第34話 ビュリダンのロバ

「『ビュリダンのロバ』という話をご存じですか?」


アゲハさんはわたしたちに問う。

カグヤと私は顔を見合わせ、首を振る。

アゲハさんはふふっと息を漏らした。


「聞いたことないです」


と、わたしは素直に答えた。

すると、アゲハさんは静かに微笑んで説明を始めた。


「これは、フランスの哲学者ビュリダンが提唱した思考実験です」

「占い師が哲学者の話をするんですね」


意外だった。

占いってもっとスピリチュアルに寄せるのかと思っていたけど、しっかり学術的だった。


「内容としては心理学みたいなものよ」

「なるほど」


たしかに占いと心理学なら密接な関わりがありそう。

そしてやっぱりアゲハさんは信頼できる占い師だ。

ちゃんと学術ベースで話をしてくれる。

アゲハさんはビュリダンのロバを説明しだした。


「あるとき、ロバが二つの干し草の山の間に立っていました。

 ロバはお腹が空いて、干し草が食べたいなって思っていました。

 しかしロバは二つの干し草の山、どちらに食べに行くか迷って決められません。

 どちらに行けば良いと思うかしら?」


説明の途中だったけど、急に質問が来た。

話を真剣に聞いていたわたしは、次の場面を予想して答える。


「近い方に行けば良いと思います」

「二つの干し草の山はどちらも同じ距離ということにしましょう。

 同じ近さだから迷って決められないわ」

「じゃあ、どっちに行っても良さそうですが」

「そうね。でも、そのロバはどちらの山を食べようか決められなかった。

 結果的に選択を下すことができず、餓死してしまうわ」


わたしは唖然としてしまった。

ロバが餓死するなんて、選べないだけで命を落としてしまうなんて想像できない。


「そんなことで死ぬかしら?」


カグヤも困惑した様子でつぶやいた。

カグヤはわたしの方を見る。

アゲハさんもわたしの方に顔を向けてから、ゆっくりとうなずいた。



「実際にそんなことはないと思うわ。

 本物のロバで実験したらどっちか適当に選んで食べに行くわよ」

「え?」


拍子抜けた。

じゃあ、今までの話は何だったんだ?


「この話は、極端な選択の難しさを示すお話よ。大袈裟な作り話ね」


アゲハさんは軽い口調で言った。


「大袈裟なんですか?」

「ええ。ただ、重要なのは選択に痛みが伴うこと」

「選択の、痛み?」


不思議な単語の組み合わせだった。


「そんな痛みは感じたことない?」

「はい」


わたしは即答する。


「確かにサイリは選択の痛みなんて感じ無さそうよね」


なぜかカグヤからコメントが来る。


「そう?」

「いつも即断即決だし」

「わたしだって悩むときはあるわよ。

 この間のミステリーゲームだって犯人が分からず右往左往していたじゃない?」

「あれは何をすれば良いか分からなかったからじゃない。

 そういうのじゃなくて、二者択一とかいくつかの選択肢で迷うときよ」


二択で迷うときか……


「例えば?」


わたしにはぱっと思い付けない。


「ミステリーゲームのときの服ってどうやって決めたの?」


わたしの今日の服は制服だから悩んでいない。

ミステリーゲームのときは、なんだったかな?


「ああ、黒のワンピースだったっけ」

「それ、どうやって決めたの?」


「なんとなくよ」


わたしが自信満々に言うと、カグヤは溜息をついた。


「なんとなくで決められるのが強いのよ。普通はそうは行かないわよ」

「そうかしら?」

「私は服を決めるのに一時間悩んだわよ」

「そんなに!?」


初耳だった。

カグヤってそんなことに悩むんだ。


「撮影なんだから悩むでしょ?

 下手な恰好はできないし、あんまり派手でも悪目立ちするし」

「今度からわたしが決めてあげよっか?」

「頼むわ。私の選択の痛みを軽くして」

「やった!」

「嬉しいんだ?」

「わたしの指定した服をなんでも着てくれるんでしょ?」

「拡大解釈してない?」


カグヤの服をわたしが選んで良いんだ。

恥ずかしがりそうな甘ロリでも着させようかしら?

そんなわたしたちの様子を見て……

いや、見てはないや。

聞いて、アゲハさんはくすくすと笑っていた。


「あなたたち、とっても仲良しね」


そう言われて我に帰った。

今は占いの時間だった。

カグヤといちゃいちゃしている場合ではない。


「すみません。選択の痛みの話でしたね」

「ええ。普段意識していないだけで、そこには確かに痛みがあるの」

 

それも納得できるようになってきた。

服を決めるのに一時間悩むカグヤがいるくらいだ。

選択の決断にはそれなりにハードルがある。

それは痛みと表現しても良さそう。


「そんな気がしてきました」

「選択肢があまりにも似ていると、人はどちらを選べばいいのか決められなくなるの。

 そして、決断を先延ばしにすることで、結局は何も選ばない、という結果になることもあるわ」


わたしは考え込んだ。

ややこしいな。

ロバの話は、選べないだけで死んでしまうという荒唐無稽な物語。

でも実際の人生では、似たような選択に迷うことはよくある気がする。


「それって、占いと関係あるんですか?」


カグヤが不思議そうに尋ねた。


「もちろんよ。

 占い師に相談に来る方の多くは、何かしらの選択を迫られていることが多いの。

 どちらに進むべきか、何を選ぶべきか。

 その時に、占いは一つの指針となり、迷っている人を助けることがあるわ」


なんとなく分かった気がする。


「アゲハさんがやっている占いってそういうことですか?」


アゲハさんは大きく頷いた。

そして閉じた目でわたしたちを見つめながら話を続けた。


「そう。選択は痛みを伴うの。

 その痛みを和らげてあげるのが私の仕事よ」


選択の痛み。

普段は感じることのなかった痛みだけど。

そういうのを取り除く仕事があっても良い気がしてきた。


「例えばどんな痛みを和らげてきたんですか?」


カグヤが訊いてみる。


「中学生の女の子が『好きな人に告白しようか迷っている』って来ることが多いんだけど」

「あるあるですね」


いかにもな女子中学生の悩み。


「その子と話してみて良いところを見つけるの。

 それから『あなたにはこういう良いところがあるから自信を持って告白してきなさい』って言ってあげるのよ」

「それが、アゲハさんの占い……」

「そう。選択の痛みを和らげてあげるの

 特に科学的根拠があるわけでもない。

 霊能力的な後ろ盾があるわけでもない。

 でも、占い師っていう肩書の人からの言葉で助かる人はいっぱいいるわ」


やっぱり占い師というよりカウンセラーだった。


「……すごいですね」


わたしもカグヤも感心していた。

アゲハさんはゆっくり頷いて喋り出す。


「『ピュリダンのロバ』のように、選択肢に悩むことは誰にでも起こり得るわ。

 そして、迷い続けることで、最終的に何も選べず、大事な機会を逃してしまうこともあるの。

 でも、占いというのは、そんな迷いを解きほぐし、どちらか一方を選ぶための後押しをしてくれるのよ」


「立派な仕事だと思います!」

「ありがとう」


アゲハさんは優しく微笑んだ。

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