第一章 ~『朗報と思い出』~
★桜木エリス視点★
動物園のデートから数ヶ月が過ぎた朝。目を覚ましたエリスは瞼を擦る。日が昇るのが早くなっていた。
(あの日は楽しかったですね)
エリスは日々の出来事を日記帳に残していた。動物園での思い出は一生の宝物だ。
フカフカのベッドから起き上がると充電していたスマホを確認する。
「メッセージは来ていませんね……」
毎朝、隼人から「おはよう」の挨拶が届く。今朝はエリスの方が早起きだったのか、まだ通知は届いていなかったため、彼女の方からメッセージを送る。
(また隼人くんと遊びに行きたいですね……)
主治医の竹岡からは生きていることが奇跡だと言われるほどに症状は悪化している。目眩や呼吸困難などに陥る機会も増えたため、命が尽きるまでに外出できるかさえ分からない。。
(死にたくありませんね……)
生きたいと願うようになったのも隼人のおかげだ。
隼人との出会いはまだ幼い頃。エリスが両親から無視されたり、怒鳴り声を浴びせられたりする生活を送っていたときだ。
ストレス発散の道具にされていた彼女は、生活に耐えられなくなり、ついには家を飛び出した。
あれは雪の降る寒い夜だった。行く当てもなく一人で自宅前の街道で俯いていると、見知らぬ少年に声をかけられた。
その少年こそ、幼い日の隼人だ。年相応の愛らしい顔に黒い短髪が似合っていたのをよく覚えている。
「こんなところにいたら風引くぞ」
隼人は傘を差し出し、隣に腰掛ける。
「……私になにか用ですか?」
「子供が一人で外にいると危ないぞ」
「あなたも子供ではありませんか……」
「俺はいいんだ。家はすぐそこだし」
「私も目の前です」
「お隣さんだったのか……子供が住んでいたんだな……」
「両親は、私を外出させたがりませんから……」
部屋の隅で蹲りながら、ただ生きているだけの毎日。だからこそ、自宅前とはいえ、この外出は彼女なりに大きな冒険だった。
「まぁ、なんだ。早く家に帰った方がいいと思うぞ」
「帰りたくありません……」
「もしかして家出か?」
「……何も知らないくせに詮索しないでください」
「俺は心配してだな――」
「私は死んでもよいのです! 心配などいりません!」
「死んでもいいってお前なぁ」
「きっと私が死んだら、両親は部屋が広くなったと喜ぶでしょうね……それくらい私の存在は無価値なんです……」
両親から愛されていなければ生きる意味もないと、エリスは自暴自棄になっていた。その様子に少年はやれやれと呆れ顔を浮かべる。
「大切な人がいないから価値がないか……なら俺が親友になってやるよ」
「私と友達になっても楽しくありませんよ……」
「それは俺が決めることだ。それにな、親友って存在に憧れていたんだ。どんな時でも傍にいて、どんな時でも味方でいてくれる。俺はお前に尽くすから、お前も俺を支えてくれ」
「一生の友ですか……本当に私でいいのですか?」
「もちろんだ。今日から俺たちは親友だ」
指切りで互いの友情を約束し合う。
その後、雪の降る夜に帰ってこない我が子を心配し、隼人の両親が迎えにやってきた。それ以来、親友として、自宅にも招待されて友好を深めることとなる。
これがエリスと隼人の物語の導入だ。困っているところを救ってもらったからこそ、彼にその恩を返したかった。
(あんなに素敵な人なのに、どうして恋人ができないのでしょうか……)
長い付き合いだが、浮いた話を聞いたことがない。
(夜月さんとなら、お似合いだと思いますが……)
隼人の従姉妹だが、女のエリスから見ても魅力的な女性だ。彼女となら幸せな人生を過ごせるだろう。
付き合えばいいのにと考える。ただそれだけでズキリと胸が傷んだ。本心では彼が他の女性と恋人になるのを嫌がっていたので、拒否反応が現れたのだ。
(どうせ私は死ぬのですから。愛する資格はないんです)
心臓を叩き、胸の鼓動を落ち着かせる。平静さを取り戻すと、身支度を整え、隼人が見舞いにやってくるのを待つ。
(私が死ぬまでに、隼人くんに素敵な恋人を作ってあげたいですね……)
彼が幸せなら、きっと笑って死ねる。そう信じるエリスの元に一通のメールが届いた。
(こんな朝早くから、いったい誰でしょう)
宛先は見知らぬメールアドレス。タイトルには『新人賞受賞のお知らせ』と記されていた。
桜木エリスの作家デビューが決まったのだった。
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