第2章 拙き想いは色彩に彩られて
第7話 自由とはかけ離れた実状
「——はい、ここはもう少し感情を出そう!」
耳に届いた声の通りに、アルは手に持った弓を動かしていく。
今は曲の序盤。心に描くのは暗く、沈んだ街並み。
弦と弓が奏でる旋律は、アルの心に確かな重みを感じさせた。
合わせて徐々に重くなっていく指先は、動かす弓に迷いを生む——その直後。
「一度止めようか」
アルの前方。
前の席に座る男性の声を合図に、室内に響き渡っていた演奏はピタリと止まった。
「君が音を外すなんて珍しいじゃないか? どうしたんだい?」
そう言って、アルへと振り返ったのは先程合図を出した男。
フィルド=サナ=アイントス
金髪碧眼の貴公子であり、アルの担当である弦楽器奏者のまとめ役である。
「ちょっとミスしただけです。すいません」
「いや、それはいいんだが……君が初歩的なミスをするなんて珍しいと思ってね」
優雅という言葉が似合う仕草で髪を払うフィルド先輩。
「まあいいや、あまり練習を止めるのもどうかと思うしね。じゃあ、再開しよう……三、二、一——」
「…………」
早くでもなく、遅くでもない速度で動いていく先輩の弓。
その優雅な弓使いをなぞるように、アルは演奏を再開させた。
練習を終えて。
アルがふぅと息を吐き出すと、背後で席を立つ気配が感じられた。振り返るまでもない——レスターだ。
「ふふふ、フィルド先輩に指摘されていたな……本当に順番が変わるのは近そうだ」
嬉しそうにレスターがアルの隣で足を止める。
今度の公演は、街の中央の広場で行われる予定だ。
街を歩きながら演奏する場合もあるのだが、今回は歩きながらではなく、広場にとどまっての演奏になる。
先程までの練習も、それを意識した形でおこなっていた。
席順というのも重要だ。
弦楽器を演奏する奏者はアルを含め十九人。席順はフィルド先輩を先頭に、後ろに横に三人並んで六列ほど並ぶ形となる。
つまり、席順が前の方が目立つのだ。
そして、目立つということは、前に位置すれば位置するほど実力があるということであり、フィルド先輩の真後ろに座るアルは弦楽器の中で二番目の実力者となる。
レスターが言っていたのはそういうことだ。
音楽は実力主義……こと公演が近くなればそれを意識せざるを得ない。
自由とはかけ離れているが、これが現実だ。
その現実をレスターに告げるため、アルは顔を上げる。
そして口を開こうとした——その前に、口を挟むものがいた。
「それはないね」
「なんで!?」
フィルド先輩だ。
彼は自身の髪を撫でつけながら。
「レスター君、君の技術は申し分ないよ。でも、君って本番になると必ずミスするじゃないか」
「そ、それは……でも、次は失敗しないかもしれないし……」
「そうは言うけどね……結局その評価を払拭するには、本番でミス無く演奏を終えるしかないんだよ。つまり……」
「つまり……」
ゴクリと、レスターが喉を鳴らす。
そんな緊張感を楽しむように、フィルド先輩は微笑んで。
「次の公演では、君の席はアル君の後ろということが決まっているってことだよ」
残酷に告げて、フィルド先輩は振り返った。
「それじゃあ、小鳥たちを待たせているんだ。私はここで失礼するよ」
スキップでもしそうな勢いで、弦楽器のまとめ役は姿を消した。
パタンと閉められる扉。
それを見届けてから、レスターへと視線を動かせば。
「ふ、ふふ、ふふふふ……だ、だだ、大丈夫だ。け、結局は、僕が実力を見せつけてやればいいだけ……だから大丈夫……大丈夫……」
明らかに大丈夫そうではなかった。
「まあ、頑張れば俺の隣に来れるかもしれないし……気にすんなよ」
アルはフェルド先輩の後ろの二番手であるが、隣には三番手と四番手がいる。
だから、頑張れば前に行くことも不可能ではない……かもしれない。
「それよりもティルナと待ち合わせしてるんだから行こう。あいつ遅れてくるとうるさいし」
「そ、そそそ、そうだな」
「とりあえず落ち着こうか?」
「あ、あああ」
……ダメそうだな。
今日は使い物になりそうにないと、アルはため息を吐き出した。
壊れた人形のようになってしまったレスターを連れて、待ち合わせ場所であるアルの部屋に移動した。
「おっそーい!!!」
「悪かったって」
部屋の前にちょこんと待っていたティルナをアルは適当にあしらう。
「ちょっとレスターが、な」
「どうかしたの?」
「まあ、ちょっと……」
さすがにトドメを刺すわけにいかないため、濁す。
すると、全てを察したらしい彼女はうんうんと頷いた。
「そういうことね……レスターくん、いくら次の公演で前になれないって言われたからって諦めちゃダメだよ?」
「…………」
「そういうところがティルナだよなぁ……」
「ふぇ!? ど、どういうこと?」
レスターにアルと、交互に顔を動かすティルナ。
そんな彼女を横目に、アルは自室の扉を開いて。
「いや、なんでもない。で、ティルナの方の練習はどうだった?」
「うーん、特に特別なことは無かったかなぁ……レディンさんを怒らせるような人は管楽器にはいないし」
「まあ、そうだろうけどさ」
容易にできる光景に、アルは笑みをこぼした。
レディン=エルグスト
ティルナが担当している管楽器のまとめ役だ。
焦げ茶の髪を短く刈り上げた筋骨隆々の大男で、彼が演奏する姿は楽器が小さく見えてしまって初見では笑ってしまう人もいるくらいである。
だが、管楽器のグループでそれをする人はいない。
音楽を心酔する彼は、音楽を侮辱する人を許さない。演奏する人を笑うなんてもってのほかだ。
そんなことをしてしまえば、彼の筋肉は演奏ではなく拳骨という制裁に使われることだろう。
「ほら、レスターも入れよ」
「レスターくん、ショックなのは分かるけど切り替えないとダメだよ?」
「……君たち、僕相手なら何言ってもいいと思ってないか?」
「そんなことないさ?」
「そんなことないよ?」
「なら疑問形を止めよう!?」
声を荒げるレスター。
けれど、荒ぶりながらも素直に部屋に入ってくるのだから可愛いものだ。
そうして全員が部屋に入ると、各々が思い思いの場所へと移動する。
アルは自身のベッドに。
ティルナはアルの隣にちょこんと。
レスターは壁に背を預けて。
「じゃあ、第二回あの子を楽団に入れよう会議を始めるよー!」
こうして、締まりのない会議が始まった。
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