第17話 拙き想いは色彩に彩られて




 この世界に魔法という概念が消えて、かなりの時間が過ぎた。

 詠唱することによって超常現象を起こす魔法。それは、過去にあったおとぎ話として、人々に伝わるただの言葉でしかない。


 しかし、現実に存在はしていたのだ。

 その証拠が精霊信仰のある森であり、とある少女によって映し出された超常現象である。

 そして、街の暗闇を染め上げる街灯も……。


 魔法という超常が人から無くなっても、世界には存在している。

 魔法が無くなり、技術が発達し、魔法という素材として扱うことが普及していった。


 世界に魔法が存在していた証拠の一つ——魔石。


 魔石を利用することによって、世界は著しい発展を遂げた。

 効率の良い魔力運用によってほぼ永久的に作動する照明は、暗い夜を越えるための必需品となり、数を増やしていく。

 それは、復興真っ只中のレインネスも例外ではない。


 だが、何事にも例外はある。

 例えば、人の手が入っていない森の中とか。


 そしてそれは、現在進行形で一人の少年を襲っていて——




「ったぁ……!!!」


 額に感じた鈍い衝撃に、アルは思わず悲鳴を上げた。


「ほっんとに何も見えないな……屋敷に寄って灯りでも持ってくればよかった」


 かすかに残る痛みに愚痴をこぼす。


 完全に日が沈みきった森の中は……暗いどころではなかった。

 まず何も見えない。


 少し先が見えないなどではない。

 自身の指先すら見ることが出来ないのだ。


「これ、帰れるか?」


 不安をこぼす。だが、振り返ることは無い。

 幼少の頃に度々訪れたことがあるため、その記憶を頼りにこうして進んでいる。しかし、一度方向感覚を失ってしまえば、迷子になって帰れなくなってしまう。

 だからこそ——


「まあ、進むんだけどな」


 アルはただひたすらに歩き続ける。

 進む方向を逸らさないように意識を集中させて。


 そうして、どのくらい進んだかも分からないまま歩き続けると。


「……やっぱり」


 ……予想通りだったみたいだな。


 薄っすらと。

 本当に微かではあるが、闇の中から自身の指先が見えるようになってきた。

 それは、進めば進むほど鮮明になってきて。


「迷子にはならなかったみたいだ」


 ホッと一息。


「でも、我ながらよく来れたよな」


 十年も前の記憶だ。

 最近はこまめに訪れていたとはいえ、記憶としてはかなり曖昧である。

 なのに、こうして自分はたどり着くことが出来た。

 ガラリと変わってしまっていた街とは違い、この森は十年前とは変わっていない。そのことが思いのほか嬉しくて、自然と頬が緩んでしまう。


「でもやっぱり、綺麗だな……」


 はっきりと映し出される木々の影。

 その奥に見える歌唱は、魅入られた時と変わらない。


 進めば進むほど鮮明に映る絶景に恋焦がれて、気付けば歩みは早くなった。


 木々の隙間を抜け、劇場へ。


 赤色、青色、黄色、緑色。

 様々な色が混ざり合い、照らされた檀上切り株の上には一人の少女が。

 外套のフードを降ろし露わになった白髪は、風に揺れながら色に染まっている。


「————————」


 やはり、歌声はない。

 聞こえてくるのは風の音。そして、風が揺らした木々の葉のこすれる音だけだ。

 なのに——


「……歌ってる」


 この視界に収められた景観は、アルの耳に聞こえないはずの歌声を届けてくれた。


 赤いトカゲが少女の背中を這っていた。

 青い人魚が少女の隣で歌っていた。

 黄色い小人が少女の足元で喧嘩していた。

 緑の妖精が少女の耳元で囁いていた。


 各々が、自由に少女と共に歌っている。

 それに応えるように、少女の髪が揺らめいて。


 同調するように、赤いトカゲが炎を吐いた。

 歓迎するように、青い人魚が口を大きく開けた。

 満足するように、黄色い小人が踊り出した。

 謳歌するように、緑の妖精が飛び上がった。


 矛盾しているようで、矛盾していない。

 そんな光景が、アルの目の前に広がっていた。


 ……混ざりたい。


 うずうずとした気持ちが湧き上がっていた。


 この歌声に自分アルの音色を乗せたら、どれだけの感動を届けられるのだろう?

