ノットサイボーグ・ジジイ・アンド・ばあちゃん

 あたしのバッグに玉ねぎ入れたよね。

 帰宅早々問い詰めた石杖征一郎(78)は高枝切り鋏に見え透いたお世辞を繰り返すテレビを見つめながらなんのことじゃいとしゃあしゃあ言った。

 この際実の祖父だの後期高齢者だのは関係ない。祖父母の義体化比率は人を傷付ける道具じゃないが貴様はオーガニックジジイなのであたしとカードバトルで勝負しろ。しょぼくれた猪鹿蝶を雨四光でぶちのめしたあたしはこちらを親の仇のように睨みながら袖に札を仕込んでいただろうと繰り返すジジイに、そういうテメーはあたしのバッグに玉ねぎを仕込んだだろうがと返す。

 だってよくできたもん。

 その良く出来た玉ねぎを出来の悪い脳みそに叩きつけてやろうか。

 おかげでひどく恥を掻いたし散々笑われた。良い玉ねぎが出来たから学校に持ってけ配れとせっつくジジイを無視したツケを、まさかまさかこんな形で支払うことになるとは思いもしなかった。バレンタインデーに玉ねぎを貰って喜ぶのは死んだお前の息子だけであることを何故このジジイは分からないのか。

 柄にもなく萎れたジジイに振り上げた玉ねぎの行き場を失くし、あたしはそれをジジイの背後、仏壇に備えて線香を上げることにした。

 事故から三年。ジジイは未だに年中切らさぬよう玉ねぎを作り続けている。他ならぬジジイが食べれば下痢を起こすからこの家の食卓には上がらない玉ねぎを。


「おお、そうだ」

「なに」

 それであたしの怒りが治まるとでも思ったのか、ジジイはいそいそと仏壇脇に供えられた紙袋を手に取りジジイがビリビリと封を破く。ガキじゃあるまいし。てっきりお菓子か何かかと思ったあたしは紙袋の中身を見てぎょっとする。

「なにこれ……」

 紛うことなきご当地文具である。たぶんデザインから見て沖縄か、そうでなけりゃ台湾あたり。もちろんそのどちらにもジジイは行っていない。最悪なのは中に水着姿の女の人と水が入っていて、ひっくり返すと多分裸になることだ。そんなものを仏壇に供えるな。

「お前にやる」

 考え得る限りこれより下はあるまいという最低のお土産(お土産ではない)を手にしてジジイは間抜けな隙っ歯で笑う。差し歯でも入れればいいものを、何てこたあないさと頑なにその間抜けな隙間を埋めるのを拒否するのはたぶん歯医者が嫌いだからで、ガキじゃあるまいし、とあたしは見るたびに何もかもが馬鹿馬鹿しくなってしまう。

 玄関の引き戸の音で祖母の帰宅を悟って、あたしは仏前の座布団から腰を上げた。ばあちゃんはアップリケだらけの年季の入った買い物袋を抱えながら、玄関土間のバリアフルな段差をのっしと越えて入ってくる。


「ふみ子ちゃんが転んで骨折ったって?」

「うん。病院連れてって新しいの入れてもらった。孫に自慢してたよ。三級だって」

 そうなのねえ、と祖母は一言だけ返す。近頃ご近所さんは皆サイボーグで、誰もがメカニカルな肉体でオーガニックな野菜を作っている。農薬も化学肥料も一切使わず、しかし道の駅の販売棚では生産者の写真が機械化された己が肉体を競うように見せびらかしている。

 それは確かに高齢化するこの国の農業を救う天からの福音で、けれどどうにも奇妙で歪なこの国の市場の現状だった。それに文句を言うつもりはない。あたしはそうやって発達したサイボーグ技術に、人一倍身内の命を繋ぎ留めて貰っている立場なのだから。

 祖母の登場にこれ幸いとジジイは飯の話でこれまでの会話を押し流そうとして、唐突な「ばあさん飯はまだかのう」を更に唐突にぶった切って電話が鳴った。年寄り向けの固定電話は腹が立つほどに大音量で、早く誰かが受話器を取らなければ命に係わる。一番近くに居たのはばあちゃんで、立っていたのもばあちゃんだけだ。だから電話はばあちゃんが出た。はい、だの、ええ、だのを挟みながら相槌を打つばあちゃんが丁寧語で喋るので病院からの電話だとすぐわかる。ばあちゃんがそんなよそ行きの言葉で受け答えをするのは病院以外にありえない。

 けれどその受け答えに、何か大変なことを聞かされているのだという気配は傍から見たって明らかで、一体何事だろうとあたしとジジイの視線がばあちゃんを向く。

 漏れ聞こえる通話相手の声が、なんだか大変なことを言っているような気がしてあたしは前のめりに腰を浮かせて電話の終わりを待った。


「イッちゃん、もうすぐ目覚めるかもしれないですって」

 果たしてその報せにあたしもジジイもひっくり返るほど驚いて、慌ててわたわたと意味もなく居間をぐるぐる回って、それから病院に行かねばならないと気が付いてああでもないこうでもないと身支度を始める。 

 もたもたと支度する年寄りの速度に焦れ切ったあたしは取るものも取り敢えず、財布ひとつで駆け出していた。にっくきド辺鄙なこの家からは出てしばらくしないと公共交通機関もないし、一番早いバスより走った方が早い。病院に向かう。慣れない運動でげろげろになりながらもなんとか辿り着いて、エレベータで息を整えて受付で声を掛けると病室で待つように言われる。

 主治医の先生はすぐにやってきた。

 祖父母は後から来ますと伝えると、主治医は現状を簡潔に説明してくれた。もともといつ起きてもおかしくはなかったのだけれど、その兆候がようやく表れたのだと。

 今すぐとは言い切れない。けれど違うとも言えない。出来るだけ側に居てあげて欲しい。

 それだけ言うと主治医はまたどこかへ行ってしまった。

 弟と二人きりになった病室で、あたしはベッドの傍らのパイプ椅子に腰掛けて眠り続ける弟の横顔に指を伸べる。

 一時は無数に繋がれていたチューブの類はとっくに全て外されていて、残っているのは経管栄養の管と病衣の下の肉が薄い胸板に貼られた計器だけ。そこから続くモニタが脈拍を伝える電子音を規則正しく鳴らしている。強靭な人工臓器が何の支障もなくイツキを生かしている。

 今すぐにでも目を覚ましそうだと、ずっとそう思っていた。それが今、本当に目を覚ますかもしれないと聞いて、あたしはイツキの手を握って考えを巡らせる。

 イツキが起きたら何と声を掛けよう。

 そう考えたとき、怖気を催すほど冷たいものがあたしの身の内を滑り落ちるように舐めた。

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