第21話 全体練習
弓を構える。
しんと静まり返った室内には奏者全員が集まり、その誰もが真剣な眼差しで各々の分身と相対していた。
前方、指揮者の腕がゆっくりと上がり、振り下ろされる。
そうして始まるのは平穏の調べ。
ゆっくりと、けれど楽し気に。
平和の旋律は、きっと聞くものを楽しませるだろう。
しかし、平和は長く続かない。
音程は低くなっていき、我慢の時が訪れる。
聞くものの不安を駆り立てるような音は、演奏が進めば進むほど増えていき、音はどんどん暗く、低くなっていく。
途中、現れるのは英雄の表現だ。
少しずつ、少しずつ……本当に少しずつ。
希望は音を広げていき、暗い音楽に明るさを取り戻していく。
期待に応えるように、徐々に存在感を表していく三トップ。
波及するように、旋律は平和へと向けて音色を響かせていった。
ここで重要となるのは、低音をかき鳴らす
一番目立つ三人が外れたことにより、低音を支える役目は二番目に引き継がれる。
光へと引き戻されるのを拒むように、アルは頑なに音程を上げない。
それは、この街をどん底まで貶めたハイゼングルドを表わしたものだ。
貪欲に、強情に、強欲に……そして残虐に。
平和を失墜させるために、アルは存在感を増していって——
「っ!?」
自身のミスに気が付いた時に、拮抗状態が崩れたのを感じてしまった。
暗い旋律は明るさに引っ張られ、決められた道から外れていってしまう。
ここからは、英雄の最期。どん底に落ちていくはず。
自身のミスが決定的なものであるのを証拠づける様に、三人のトップはほぼ同時に演奏を中断させた。
「ふぅ……外れてしまったな」
「まあ、初日だからな。仕方がないだろう」
「もう少し私たちが抑えた方がいいかもね。ちょっとイメージと会わないかな」
……違う。
リーダーとして会話を重ねている三人の声がやけにクリアに聞こえ、思わず歯を食いしばってしまった。
失敗したのは
釣られてはいけないのに、釣られてしまった。
一番フェルドに近い位置に座っているからこそ、最も釣られやすい位置にいる。
けれど、それは言い訳だ。
実力があるから任されている以上、それを理由にしてはいけない。
たしかに、全員で合わせるのは初日だというのもあるかもしれない……が、アルがミスをしているのは今日が初めてではなかったのが問題だ。
「今ズレたのは弦が理由だね。すまない……まだ練度が足りていなかったようだ」
「いや、俺たちの方にもまだ課題がある」
「少し休憩を挟んで、皆に話し合ってもらおうか? こう暗い音楽だと息が詰まっちゃう」
「そうだね。じゃあ皆、少し休憩しよう! 各々で反省点や課題を話し合って見てくれたまえ!」
フェルドの号令の後、奏者の皆が思い思いに相談を始めた。
同時に、見知った姿がアルのそばに近づいてくる。
「アルくん大丈夫? なんか調子よくなさそうだけど……」
「君は弦の代表の一人なんだ、もっとしっかりしてくれ」
ティルナとレスター。
前者は心配そうに、後者は無表情でやってきた。
「レスターくんも素直じゃないなぁ……心配なら心配って素直に言えばいいのに」
「そ、そんなことないぞ。全然心配してなんか——」
「今日は調子悪そうだね。もしかして体調が悪いとか?」
「いや、最後まで……いやいい」
レスターは肩を落とすも、すぐに鼻を鳴らす。
「ティルナ先輩は今日から一緒に練習を始めてるから知らないかもしれないが、アルがミスするのは今日だけじゃないんだ。だいたい同じところでのミスが多い」
「そうなの?」
「まあ、な」
「ふん、本当に君らしくない。こんな体たらくであの子の世話と練習を両立できるのか?」
問われ、悩もうとして。
……レスターの言うとおりだな。
悩む必要もなく、彼の言うとおりだった。
今のトップの三人とは一回り近く歳の差があるが、アルはその三人よりも団員でいる時間が長い。
その実力と合わせて、団長の次に信頼を得ているのがアルなのである。支柱と言い換えてもいい
支柱が曲がれば全体が揺らぐ。
支柱が折れれば全体が墜ちる。
それならば、時として非情な決断をしないといけないのかもしれない。
アルは笑みを浮かべると顔を上げた。
「……すこし考えてみるよ。失敗できないのいつも通りだけど、今回はいつも以上に気を張らないといけないからな」
「アルくん……」
覗き込むような赤い目。
だが、それに応える前に練習再開の合図が響いた。
「ほら、再開するってよ。席に戻れ」
「……ティルナ先輩、いきましょう」
「うん」
渋々といった様子で自分の席に戻るティルナ。
アルは彼女たちを見送ると、深く息を吐き出す。
「切り替えないとな……」
結局、今日の内にアルのミスが改善されることはなかった。
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