第一章 ~『動物園のデート』~


 車椅子に乗ったエリスと共にバスで移動し、動物園へとたどり着く。ゲートにライオンやシマウマたちが踊るイラストの看板が立てられており、家族連れの姿が目立つ。


「ここの動物園も久しぶりですね」

「子供の頃以来だな」


 入園料を払って、ゲートを超えると、土と動物の体臭が混ざったような香りが鼻腔をくすぐる。


「昔は動物園の匂いが苦手でした」

「今はもう平気なのか?」

「この匂いも私が生きているからこそ感じられるものですから。そう悪くないと思い始めたのですよ」


 艱難辛苦も命があるからこそ体験できる。余命が限られているからこそ、エリスはどんな経験も前向きに受け入れることができた。


「……大学生活。楽しそうでしたね」

「大変なことも多いけどな」

「私との関係を誤解されたりしないでしょうか?」

「されたら困るか?」

「私は構いませんよ。ですが、もし隼人くんに好きな人がいるなら……」

「いないから安心しろ。大学生は恋愛が話題に挙がりやすいからな。噂はすぐに広がって、からかわれはするだろうが、被害はそれくらいさ」


 大学で目立たない男が金髪碧眼の美女を連れていたのだ。注目は否が応でも集まるだろう。


 だがそれも長くは続かない。大学は高校と比べると人間関係が希薄だ。知り合いならともかく、赤の他人の恋愛事情などすぐに話題性を失っていくだろう。


「隼人くん、あちらを見てください」

「南極コーナーか……」

「わぁー、ペンギンさんですよ。可愛いですね」


 視線の先ではペンギンがテクテクと歩いていた。その愛らしい姿に興奮するエリスはとても新鮮だ。


「昔はペンギンなんていなかったよな?」

「私たちが大人になってから増築したそうですよ。そのタイミングで増えたのでしょうね……ペンギンさんを生で見るのは生まれて初めてです」

「他の動物園でも見たことがないのか?」

「私の両親は連れて行ってくれませんでしたから……」

「そうか……なんか悪かったな」

「バツの悪い顔をしないでください。私は初めてのペンギンさんが隼人くんと一緒で嬉しいのですから」


 エリスの浮かべる笑みは決して強がりではなく、本心から彼とのデートを楽しんでいるように見えた。二人は園内を回る。その一歩一歩が彼女との貴重な思い出だった。


「見てください、すごい人だかりですよ!」

「あそこにいるのはパンダだな」

「パンダさんがいるのですか!」

「もちろん見たことないんだよな?」

「はい。人生初パンダさんです!」


 エリスの声は興奮で昂っていた。だが人ごみの壁は分厚く容易に超えられない。角度の問題もあり、近寄らないとパンダの顔を拝むことはできそうになかった。


「お目当てが目の前にいるというのに、なんだか歯痒いですね」

「俺の小説もこれほど人気ならなぁ」

「隼人くんならできますよ。だって私の自慢の幼馴染ですから」

「そ、そうか」


 気恥ずかしさで頬をかく。


 自分たちよりも前にいた人たちが去り、パンダと目の合う距離まで近づく。白と黒のコントラストで彩られた熊は、笹をむしゃむしゃと口にしていた。


「テレビで見るよりも可愛いですね。鳴いたりしないのでしょうか……」

「パンダの鳴き声は羊に近いそうだぞ。ただしメスに欲情した時にしか鳴かないそうだ」

「その雑学は聞きたくなかったですね」


 それからもパンダは面食いだとか、走ると自転車より速いだとか、蘊蓄を披露するたびに、エリスはクスクスと笑みを零す。彼女の笑顔が見たくて、口がいつもより滑らかになっていた。


「隼人くんは物知りですね」

「テレビで特集されていたから知っていただけだ。それにパンダは人気があるからな。ネットの記事も多いんだ」

「隼人くんもいつかはパンダさん以上の人気者ですね」

「パンダを超えるのは無理だろ……」


 冗談を言い合いながらパンダ鑑賞を堪能した二人は、人混みから抜ける。ゆっくりと園内を進みながら、多種多様な動物たちを楽しむ。


「こんな時間がいつまでも続けばいいのにな……」

「楽しめますよ。隼人くんは私と違って未来がありますから……」

「エリス……」

「さぁ、次はライオンさんを見に行きましょう。百獣の王を一目見なければ、動物園を満喫したとは言えませんからね」

「そうだな」


 死が迫っているとは思えないほど、エリスは底抜けに明るかった。隼人に心配をかけさせないようにと無理をしているかのようだ。


「あ、あのさ、エリス……」

「どうかしましたか?」

「俺、今日の思い出を一生忘れないから……」

「私もです……死ぬまで絶対に忘れませんから……」


 二人で過ごせる時間はもう長くないかもしれない。だが思い出は残り続ける。隼人は目に映る光景を忘れないようにと、脳裏に焼き付けるのだった。

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