第23話 ……バカみたいだ
アル=クイントンは夜空を見上げていた。
暗い森を円形に切り取った星空は、街の灯りから離れたおかげで鮮明に輝いている。
手元に置いているランタンの明かりを消しているのも良かったのかもしれない。
一面に広がった光る砂粒は、どれも大きさが違って永遠に眺めていられるほどに美しい。
同時に、胸や頭に埋め尽くされていた雑音が少しずつ小さくなっていく。
……今ならいけるかもしれないな。
手の中にある皮の感触は、レインネス卿からいただいた貰い物だ。
あの少女と演奏した一件の後、今まで使っていたもの以上に馴染むようになったアルの分身。
アルはそれを取り出すと、腰掛けていた切り株の上に立って構えた。
時を待ち、呼吸を繰り返す。
清潔な空気は胸のモヤを浄化することに成功し、吐き出すことで重みは小さくなっていく。
耳に届く風の音。
揺らめき、こすれる葉の音が呼吸の音と混ざる。
そして——
「…………」
構えた弓を引くことはなく、ゆっくりとその両腕を下げた。
気分が乗らなかったわけではない。
ただ、演奏を止める理由が出来ただけだ。
「……君か」
笑みを携え、振り返る。
視線の先には、白髪の少女が立っていた。
「また抜け出したのか?」
彼女は答えない。
代わりに、淀みなくアルの元へ歩いてくるだけだった。
近づいてくるたびに白い髪が月の光で煌めき、その奥の錆色が大きくなっていく。
諦めの中にあるわずかな興味。
その一欠片の理由は、なんなのだろう?
アルの目の前でじっと見つめてくる瞳が何を映しているのか……それは分からないが、どうにもアルの胸の内をざわつかせてしまう。
「っ——!?」
不意に、少女が切り株の上に上がってきた。
離れていた距離が急に近づき、顔を見合わせる状態となる。
「っ、なにを——?」
じっと見つめてくる錆色の眼差し。
重なっていた視線がふっと逸らされると、彼女はアルに背を向けた。
……いったい、なんなんだ?
意図が読めない。
急に現れたと思ったら、急に顔を覗いてきて。
急に近づいてきたと思ったら、急に顔を逸らされた。
切り株はそこまで大きくない。アルと少女が乗ってギリギリといったところだ。
そんな狭い空間に入ってきて背を向けた少女に、アルは目を
直後、少女の雰囲気が変わった。
同時に、アルは彼女が歌い出したことを理解した。
最初はただの静寂。
しかし、次第に変化が訪れる。
赤い光が生まれ。
青い光が生まれ。
黄色い光が生まれ。
緑の光が生まれる。
各々が自由に舞い、輪郭を形成していって。
そうして広がるのは、アルを魅了してやまないあの光景だ。
赤い光がトカゲに変わって。
青い光が人魚に変わって。
黄色い光が小人に変わって。
緑の光が妖精に変わった。
動き回るそれらが光の尾を引いていく。
その光景は幻想的であり、感動的だ。
「…………」
湧き上がってきたのは、前と変わらない欲望だった。
彼女と一緒に演奏がしたい——そのために切り株から降りて、腰を下ろす。
……ああ。
弓を構えて。
……そうだよな。
いつの間にか忘れていた。
皆を笑顔にする楽団に憧れて、拾われる形にはなったが団員になることが出来た。
なのに、自分は笑顔で演奏出来ないでいる。
……バカみたいだ。
なんで忘れていたのだろう?
この街に来たから? それもあるかもしれない。
この少女に出会ったから? それもあるかもしれない。
でも、関係ないのだ。
自分の気持ちに向き合うことで、心を震わせる演奏が出来る……そう、アルは
暗い気持ちも、明るい気持ちも。
今自分が感じているありのままの感情を込めなくては、誰かの胸を打つ演奏なんて出来やしない。
そう認識してしまえば、この胸に残る重みも演奏を彩る助けにしかなりえなかった。
……あとでティルナにも謝らないとな。
苦笑して、弓を引く。
ありのままに、感じたままに。
「……君の名前はなんていうんだ?」
それは、ずっと気になっていた問いかけ。
偽らないと決めたからこそ、あえてアルは少女に聞いた。
そして、答えを期待していなかった問いかけは、思いもよらぬ現象にてアルに応じる。
「……そっか」
少女からの答えはない。
当然だ。彼女は今も歌っているのだから。
代わりに、アルは眼前で形作られた光の文字だった。
「アリアっていうのか」
光り輝く名前呼ぶと、色彩が色を強くした。
これは彼女からの答えなのか、それとも周りの光たちの答えなのかは分からない。
しかし、肯定するように、喜んでいるように舞っている光の粒を見るに、この名前が間違いであるということはないだろう。
「……いい、名前だな」
遠く離れた国では、独唱のことをアリアと呼ぶらしい。
演奏の中、たった一人で歌うことを差す言葉だ。
だからこそ——
……その名前の通りにしてやりたいな。
アリアの現状は、その名とかけ離れているから。
だから——
「なあ、お願いがあるんだ」
演奏は続けたまま、アルは願いを口にする。
答えはない。でも、それでもいい。
無限の色彩に彩られた演奏は、しばらくの間森を染め上げていた。
——演奏が終わって。
「……さて、帰るか」
アルは切り株から立ち上がると、少女を手助けするために手を差し出す。
……これも無視されるかな?
基本的に応じることのない彼女の事だ。
アルの手を取らずに、そのまま歩き去っていく可能性もあり得る。
しかし、予想に反してアリアはアルの手を取った。
トンッっという軽い音が森に響く。
切り株から降りた彼女は手を離すと、スタスタと屋敷に向かって歩いていってしまった。
ただ、アルはすぐに動けない。
それは、彼女が手を放す直前、小さく頷いた気がしたから。
「……そんなわけないか」
まだ一緒に二回ほど演奏をした程度の仲だ。あり得ないだろう。
アルは頭を振って切り替えると、先を歩く彼女を追った。
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