視する。

 そこに敵意はなく、ただの好奇心であるのが救いではあるが、なんにせよ注目を嫌う様子を見せていたアリアには良い状態ではないだろう。


「ティルナ」


「アルくん……」


 見つけた少女に声をかけると、向けられた顔は不安そうに歪んでいた。


「いったいどうしてこんなことになったんだ?」


「それが、よく分からないの……」


「分からない?」


 アルが眉を寄せると、ティルナが頷く。


「今日起きたらもう部屋に居なくてね、それで探してたらもうこの状態だったんだ。それで、食堂に来ていたレスターくんにアルくんを呼んでくるように頼んだんだけど……」


 彼女の視線が横に動いて。


「レスターくんはどうしたの?」


「そうだな……」


 ……置いてきたって言ったら怒るだろうな。


 慌てていたとはいえ、彼を置いてきてしまったのは失敗だった。

 自身の失敗を悟りながらも、アルはどう答えるか言葉を探す。


「レスターは——」


「ここにいるぞ……置いていくなんて酷いじゃないか。」


「アルくん……?」


 全く笑っていない少女の笑みから視線を逸らす。

 そのおかげか、アルは少女の変化を見逃さずに済んだ。


 アリアが被っていた外套を外したのだ。

 隠されていた白髪がふわりと舞い、陰に隠れていた錆色の瞳の露わになる。


「なんで……?」


 食堂内がどよめく中、呟いたのはティルナだ。

 私生活で最もアリアと一緒にいた彼女は人前で外套を外すとは思ってもいなかったのだろう。その声は驚きに満ちていた。

 しかし、変化は終わらない。

 外套を脱いだアリアは、ゆっくりと顔を上げて食堂内を見渡した。

 その途中、アルの視線が彼女と交差する。


 ……なんで?


 そんな意味を込めた視線が交わって。

 でもその答えは、すぐに目の前の光景として現実となった。


「————————」


 小さな唇を開き、歌い出す。

 やはり歌声はなく、かわりに団員たちのどよめきがわずかに大きくなっただけだ。


 だが、それもすぐに終わりを迎える。


「考えてなかったけど、あの森だけじゃなかったんだね」


「ああ……」


 アリアに協力してもらう計画を立てた時には気づいていなかったが、彼女の歌はあの森限定の可能性もあった。

 それが否定するように次々と生まれ像を成していく光の粒に、団員たちのどよめきは徐々に落ち着きを取り戻していく。


 赤い光がトカゲに。

 青い光が人魚に。

 黄色い光が小人に。

 緑の光が妖精に。


 夢で、現実で。

 何度も……何度も見た光景だ。それなのに、目の前に広がる光景は常にアルの心を掴んでは離してくれない。


 無言となり、大きな室内に広がる無限の色彩に目を奪われている団員たち。

 それは、かつての英雄がこの街の人に見せていた光景に似ていて。


「光の歌姫か……」


 金糸のように輝く髪が印象的だったのと、彼女自身の名前の意味がルーチェだったからこそ呼ばれるようになった——かの英雄の名前だ。


 ルーチェ=リヴァ―ル


 もし彼女が生きていたら、今もこのような光景を見せてくれたのだろうか?


「いや、違うな」


 彼女はもういない。けれど、彼女の後継者になりえる少女が目の前にいる。

 ならば、自分は彼女を見るべきだ。


「……静寂と色彩かな」


 アリアとは独唱のこと。しかし、それは孤独という言葉とイコールではない。

 一人で歌うからこそ、曲の想いをのせた歌声を際立たせることが出来る。

 それは、奏者がいなくては成り立たないことで……逆に、奏者だけでは成しえないことだ。


「これで満足か?」


「団長……」


 背後からの声に振り向けば、ガルズが眉を寄せたままアルを見ていた。

 アリアの歌声に集中していたせいか、誰にも気づかれることなく背後に立っていた彼は驚く団員たちを手だけで制し、再び口を開く。


「たしかにあれは歌だ……おそらくすべての団員がそれを認め、彼女の入団を否と唱えるものはいなくなるだろうな」


 アルの隣へ立ち、歌う少女を見つめながら。


「それはあの三人も同じだろう。フィアは少し気にするかもしれないが、レディンとフィルドの二人は大いに歓迎するだろうさ。そうなれば、私も反対しきれないし……する気もない」


「団長それって——!?」


「ああ、そういうことだろうな」


 喜びの声を上げるティルナと頷くレスター。

 そんな二人へと視線を向けた団長は、すぐにアルへと眼差しを動かして。


「ただし、正式な団員にするかは話が別だ……いままで楽器での演奏のみでやってきたからな。突然全てを変えることは出来ない」


「……ならどうするんだ? まさか、洗濯係にでもするつもりじゃないだろ?」


 彼女の歌声は宝だ。それに、明らかに不遇な生き方をしていた彼女にそんな扱いをするのであれば黙っているわけにはいかない。

 アルは目を細めてガルズを睨みつける……が、彼は意外にも首を横に振った。


「いいや、彼女が入団するか否かについては次の公演の時に判断しよう。それまでは、仮の団員としてこの屋敷の滞在を許可する……ただ——」


 アルに背を向けながらも、その鋭い瞳はアルを捉え続けていた。


「なんだよ……?」


「もう彼女について反対はしない……だが、お前は絶対後悔することになる。それだけは覚悟しておけ」


 それだけを告げて、ガルズはアルの元から去っていった。

 扉がゆっくりと開かれ、食堂から姿を消す。


「団長、何が言いたかったんだろう? アルくんが後悔? 心当たりある?」


「いや、何もないんだけどな」


 アリアとアルの共通点といえば、十年前にこの街にいたことだろうか?

 だが、それだけで後悔をするというのは無理がある気がする。


「まあ、団長も反対していた手前、素直に頷けなかったんじゃないか? 団長としても立場もあるし……」


「レスターくん……」


「そんな目で見ないで下さいよ!? だってそれぐらいしか考えられないじゃないですか!」


「レスターくんうるさい」


 声を荒げるレスターに非難の視線が集まり、すぐに静かになる。

 とはいえ、団長の言葉が不穏であったということもまた事実だ。


 ……十年前か。


 何の力もなく、ただただ街が燃えるのを見ているしかなかった。

 そういった意味では、同じ地獄を見た彼女と向き合っていく上で後悔することもあるかもしれない。

 けれど——


 ……まだ小さかったあの時とは違うんだ。俺にもできることがある。


 子供の時は何もできなかった。

 けれど、今はこの街のために出来ることがある。


 食堂の奥で今なお歌い続ける歌姫アリア

 アルだけではなく、彼女もいれば絶対にこの街の民の心を救うことが出来るはずだ。


 ……だから今は——


 後悔をするのなら、それ以上に満足できるよう頑張ろう。

 そのために、アルは視界に溢れる様々な色を目に焼き付けることにした。

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