第5話 森で歌う少女

 レインネス南部にある、街と隣接する森。

 領主邸の近くに位置し、それでいて人の寄り付かない森は、かつてから精霊信仰の地として街の発展とは切り離されてきた。


 アルの幼少の頃から精霊が棲むと言い伝えられていて、だからこそ……人が寄り付かない。


 そんな森にアルが立ち入ったのは、偶然だった。

 いや、偶然とは言えないのかもしれない。アル自身、幼少の頃に遊んだこの森を懐かしく感じて立ち入ったのだから。


 それでも、森の入り口に目がいったのは偶然で。

 だから、あの光景に目を奪われたのも……偶然だった。




「うん? なんか向こうが明るくないか?」


 森の進み、最初に気が付いたのはレスターだった。


「ほんとだ! ということは……?」


「ああ」


 心がひときわ大きな弾みをみせ、無意識に足取りが早くなる。


 ようやく……ようやくだ。

 赤、青、黄、緑——様々な光に照らされて薄っすらと輝く森の進み、さらに森の奥へ。


 木々が立ち並ぶその最奥。

 円形に拓けた森の広場には、たった一人の少女がいた。


「————————」


 アルたちに背を向けたまま歌う少女。

 白い髪は腰ほどまで伸びているが艶はなかった。

 風でなびく髪の奥に見える衣服は、驚くほどにボロボロだ。

 最低限、服としての機能を持っているだけの布切れ——そう称することもできるかもしれない。


 けれど、美しかった。


 森の劇場の中央。

 大きな切り株の上に立ち、少女が歌声の無い歌を歌う。

 その周りには、様々な色を輝かせている何かがいた。


 赤いトカゲ。

 青い人魚。

 黄色い小人。

 緑の妖精。


 それぞれが思い思いに動き回り、様々な色彩を煌めかせている。


「きれい……」


「そうだな……」


 背後から、控えめな二人の声が届いた。


「君が魅入られたのも頷ける……これは、凄い……」


「だね……なんていうんだろ……歌声じゃないんだけど、声が聞こえてるみたいで…………なんか楽しそう」


 赤いトカゲが地を這い。

 青い人魚が空を泳ぎ。

 黄色い小人が駆け回り。

 緑の妖精が宙を舞う。


 アルには、光を放つ色の輪郭しか見えていない。

 けれど、その動きが、それらが楽しんでいるということを全身で現わしていた。


 思うままに踊り、遊ぶ。

 なんて自由な事だろう。


 これこそが音楽だ。

 人が自由に表現し、人の心を震わせる。

 現に、アルを含め、ティルナとレスターも広がる光景に目を奪われていた。


 それから、どのくらい聞き入っていたのだろう。


「————————…………」


 少女の歌声が止まる。

 歌声は無いはずなのに、それが分かった。


 同時に——


 ——パチパチパチパチ!


 森の劇場に響いたのは、拍手だった。


「凄かった! あっ、ごめんね勝手に見ちゃって」


 ティルナだ。

 彼女は手を鳴らしながら、劇場の中心へと歩いていく。


「本当に凄かった……こんな音楽があるなんて知らなかったよ」


 続いてレスター。

 二人は、純粋に彼女を称賛しようと近寄っていく。


 そして、二人の拍手が届いたのだろう。切り株の上の少女がアルたちの方向へと振り返って。


「っ——!?」


「え?」


「ちょっと待ってくれ!?」


 少女は、慌てた様子で切り株から降りると、森の奥へと逃げていってしまった。

 その途中——


「やっぱり……」


 アルには見えていた。

 逃げようとする少女の錆色の瞳。その奥に浮かんでいた感情を。


 最初は驚き。

 そして、恐怖。

 最後は諦め……諦念だ。


 理由など分からない。

 アルは元より、ティルナもレスターも彼女に危害など加えたことなどない。


 そして何より——


「なんでそんなに暗い目が出来るんだ……?」


 これで見るのは二度目だ。


 ……あれだけ心を震わす歌を歌える少女が、なんでこんなにも暗い目を出来るんだろう?


 そんな疑問だけが、アルの胸の奥に重く沈んでいった。

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