第一章 ~『並んだ書籍』~


 代わり映えしない日常風景と共に時が過ぎ、夕焼けが講義室を照らし始める。受講生たちが帰り支度を始める中で、藤沢が声をかけてくる。


「放課後暇なら遊びに行かないかい?」

「悪い。実はこのあと予定があるんだ」

「もしかして女の子……なはずないよね」

「失敬な。俺も女子と予定くらいある」

「……夜の店はほどほどにしておきなよ。あれはお金がいくらあっても足りないからね」

「お前の目には、俺が女性と縁のない男に映っているようだな」

「僕の目以外にもそう映っているよ」

「あっさり認めるなよ!」

「なら相手が誰か教えてよ。そしたら信じてあげるから」

「それは……秘密だ」

「ほらね。変な意地張らなくてもいいのに」


 言っても無駄だと悟り、藤沢を無視して一人帰り支度を済ませる。逃げるように講義室を飛び出すと、早足になりながら、病院へ向かう。


 待ち合わせ場所の病院の待合室に辿り着くが、そこには誰もいなかった。時計を確認すると、予定の時間よりも十分ほど早い。


「待ち合わせに間に合ってよかった」


 長椅子に腰掛けて、スマートフォンから到着を知らせるメッセージを送ると、エレベーターから待ち人が姿を現す。車椅子に乗ったエリスが駆け寄ってくる。


「ごめんなさい、待たせましたよね?」

「いいや、俺もいま来たところだ」

「ふふ、まるでカップルのような会話ですね」

「そうだな」


 二人の口元には自然と笑みが浮かぶ。ただ微笑んだだけなのに、その場に花が咲いたようだった。


「外出許可が下りてよかったな」

「リハビリを頑張った甲斐がありました」

「その努力を主治医の先生も認めてくれたんだろうな」


 エリスはいつ心臓の発作が起きるか分からないため、基本的に外出禁止だ。


 だが医療は延命がすべてではない。明日生きているかどうかも分からない彼女に充実した余生を過ごさせてあげるのも大切だ。


 だからこそ、時間や場所に制限はあるものの、特別に外出許可が下りたのだ。


 隼人は車椅子の手押しハンドルを掴んで、病院の外に出る。傍に海があるため、潮風が冷たいが、エリスはどこか嬉しそうだった。


「病院の中はいつも適温なので、たまには寒いのも悪くないですね」


(こんなに元気に見えるのにな……)


 潮風が吹き、寒さで鼻が赤くなる。涙を我慢しているわけではない。ただこの時間を過ごせなくなる日が来るのかと想うと胸が締め付けられたのだ。


 海沿いの道を進み、車の交通量が増えてくる頃には駅前にある本屋へと到着していた。雑居ビルの一階にテナントとして入っている本屋は、通勤時のサラリーマンをターゲットにしているためか、この時間は人の少ない穴場になっている。


「久しぶりの本屋さんです」

「いつ以来だ?」

「三年ほど前でしょうね」

「ならきっと楽しめるだろうな」


 書棚に並ぶ本は毎日のように更新されていく。それが年単位となれば殊更だ。


 店内に足を踏み入れた隼人たちが目指す場所は決まっていた。ファッション誌や観光雑誌を無視して、一直線に文芸書の棚へ向かう。新刊の並ぶ平積みコーナーを前にして、彼らは足を止めた。


「隼人くんの新刊は……見つかりませんね……」

「まだ新人作家だからな」


 隼人は大学に通いながら、小説家を営んでいた。もっとも売れっ子とは程遠い、重版を経験したこともない新人作家だ。


 エリスが医者に頼み込んででも本屋に来たいと願ったのは、隼人が執筆した小説の発売日だからだ。


 視線を巡らせ、見覚えのある表紙を探す。その中の一冊で目が止まった。


「ありました。隼人くんの本です!」


 見つけたのは『病室での密室』というシンプルなタイトルのミステリー小説だ。これこそ著者、『スギタハヤト』の小説家として二冊目の本である。


「本当に書店に並ぶんですね~」

「嬉しそうだな」

「大切な幼馴染の著書が本屋で売られているのですから。喜ばないはずがありません」

「そういうものか?」

「そういうものです。それに隼人くんも私に負けないくらい嬉しそうですよ」

「著作が並ぶ光景は作家の醍醐味の一つだからな」


 大学の講義の合間や休日を活かして、隼人は『病室での密室』を一心不乱に書き上げた。


 小説なんて誰でも書けると馬鹿にする者もいるが、十万文字以上の文章を執筆するのは、肉体的にも精神的にも負荷の大きい重労働だ。その成果が本屋に並んだのだから、嬉しくないはずがない。


「カバーデザインにも華がありますよね。これなら平積みされれば、かなりの売り上げが期待できるのでは?」

「ここの店のような大きな書店ならな。ただ小さな本屋だと、新人作家の新刊はいきなり棚刺しになるのも珍しくない」


 棚差しとは読んで字の如く、本を棚に差した状態の販売形式である。平らにして積まれている場合と比べて目立たないため、売り上げは低下する。目を引く表紙も視界に入らなければ、売上には繋がらないからだ。


「すいません、そこの本を取ってもいいですか?」

「どうぞ」


 眼鏡をかけた中年男性が『病室での密室』を手に取り、レジに運んでいく。


「自分の本が誰かの手元へ届いたと知れるのは嬉しいものだな」

「作家冥利に尽きますね」


 自作を購入してくれた中年男性の背中に小さく頭を下げる。自己満足だが感謝を伝えたかったのだ。


「隼人くんの本、売れるといいですね」

「期待はしてしまうよな」

「ふふ、重版したら病院で自慢しますね。私の幼馴染は人気作家だって」

「やめてくれ。そんなことをされたら、恥ずかしくて病院に行けなくなる」

「それは困りますね」

「それに本当の人気作家は、月ちゃんみたいな人を指すんだ」


 夜月麻衣は大学の助教授をしながら、特設コーナーが作られるほどの大人気作家でもあった。ドラマ化、アニメ化を経験し、ハリウッド映画化の話まで挙がっている。国内でも五本の指に入るほどの売れっ子作家だった。


「同じ血を引いているのですから、隼人くんも負けないくらい立派な作家になれますよ」

「そうかな」

「そうですよ。そのためにも私が売上に貢献しますね」


 積まれた本の山から『病室での密室』を手に取る。エリスが書店に来た目的の一つは、この本を購入することであった。


「買わなくても、俺の家に献本があるから、プレゼントするぞ」

「大切な幼馴染の本ですよ。頑張りに報いるためにも、売り上げに貢献したいんです」

「エリス……ありがとな」


 彼女の応援に応えるためにも、売上が伸びてほしいと心の中で祈るのだった。


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