第10話 魔法と呪文と詠唱と

 私が初級の風魔法をまだ覚え切っていないということで、まずは初級の風魔法をマスターしようという目標が定められた。


「上級で習得できる魔法の種類は、初級と大して変わらん。たとえば初級のライテンを強化したものが上級のライテンなのじゃ」


「はい」


「上級の魔法は詠唱や魔力の掛け方が異なるが、基本は初級と同じじゃ。ゆえに初級からマスターしていった方が、結果として魔法全体の習得の早さはよくなる。わかったな?」


 そうなのか。冒険者ギルドで教わっていない話だ。


「はい。わかりました」


「習得の早さだけでなく、初級の魔法は少ない魔力で行使できる分、使い勝手がよい。上級は強力じゃが、その分要求される魔力も高い。ゆえに状況に応じて初級を使い分けた方が疲れにくく、魔道師として優秀と評価されやすいじゃろう」


「要するに初級はコスパがいいということですね」


「コス、パ? 人間界ではそんな言葉もあるのか?」


 知らない言葉に対して素直に驚かれるユミス様がおかしかった。


「コスパはコストパフォーマンスの略です。魔力や労力の消費が少ないけど、相対的に恩恵が大きいことを『コスパが良い』と言うんですよ」


「おおっ、そうなんじゃな。その辺りの言葉、魔法の教義の後でよいから、もう少しわらわに教えてほしいぞ」


 夕食の後は人間界の言葉講座の時間が割り当てられそうだ。


「初級の風魔法ならば空気の刃を飛ばすエアスラッシュや、突風を発生させるウィンドブラストが有名かの。トルネードは……超級以降であったか」


「エアスラッシュとウィンドブラストでしたら、すでに習得しています。補助系の魔法はライテンしか習得できていません」


「ふむ。では矢や飛び道具から身をまもるアローガードから習得してみてはどうかな?」


「わかりました。お願いします」


 ユミス様がどこからともなく魔導書を取り出した。


「どこから魔導書を取り出したんですかっ」


「おほほ。秘密じゃ」


 ユミス様の力は底が知れない。


「初級のアローガードの詠唱は『天と風の流れを司る者よ、大気の激流をもって魔の射手から我の身を守れ』じゃな。まずはこの詠唱を暗記することじゃ」


 魔法は魔力を込めながら呪文を詠唱することで発動できる。


 魔力を使って精霊を呼び、呪文によって精霊に命令を与える。


 魔法を発動させる仕組みは複雑であるため、初級であっても習得できない冒険者は多い。


「魔法の基本は教えなくてよいな。じゃが、魔法を使う際にいちいち詠唱するのはかっこ悪いから、やめた方がよいぞ」


「はい……しかし、呪文を詠唱しないと魔法は使えないと思いますが」


 そうだ。ユミス様は呪文を詠唱しないでライテンを使っていたんだ。


「ん? 呪文は必要じゃが、いちいち口で唱えなくても魔法は使えるぞ?」


「そうなのですか? 私は初めて聞きましたが……」


 私とユミス様のお互いの頭にいくつもの疑問符が浮かび上がっていた。


「ひとまずアローガードの呪文を唱えてみい」


 呪文を詠唱してアローガードを発言させた。


 頭上から緑色の光が降り注ぎ、私のまわりに緩やかな気流が生まれた。


 私を中心に流れが渦を描くように風の防壁が発生していた。


「一発でできた……!」


「ふむ。魔法を修学する素養はあるようじゃな。どれどれ」


 ユミス様が近くの小石を拾って私に投げた。


 気流が小石を弾いた。


「初級のアローガードではこの程度であろう。軽いものならば弾き返せるが、凶悪な魔物が放つ魔法や勢いの強い矢は防げぬ」


「はい。上級のアローガードであれば、それらを防げるのでしょうか」


「微妙じゃな。矢は魔法の名前の通りに防げるであろうが、魔王級の魔物の攻撃を防ぐのは厳しいであろうな」


 上級であっても魔王の攻撃は防げないか。


「そうですか……」


「わかりやすく落ち込むでない。魔王を静めるのは、我々のような神であっても難しいのじゃ。人間であるそなたでやすやすと達成できることではない」


「はい。ユミス様のお力でしたら、ここにたとえ魔王が現れても静めることができるということなのですね」


 話の流れでそう返してみると、ユミス様が微妙な表情をされて……あなたもわかりやすいですね。


