プロローグ ~『お見舞いから帰った後』~


★桜木エリス視点★


(帰っちゃいましたね……)


 これで今日の見舞い客は終了だ。毎日、律儀に顔を出してくれる彼だけである。


(友人たちの顔も長らく見ていませんね)


 入院した当初、一度か二度は訪れてくれた。だが結局はそれっきりだ。


 血の繋がった両親の顔も朧気になるほどに見ていない。エリスを虐待していた彼らは、自分たちの幸せのために勝手に生きていることだろう。


(隼人くんは優しくしてくれますから……縋ってしまうのでしょうね……)


 毎日、見舞いに訪れるのは負担になるはずだ。だが彼は見捨てようとしない。台風の日でさえ顔を出してくれた。


 本来ならエリスから見舞いの回数を減らしてもいいと伝えるべきなのだろうが、その一言を口にできないでいた。


(私の気持ち、気づかれていないでしょうか……)


 エリスは隼人を異性として意識していた。話している最中、胸が高鳴り、顔が赤くなっていないかと心配になるほどに惚れていた。


 このような恋心を抱いたのは、随分と前のことだ。


 両親に放任されていたエリスは、隣に住む隼人の家でお世話になることが多かった。そこで彼と共に時間を過ごし、他愛のない遊びを楽しんだ。


 杉田家はエリスにとって唯一のオアシスだった。家庭に居場所のなかったエリスにとって、彼の傍にいられる時だけが幸せを実感できる瞬間だった。


 その後、エリスの虐待が明らかになった際も、親戚から引き取りを拒否される中で、杉田家だけが受け入れ先として立候補してくれた。


 学費や生活費で負担をかけるにも関わらず、エリスを救ってくれたのは、隼人が頼んでくれたからだ。彼がいたから、人として生きる喜びを見つけられたのだ。


(それなのに、病気になるなんて……私は恩知らずですね……)


 これからの人生を費やしてでも、隼人に恩を返してあげたかった。叶うなら結婚して、彼と本物の家族になりたいと願っていた。


(ですが、今の私の状況では夢を諦めるしかありませんね)


 いずれ告白しようと思っていた。だが病気が明らかになった以上、恋心を胸の内に潜め、感情を押し殺さなければならない。エリスは隼人を幸せにしたいのであり、重荷にはなりたくなかったからだ。


(私に告白する資格はありません……でも……)


 瞼を閉じて、天井を見上げる。手を繋いでデートする光景や、子供と一緒にテーマパークを巡る光景が脳裏を巡る。その夢が叶うことはないと知っているからこそ、目尻から涙が溢れ、頬を伝った。


「長生きしたかったですね……」


 涙を拭って、エリスは床頭台にノートパソコンを開くと、ワープロソフトを起動する。その十万文字以上ある小説は、新人賞に応募した作品だ。


(新人賞を受賞できるかは分かりませんが、私が死んだら、隼人くんに読んでもらいたいですね)


 この小説は遺言でもあり、彼に贈る恋文でもあった。命を落とした後、この小説で少しでも自分のことを思い出してほしい。そんな願いが込められていた。


(大好き、愛しています……)


 小説の中では心の奥底に秘めた本音が語られている。彼が小説を読む頃には、きっとこの世にいないだろう。それを寂しく想いながら、改めて瞼を閉じるのだった。


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