第27話 ピンチは突然やってくる⑫
――ドォン!
耳をつんざくような破壊音が後宮へ響き渡る。
「なんなの⁉」
私が慌てて音のほうへ顔を上げると、五角形の庭の対角線上に設置してあったガゼボが破壊されていた。
ガゼボは影も形もなくなり、砂埃だけがもうもうと立ち上っている。
その砂埃のなかで、獣のようななにかが蠢いているのがわかった。
「何事だ!」
その音に誰よりも迅速に反応したのがランスロットで、振り返るのとほぼ同時にガゼボから飛び出していた。
いつの間に抜いたのか、右手にはすでに剣が握られている。
「なにが起こっている! 報告せよ!」
「大型の魔物が後宮へ侵入いたしました! その数、十……いえ、およそ二十!」
「種類は⁉」
「オルトロス、そしてコカトリスです!」
ランスロットの質問に対し、濃藍色の詰め襟を着た青年がキビキビと答えてゆく。後宮の衛兵だろうか。
いや、後宮の衛兵は鈍い銀の甲冑を着けていたはずだ。
もしかしたら、濃藍色の制服の者はランスロットが連れてきた騎士団の者かもしれない。
それにしてもオルトロスとコカトリスってなに? マモノとはなんぞや?
なんか息子や娘が持っていたゲームソフトにそんな名前のモンスターがいて、夕食時に話してくれた記憶があるけれど。
私は遠くにある破壊されたガゼボへ目を凝らした。
砂埃が落ち着いてきたところから、馬以上の大きさの双頭の犬と、熊かと錯覚するほどの巨大さを持つ鶏が少しずつ姿を現し、けたたましく鳴いている。
なにアレ? あんな生き物、初めて見た。
仕事柄、怖いものには大概慣れているほうだと思っていたが、未知の大型生物が激しく動き回っている姿を見ると、さすがに足が竦みそうになる。
でも熊みたいな鶏は知らないが、双頭の犬にはなんとなく覚えがあった。
詳細は知らないが、確かギリシャ神話で出てきた猛犬の名が「オルトロス」だったはずだ。
「総員、抜剣! 逃げ遅れた者を退避させることを忘れるな!」
「はっ!」
「王国騎士団の名にかけて、侵入した魔物を速やかに殲滅せよ!」
部下たちの
(……――速い!)
光の速さとはよく言うが、まさにランスロットがそれだった。
人間が走る速度とは思えない速さで魔物へ駆け寄り、自分よりも大きな体を一刀両断してゆく。
それも単純に斬るだとか、首を落とすなんていうレベルではない。
彼が剣を振り下ろすだけで縦だろうが横だろうが、まるであらかじめ切れ目でも入れてあったかのように魔物が割れる。
あまりに美しく割れるものだから、斬られた魔物から血が飛び散ることがない。
だからランスロットの軍服はほとんど白に近い藍白色であるにもかかわらず、一切汚れることがないのだ。
しかも魔物と相対しながら、彼は部下への指示も忘れていない。
逃げ遅れた非戦闘員を助ける余裕もあるし、常に俯瞰的に状況を確認し判断して行動している。
ランスロットはこの国で最強の軍人であり、優秀な武官だということが嫌になるほど理解できた。
「あいかわらず凄まじいな、ランスのスキルは……」
ガゼボのなかで女官たちを守るように立っているグスターヴが、どこか羨ましそうな口調で呟く。
「スキル……」
スキルと聞くと、どうしてもビジネス関連のものを思いつくのだが、この世界でそれはさすがにないだろう。
いや、極端に言えばランスロットの仕事は騎士団総帥なのだから、武芸に特化したものであればビジネススキルと同じかもしれない。
「殿下、覚えておられませんか?」
グスターヴがふいに問いかけてきた。どこか含みのある、やわらかな微笑みを私へ向けながら。
だから私は、正直に答えることにした。どうせ、先ほどのランスロットとのやり取りで本物でないことはバレているはずだ。
「……そうね。知らないわ」
「知らない……と、仰いますか」
やはり、見透かしている。しかし追究するつもりはないのか、グスターヴは日だまりのように穏やかな微笑を浮かべたままだ。
「ずいぶんと素直なのですね」
その言葉に対し、私は返答することを避けた。
その代わり、厳しい現状だけを伝える。
「流れがこちらへ来ているわ」
先程からランスロットたちの行動を静観していたが、どうやら魔物たちはこのガゼボを目指して走っている。
そのため、騎士たちの集団が自然に私たちのほうへと流れているのだ。
私は重い体をなんとか立たせ、グスターヴの隣に立った。
「あれを見て」
私が指し示した先に、騎士たちの合間を抜け、けたたましい鳴き声をまき散らしながら突進してくる大型の鶏がいる。その背後には、双頭の犬もいた。
「ひっ……!」
私とともにガゼボで身を潜めていた女官の一人が、魔物を視認したとたん引きつるような声を上げる。
「ところで、あの魔物たち……どこから入ってきたのかしら?」
「えっ……?」
右手を前に出したグスターヴが、私の言葉を耳にするなり行動を止めた。
「後宮がどういう造りなのか知らないけれど、少なくとも、こうも簡単に敵が入れる場所ではないでしょう? ……いったい、誰が引き入れたのかしらね?」
私の発言に、フローラだけでなく女官たちも目を丸くしている。
しかし、グスターヴは冷静だった。
「……そのお話は、後ほど」
彼は短く答えると、それまで表情にたたえていた微笑を真顔に変じさせ、再び右手を前に出した。
「
彼が言葉を発したとたん、目の前に青い光が発せられ、アクアマリンのような輝きを持つ壁が生まれる。
その淡い水色の透明な壁が、ぐるりとガゼボを取り巻いた。
これも魔法のようだ。さしずめ魔法による防壁といったところか。