 まだ一人前と称されたわけではない。けれど、生まれた気持ちに嘘はつけなかった。


 幸いにして、そのための道具はある。

 調律などしていない。慣れるための練習すらも出来ていない。

 アルが混ざることで、このたった一人の公演を台無しにしてしまう可能性もある。

 それでも、今しかないかもしれないチャンスを逃すことは……出来そうにない。


「…………」


 ケースから取り出し、構える。

 姿勢を正し、弓を真っ直ぐに。

 深呼吸して、意識を集中させて。


 震える指は、恐怖だろうか?

 乱れる呼吸は、緊張だろうか?


「……関係ない」


 この歌声は、まるでガラスのようだ。

 綺麗で、でも儚げで……そして脆い。


 その声を包むように、守るように。


 ——————ッ……


 ゆっくりと弓を引いていく。

 混ざるように、溶け合うように。


 少女も気が付いたようで、錆色の瞳がアルを映した。

 だけど、止めない。


 続けろ、と。

 止まりかけた歌声を引っ張るように、音色を森に響かせる。

 すると、少女の歌声は再び息を吹き返した。


 音色に乗って、歌声に乗って。


 赤いトカゲが焔を舞い上げた。

 青い人魚が両手を広げた。

 黄色い小人が肩を組みだした。

 緑の妖精が身を翻した。


 各々が自由に、その音に対して対応する。

 その動きに決まりなどは存在しない。そのため、決まった音色などありはしない。

 アルは彼らの動きに合わせて続く音色を決め、演奏を続けていった。


 火を噴くトカゲをなだめるように静かな音色を。

 歌う人魚と合わせるような調和の旋律を。

 踊る小人を盛り上げるように陽気な音楽を。

 舞う妖精が安らげるように時には静寂を。


 少年の音色と少女の歌声が、闇に沈んでいた森を色彩で彩っていく。


 ……楽しいな。


 皆で一つの芸術を完成させる——公演。

 それは、形を決められた中で己の音色を響かせる——集団の音楽だ。


 でも今は違う。

 アルは彼らの動きを見て音を決めている。しかし、そこに型など存在しない。決まりなど存在しえない。

 アルが彼らに合ったと思った音を自由に決め、彼らが自由にアルの音色と同調していく。


 どこまでも自由だった。

 自由で、停滞などありはしない……己が気持ちを表現する一つの芸術。


 クイントン音楽団の演奏も、もちろん好きだ。

 だけど、この二人だけの公演も……いや、二人とみんなの公演も、同じくらいアルの心を熱くさせてくれていた。


 ……どうか今だけは。


 歌う少女の表情は見えない。

 それは、彼女がアルに背を向けて歌っているから。


 でも、それでいい。

 あくまでも、この劇場では彼女が主役だ。だから、アルは彼女の後ろで彼女のために演奏を捧げていく。

 それも、アルの自由だから。


 ……あの錆色の瞳が、諦めの色で染まっていませんように。


 弦と弓で空気を震わせ、アルは少女が一時でも安らげることを祈っていた。






「アルくん!」


 少女を連れて屋敷まで帰ってくると、小さな影が駆け寄ってきた。


「大丈夫だった? ずいぶん帰ってこないから心配したよ。それに、あの子も見つかったみたいでよかった」


「ああ、わるいな」


 心底安心したように息を吐くティルナ。

 実は少女の歌に合わせて演奏していました——なんて言えず、アルはぎこちない笑みを返す。


「みんなは?」


「アルくんが探しにいったって伝えたら、みんな安心して部屋に戻っていったよ」


「薄情者たちめ……」


 すべて押し付けられたというわけだ。

 まあ、アル自身誰かに助けてもらうことはあっても、投げ出すつもりはないのだが。


「でも、レスターくんはそわそわしてたよ? もう暗いな……無事だといいんだが……って、腕を組んで指をトントンしてた」


「ははは、相変わらずだな」


「素直じゃないよね」


 様子が容易に想像できてしまって、ティルナと共に笑い合う。

 そして、ひとしきり笑った後、彼女の眼差しが少女へと向いた。


「君も、ちゃんと帰ってきてくれて安心したよ! あっ、怪我はないよね? 誰かに襲われたりもしなかった?」


 少女がコクリと頷く。


「ほんと心配したよぉ……!」


 胸に手を当てて、大きく息を吐き出すティルナ。


「でも、本当に無事でよかった。お帰りなさい二人とも!」


 満面の笑みを浮かべて、ティルナはアル達を出迎える。

 本当に心配してくれていたのだろう。それは、わずかに震えていた彼女の肩や腕を見れば一目瞭然だった。

 なら、ここで伝える言葉は一つだけだ。


「ああ、ただいま」


 アルは小さな少女を安心させるために、その頭にポンと手を置いた。

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