「おっ、おほ、おほほ。もう少し……人間たちの信仰が集まれば、その……なんとか、なる……やもしれぬ、な」


「現在のユミス様では魔王を静められないのですね」


「静められないとは言ってないであろう! その……ちょっとだけ、苦労する……やもと言ったまでのことじゃ!」


 ユミス様も神としてのプライドがあるんですね。


「単純な疑問なのですが、神様の方が魔王よりも上なんですね」


「当然じゃ。神は世界の頂点に立つ存在じゃ。魔王は神のはるか下じゃ」


 そうだったのか。信じていいのか少し迷うが、ユミス様のお言葉を信用しよう。


「では、勇者よりもユミス様の方が上なんですね」


「当然じゃ。勇者は魔王と同列じゃからの。どうして、そのようなことを聞く?」


「いえ、単純に疑問に感じただけです」


 ユミス様なら勇者ディートリヒに裁きを下すことができる。


 あいつらと会うことはもうないかもしれないが、ユミス様から天罰を下してほしいと思った。


「よくわからぬが、勇者も魔王もわらわにとって関係のない者たちじゃ。強いといっても、所詮は人間や魔物の域じゃからのう。それよりも詠唱じゃ。今度は詠唱しないでアローガードを使うのじゃ」


 のほほんとしていたらユミス様から無理難題が飛んできた。


「いえ、ですから呪文を詠唱しないと魔法は使えませんって」


「そんなことはない。古代人はたしか詠唱しないで魔法を使っておった。じゃから、そなたにもできる!」


 なんという無茶苦茶な。


 古代人なんて、いつに生きていたかわからない人々と同じように扱われるなんて、ひどいにも程があるじゃないか。


「あのな、ヴェン。呪文というのは心の中で唱えることができるのじゃ。念の力を高めて、念の力で呪文を唱える――すなわち、心で呪文を強く念じて魔力を高めるのじゃ。精霊たちは霊的な存在であるゆえ、そなたが呪文を強く念じれば命令を理解することができる。そうやって、古代人たちは魔法を使っておったのじゃよ」


 ユミス様の表情は真剣そのものだ。


「はい」


「呪文を口で唱えなければ魔法が使えないとしたら、それはお主が口で唱えていることに慣れすぎているか、それとも心が弱いかのどちらかじゃ。いいから、一度ためしてみい」


 心で呪文を強く念じて魔力を高める、か。


「要は呪文を心の中で念じればいいんですね」


「そうじゃ。まずはためしてみるのじゃ」


 心の中で呪文を念じる……


 天と風の流れを司る者よ、大気の激流をもって魔の射手から我の身を守れ、アローガード!


 目を強く見開く。


 先ほど発生した緑色の光と気流は……発生していない。


「ふむ。できなかったようじゃな。もう一回、やってみるのじゃ」


「は、はい」


 詠唱しないで魔法なんて使えるのか?


「言い忘れておったが、呪文をただ心の中で唱えるだけではだめじゃ。そなたが解放する魔力の流れ、精霊たちの存在、放つ魔法のイメージ……それらを複合的に想像するのじゃ」


「複合的って、なんですかそれ! そんなこと、普通の人間にできるわけないでしょうっ」


「ふむ。じゃが、古代人はできておったぞ」


 ああっ、もう!


 ユミス様の無茶ぶりがひどすぎるっ。


 こうなればヤケだ。複合的でもなんでもやってやろうじゃないか。


 魔法をイメージしながら呪文を唱える。


 風の精霊たちが飛ぶイメージをして、体内から魔力が流れていく様子もくわえながら、呪文を心の中で唱えて……


「って、できないよ! こんなの」


「もうちょいじゃっ。今のはいい線いってたぞ!」


 人間と神様をいっしょにしないでほしいよな……


 呪文を唱えながら精霊たちの存在を感じ、体内から魔力が流れていく様子も感じて、さらに呪文を続けていく。


 アローガードの魔法は緑色の光が降り注いで、気流が私を包み込むんだ。


 おそるおそる空を仰いで……緑色の、光だ。


 弱いけど私のまわりに風の流れが生まれているのを感じる。


「でき、た……?」


「不完全じゃが、発動はしたようじゃな。じゃが、まだまだ修行が必要じゃな」


 ユミス様が魔導書で口もとをおさえて、「ほほ」と笑った。

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