その壁に勢いよく駆けてきたコカトリスが頭からぶつかり、首をおかしな方向へ曲げてしまった。
バンッと大きな音がしたので、思わず肩を竦めてしまう。
くちばしから舌を出し、その場に力なく崩れ落ちたところを見ると、絶命したのかもしれない。
「鳥類の視力は人間の数倍はあるというけれど、魔物は違うのかしら」
「殿下、お下がりください。危のうございます」
フローラが背後から近寄り、控えめに告げてきた。
「そうね……っ!」
答えた瞬間、防壁にオルトロスが体当たりをし、その音のあまりの大きさに、私は両耳を両手でふさぎ、思わず目を閉じていた。
その後も体当たりをしては、魔法の防壁をガリガリと鋭い爪でひっかいている。
私は意図的にグスターヴから離れてみた。すると、四つの血走った目がギロリとこちらへ向き、体ごと私へと向かってきた。
(やはり、狙っているのは私のようね……)
オルトロスは何度も何度も、体を傷つけつことすら厭わずに体当たりをしてくる。
やがて騎士団員が討ちもらした魔物たちが、狂ったようにこちらへ駆けてきて、防壁への体当たりに加わった。
「っ……! 無理……か」
グスターヴが顔をしかめ、苦しげな声で呟く。
魔法の防壁には限界があるようだ。
それが術者の能力によるものなのか、それとも魔物の数のせいなのかが私には判断できないが。
「殿下!」
フローラが前に出て彼と同じように防壁を張ろうとしたが、その前に防壁が割れた。
とっさにフローラが私の前へ出る。私は反射的にその手を取り、半ば強引に彼女を背後へと引き戻した。
床へ転がるようにしてうしろへと放り出されたフローラが、焦燥感に満ちた声で叫んだ。
「なりません! 殿下!」
「殿下!」
グスターヴも私を庇おうと前に出たため、私は思いきり彼を突き飛ばしていた。
「あっ……――――ランスロットっ‼」
フローラよりもグスターヴのほうが幾分か冷静で、尻餅をついたまま大声でランスロットを呼んだ。
私はあの乱戦のなか、知人の声に反応したランスロットがこちらへ振り向いたのを視界の端で確認した。
(あーしまった。やってしまった……)
ほとんど条件反射だった。感覚が警察官のままだ。私のせいで死者を出してはいけないと考えるよりも先に体が動いていた。
オルトロスは嬉々として、私へ飛びかかってくる。
さすがに双頭の頭で喰らいつかれたら痛いだろうなどと、冷静に考えてしまう自分が怖い。すでに死期を悟ったせいだろうか。
――――いや、まだ諦めるな、私!
さっき生き残ると誓ったばかりでしょう! しっかりしなさい、月見彩良!
どうする? どうやったら助かる? 口のなかに拳でも打ち込んでみようか? 犬に手をかまれたら逆に押し込んだほうがいいと言うではないか。……いやいや、それはあくまで地球の犬の話であって、異世界の常識ではない。
馬よりデカい双頭の犬なんて、まず力で負ける。
それでも生き残れればいい。腕を失っても、顔に傷をつけられても、生きていればなんとかなるんだ!
「負けるわけにはいかない……!」
「意外に、怖いもの知らずだな」
この緊迫した事態に似合わない、のんびりとした口調が聞こえたと思った瞬間、目の前のオルトロスがものすごい勢いで地面へ叩きつけられた。
黒髪の男だった。
男は左腕に人間を抱えている状態でありながら、もう片方の手でオルトロスの首を地面へ押さえつけている。
自分よりもはるかに大きな魔物を片手で押さえ込むなど、とてもではないが人間業とは思えない。
「おまえは従魔だな。あとで解放してやるから――《眠れ》」
黒髪の男がオルトロスへ囁いたとたん、四つの眼がゆっくりと閉じられて、パタリとその場に伏せた。
私たちへ背を向けたまま、黒髪の男はうしろへ手を伸ばす。
突然、まばゆいばかりの青白い光がドーム型に変形し、ガゼボを包み込んだ。新しい壁が作られた、ということだろうか。
サファイアのような透明感のある青い輝きが眼前にある。
試しに目の前をノックしてみるとコンコンと甲高い音がした。
「防護結界……⁉ しかも、こんなに強力で大きなものを……!」
フローラが呆然としたように呟く。先ほどの魔法の防壁とは段違いの性能だということが、彼女の口調から理解できた。
「《落ちろ》」
こちらへ向かってくるオルトロスやコカトリスが、物理的な力を与えられていないにもかかわらず、男の声一つでとたんに地面へとめり込んでは気絶してゆく。
「なんなの……これ」
いったいなにが起こっているのか、それすらも理解できない。
ただ黒髪の男の指示どおりに、魔物たちは地面へ倒れたり眠ったりしてゆく。
ただ一つわかっていることは、男はランスロットと違い、魔物を殺す気はないということだけだ。
「さぁて、と」
黒髪の男はザッと周囲を見渡して動ける魔物がいなくなったことを確認すると、ガゼボにかけた防護結界とやらを解除した。
そうして、もう一度周囲を見渡す。
それから、どこかとぼけた口調でこう言った。
「あー、悪い。ここにランスロットっていう男はいるか?」
To be continued ……
――――――――――――――――――――――――――――――
●○●お礼・お願い●○●
最新話まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
もし彩良のような気の強いオバサンでも応援するぞ!
異世界でがんばれ!
……と思ってくださいましたら、
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