第一章 ~『青春の定義』~
青春の定義とは何か。友人たちと他愛もない会話を楽しむことか、それともスポーツで汗を流すことか。いやいや異性と甘酸っぱい恋を実らせることだと主張する者もいるだろう。
だがそれらの定義は杉田隼人という男には当てはまらない。なぜなら彼にとって青春とは小説だからだ。
大学の講義室の窓際の席で、杉田は誰にも気づかれずにひっそりと小説に夢中になっていた。周囲で騒ぐ生徒たちの喧騒を耳に入れずに、涼しげな顔で読み進めていく。
「君は相変わらず本の虫だね」
「藤沢、おはようの挨拶がそれかよ」
杉田の前の席に座ったのは、悪友であり、親友でもある藤沢だ。痩せ型の中性的な顔つきは黙っていれば美形だ。
「で、なんの本を読んでいたんだい?」
「カップルの淡い恋模様を描いた恋愛小説だ」
「小説で恋愛を疑似体験して何が楽しんだか。恋愛するなら現実の方が楽しいのに」
「藤沢はモテるもんな」
「まぁね。なにせ僕は顔が整っている。女性が放っておかないさ」
「すっげー、自信」
「僕の初恋の相手は鏡に映った自分だからね。自己肯定感の高さだけなら誰にも負けない自信があるよ」
「ここまでナルシストだと逆に感心するよ……」
藤沢が自分の顔に自信を持つのも無理はない。容姿のレベルは大学でもピカイチで、身長も高い。モデル事務所からスカウトされたことも一度や二度ではないという。
「それで、いまの恋人は何人いるんだ?」
「両手で数えきれないほどだね」
「十人以上と同時に交際なんて疲れるだろ?」
「疲れるよ。だけど僕、チヤホヤされるのが好きだからさ」
「そろそろ一人に絞れよ。女の子にも失礼だろ」
「う~ん。でも僕、女の子が悲しむことに何も感じないサイコパスだからなぁ……」
「クズめ」
「うん。クズだよ」
「開き直るなよ……それにさ、付き合っていると情も沸くだろ?」
「全然。だって真剣じゃないもん。それは相手も同じ。僕の性格が好きな奴なんて一人もいないからね。もし僕の顔がブスなら逃げていく奴らばかりさ」
斜に構えたような恋愛観だが、隼人がそれを否定することはない。複数の女性と付き合う彼だが、その関係性を恋人たちに秘密にしているわけではない。当事者たちの間で合意を得ているなら勝手にすればいいというのが、彼のスタンスだった。
「そういう杉田は恋人を作らないのかい?」
「なんだよ、突然」
「君も顔は悪くないからね。いてもおかしくはないかなって」
鋭い目つきを隠すような黒髪と、ゴツゴツとした体格を隠す一回り大きいサイズの上着が印象を暗いものへと変えていたが、顔のパーツを一つ一つ精査していけば、決して醜男ではない。
「恋人はいないさ」
「意味深だな。片思いの相手でもいるのかい?」
「さぁ、どうだろうな」
「勿体振るね。教えてくれてもいいだろ」
「大切な感情は人に明かさない主義なんだ。悪いな」
特に恋心は人に言いふらすようなものでもない。口をギュッと紡いでいると、藤沢は諦めたのか、溜息をこぼす。
「君は相変わらず頑固だね」
「よく言われるよ」
藤沢とは中学の頃からの付き合いのため、互いの性格は熟知している。話さないと決めた隼人の口を割るのは不可能だと、藤沢は知っていたのだ。
「随分と楽しそうな話をしているわね」
二人の会話に興味が惹かれたのか、白衣を着た女性が近づいてくる。彼女の名は夜月麻衣、大学の助教授であり、隼人の従姉でもある女性だ。
子供と間違えられるような童顔と身長は一見すると年下に見えるが、体躯に不釣り合いな大きい胸と黒い艶のある髪のおかげで、大人の雰囲気を纏っていた。
「月ちゃんが聞いても面白くもない話さ」
「恋バナなら大好物なんだけどな……それと大学では夜月教授と呼びなさい」
「まだ助教授だろ?」
「いいのよ。どうせすぐに教授になるんだから」
「さすが一族で一番の秀才だ」
末は博士か大臣かと将来を期待されてきた夜月は、その期待に応えるように出世を続けている。隼人にとっても自慢の従姉だった。
「そろそろ講義の時間だから。二人とも、予習しておくのよ」
それだけ言い残して、夜月は教卓へ向かう。彼女の講義は人気なため、講義室の席は埋まり始めており、学生たちの声も大きくなっていた。
「夜月教授、本当に美人だよね」
「……まさか月ちゃんを狙っているのか?」
「それも悪くないね」
「もし月ちゃんを弄んだら、さすがに怒るからな」
他人の恋愛に口出ししない主義だが、大切な親戚が狙われたとなれば話しは別だ。口調に怒気を含めるが、藤沢はキョトンとしていた。
「するはずないだろ。夜月教授は杉田の親戚なんだから」
「はぁ?」
「僕はクズでどうしようもない奴だが、友達だけは大切にするからね。もし交際するなら結婚前提の真剣交際に決まっている」
「そ、そうか……」
「それにしても、あんな美人と親戚だなんて、君は本当に羨ましいな」
「でも親戚だ。美人でも付き合えるわけじゃない」
「知っているかい? 従姉となら結婚できるんだよ」
「法律上はな。だが俺の倫理観は許さないんだ」
誰に何と言われても夜月を異性として意識することはない。それに隼人には心に決めた相手がいる。
講義の始まりを告げるチャイムが鳴り、談笑を中断する。頭の片隅には、その想い人の顔がいつまでも浮かび続けていたのだった。
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