第1章 沈黙の歌姫

第2話 団の仲間




 王国の辺境にある街——レインネス。

 現在の領主の名を冠する穏やかな街並みには、暖かい日の光が降り注いでいる。

 その街の一角にある屋敷の一室で。


「ダメだ」


「なんでだよ!?」


 茶色の髪を持つ少年——アルはテーブルに両手を叩きつけた。


「なんでダメなんだよ!」


 叩きつけた振動でカップがカタカタと揺れ、中身が揺らいで宙を舞う。

 そんなことはお構いなく睨みつける視線の先、白髪交じりの髪をオールバックに固めた老人は、表情を変えずにただアルを見つめていた。


 ガルズ=クイントン


 養父であり、アルの所属するクイントン音楽団の団長の団長だ。

 彼は目を伏せると深く息を吐き出す。


「何度もいうがダメだ。この街の者を楽団に加えるつもりはない」


「そんなの理由になってないだろ! ちゃんと理由を教えてくれよ!」


「…………」


 固く口を閉ざす養父。


 ダメだと言うばかりで、重要な理由を教えてはくれない。

 このままこの場所にいたら彼に苛立ちをぶつけてしまいそうで、アルは歯を食いしばると背を向けた。


「おいアル」


「……なんだよ」


 扉を開けたまま振り返れば、老人の鋭い眼差しがアルを射抜いていて。


「雨には気を付けろよ」


「分かってるよ……」


 アルは短くそう答えると、力強く扉を閉めた。




「やっちまったなぁ……」


 団長室の扉を閉めて、アルが最初にしたことは後悔だった。


 まさか養父だとはいえ、団長に対して声を荒げてしまうとは。

 それほどに彼女の入団を希望していたとはいえ、だ。


 ——森の中で見た、静寂の中に彩られていた歌声。


 あの光景が、いまだにアルの心を掴んで離さない。

 だからこそ彼女の入団を切望したわけだが、断られ続けてもう三日目だ。


「はぁ……頭冷やしてくるか」


 頭をかいて、一歩踏み出す。

 廊下を歩くその途中、視界の端に誰かの髪が揺れた。


「またやってたの? 声、外まで聞こえてきてたよ? ほっんと懲りないよねぇ……」


「……ティルナか」


「あー!? なにその残念そうな顔!」


 ティルナ=レンドナ


 ショートカットの赤茶の髪に童顔、小柄の体躯が特徴の少女だ。

 背丈としては頭頂部がアルの顎下程度だろうか。男性の身長として平均的なアルから見ても小さく見えるのだから、やはり小さい。


 彼女は小さな体を大きく見せるように仁王立ちして、アルの行く手を阻んだ。


「街に出るんでしょ? それなら付いていってもいい?」


「やだ」


「えー!? なんでー!?」


 アルは甲高い声音に耳を塞ぐようにして。


「ティルナと一緒に出掛けると一向に進まないんだよ」


 目の前の少女はその見た目からか、街では人気者である。

 いつもニコニコとしていて明るい性格もあって、まだひと月もこの街に滞在していないのにも関わらず、小動物のように可愛がられているのだ。

 そのため、彼女と一緒に歩くと大人数に声をかけられるのが目に見えていた。


「でも私と歩くとお金いらないよ? だいたいサービスしてくれるから」


「そういう問題じゃない」


「じゃあ何——あっ、そういうこと……」


 ニヤリと。

 少女の顔に笑みが浮かぶ。


「アルくん、もしかしてまた森に行くんでしょー? お熱なのはいいけど、まだ会えてないんでしょ? 今日も会えないんじゃない?」


「それは……」


 彼女の言うとおりだった。

 この三日間、アルは毎日森に足を運んでは、誰もいない森から帰るというのを繰り返している。


 ——全ては、あの森で出会った少女を楽団に勧誘するため。


 もちろん、アルにはそんな権限などない。けれど、あの光景に魅入られてしまった以上は何もせずにはいられないのだ。


「別にいいだろ。何しようと……」


「じゃあ、私も行く!」


「はぁ!?」


「だってアルくん絶対森に行くじゃん。私も気にはなってたんだよねぇ……アルくんがお熱の歌姫さん」


「いや、別にあそこに行くとは言ってないんだけど」


「行かないとも言ってないでしょ? せっかく今日は練習もお休みだし、一緒に出掛けようよ」


 ティルナがアルの元へとことこと駆け寄り、ひしっと右腕に抱き着く。


「ほらほら、お姉さんを案内しなさい!」


「お姉さんって、一歳しか変わらないだろ……それに、見た目じゃ完全に俺がお兄さ——」


「だまらっしゃい!」


「うぐっ……!」


 小さい拳が脇腹に突き刺さる痛みに呻く。

 彼女自身は強く殴っているわけではないのだろうが、拳が小さいせいで体の奥までめり込むのでとても痛いのだ。


「いってぇ……分かったよ。なんで俺が……」


「そう言わずに!」


 ニコリとしたティルナの笑顔が憎らしい。

 とはいえ、これが彼女の通常運転だ。アルは諦めのため息を吐き出した。


「居なくても文句は言わないでくれよ」


「うんうん、言わないから安心しなさい♪」


 軽い彼女を右腕に感じながら歩き出す。

 そして、階段を降りて玄関へと向かう途中で——


「ふん、せっかくの休みに呑気にお出かけとは余裕だな」


 少し神経質そうな声に、アルとティルナの二人は足を止めた。


「あっ、レスターくん」


「ティルナ先輩、おはようございます」


 ティルナが向けた視線の先、そこには薄い青の髪の少年が壁に背を預けていた。

 ——不機嫌そうに腕を組んで。


 レスター=テンドルド


 アルの同僚であり、後輩であり、自称ライバルと名乗っている少年である。


「で? 公演も近いというのに君は余裕じゃないか。これは次の公演は僕の方が目立ってしまいそうだな」


 彼は壁から背中を離すと、片手を腰に当てて。


「まあ、君がそんな体たらくじゃ必然かもしれないね」


「レスター……」


「なんだい? 今からでも練習するつもりかい? それなら仕方がない。僕が練習を付き合ってあげようじゃないか。ティルナ先輩は楽器違いだからね」


 自信満々に鼻を鳴らすレスター。


 楽団に所属して三年ほどになる彼は、こうしてたびたびアルに絡んでくる。

 だから、こういった場合の対処もお手の物だ。


「それはない」


「なんだと……?」


「うんうん」


「ティルナ先輩まで!?」


 レスターの目が丸く見開かれる。


「ち、ちなみに? な、なんでそんなことが言えるのかな?」


「いやだって、レスターくん本番に弱いじゃん」


「うぐっ!」


「公演の時に絶対ミスするもんな」


「うぐぐっ!」


「毎回講演の後はしょんぼりしてるもんねー! また失敗してしまった……これじゃあアイツにも……くそぅ……って」


「…………」


 完全に沈黙。

 これが物語であれば、白目を剝いて口から煙でも出ていそうな状態だ。


「ティルナ……さすがにそれはきついんじゃないか?」


「そーお? でも、みんな知ってることだよ?」


「そうかもしれないけど……本人は知られてるって知らないんだからさ。そっとしておくのが一番だって」


「全部聞こえてるぞ……」


 いつの間にか復活していたらしい。恨めし気な眼差しがアルたちを見ていた。

 だが、元気いっぱいな彼女には関係が無いようで。


「あっ、そうだ! レスターくんも来る? これからアルくんがお熱の歌姫さんを見に行くんだけど?」


「お願いだから話を聞いてくれ!?」


 切実なレスターの声が屋敷に木霊した。

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