第21話 ピンチは突然やってくる⑥
嘘でしょう? とは思ったが、王女付き女官の長であるフローラがサラ王女に関することで冗談を言うとは思えない。
先程、平民への対応の仕方で苦言を呈するような人物だ。服装のしきたりにも厳しいはずだと簡単に予想できる。
そこまで考えて、私は日本にいる感覚で皆と話していたことに気がついた。
最初は軽いウォーキングからと思っていた。そのうえで中庭なら適当な服で……と考えて、今はっきり無理だとわかったのだ。
サラ王女の軽装が、まるで想像できない。
現代ならともかく、どう見てもヨーロッパの歴史建造物のような王宮や邸宅で、上下ジャージとかスエットなんて服装が存在するわけがない。
そういえばと、自室に隣接している衣装部屋へ入ったときのことを思い出す。室内で保管されていたのはほとんどがドレスで、運動に向いていそうな服装は見当たらなかった。
見たこともさわったこともないものばかりで、正直、自分一人では脱ぎ着できないとさえ感じたものばかりだ。
裾を引きずるモーニングドレスやイブニングドレスでウォーキングができないことは、さすがに私でもわかる。
宮廷作法はわからないけれど、王女がドレスを着て早歩きをするなんて、おそらくはしたないのだろうとも。
この際だから、ゆっくりと散歩しながら、改めて作法を教わるというのも良いかもしれない。
サラ王女はともかく、私は王侯貴族の作法や礼儀を知らない平民だ。
記憶喪失のフリをして学ばせてもらおう。
新たにアンたちから着せられたドレスは、ウォーキングドレスというらしい。
通常来ているドレスは裾を引きずるほどの長さだけれど、これはくるぶしくらいの長さだ。だから歩くという行動に向いているとされているのだろう。
現代人である私にはこれでも歩きにくいが……やむを得ない。
そういえば転生して初めて知ったのだが、王族や一部の高位貴族たちは自分で着替えをしない。
立ち上がって両手を広げれば、お付きの女官たちがせっせと着替えをしてくれる。とはいっても、コルセットの締め付け、背後の紐やボタンの組み合わせが複雑そうなドレスを一人で着るなんて、身分関係なく無理だけども。
だいたいコルセットの締め付けときたら……初めて着けたときはいろいろな意味で地獄かと思った。
サラの体が慣れているおかげか、締め付けに慣れるのは早かったものの、コルセットをしてあの食事量を食べるなど、正気の沙汰ではない。
着替えたウォーキングドレスは先程まで着ていた黄色ではなく、少し暗めの緑に変更された。たぶん、転んでもいいように汚れの目立ちにくい色合いを選んだのかもしれない。
うん、体は太いけど、いい感じだ。濃い色は少し締まって見える……気がする。
私が振り返ると、フローラが笑顔で告げた。
「では、参りましょう。殿下」
「えぇ、お願いするわ。フローラ」
☆★☆★☆
後宮の館は十邸あり、そのうち五邸が五角形のような形で中庭を取り囲んでいる。
もっとも王宮に近く、もっとも大きな館が第一の宮、通称「プリームム」だ。
第六からは第三と第四の背後に二棟ずつ等間隔で建てられており、第十の館まで続いている。これは第六から以降が第五の後から建てられたことや、立地的なことも関係しているのだろう。
後宮の中庭は、けっこう広い。
私のような日本人の感覚で「中庭」と聞くと、どうしても高級旅館や料亭などで見受けられる眺望に向いた庭園をイメージしてしまう。
もちろん、この庭も眺望に向いた造りをしているし充分に美しいのだが、いかんせんヨーロッパのそれと似ていることもあり、日本のわびさびの表現がふさわしい庭とはかなり異なるのだ。
さすがに高級料亭のような中庭でのウォーキングは無謀だが、この館の窓から見える中庭ならできるのではないかとずっと思っていた。
しかしさすがは王宮というか……。実際に降りてみると予想以上に広い。
中央の芝生だけでサッカーコート二~三面ぶんはあるのではないだろうか。真ん中にある噴水が涼しげに見える。
その芝生をぐるりと取り囲むようにして五角形の歩道が作られており、歩道から少し離れたところに二ヵ所の休憩所が建てられていた。
その端々に、美しく剪定された樹木や季節に合わせた鉢植えなどが無数に、しかし規則性をもって配置されている。
今日は快晴ということもあってか、明るい陽の光がいたるところに差し込み、緑も水も、建物さえも美しく見える。
「広い。それにきれいね……」
「王宮の中庭は、もっと広うございますよ」
「王宮?」
「ここは後宮、王宮の奥にある館でございますので」
ご記憶が戻るかもしれませんので一度行ってみましょうと、フローラは笑顔で言った。
王宮の中庭は、母であるサラ・ヴィクトリアとよく遊んでいた庭園らしい。
To be continued ……
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