ヒーローは遅れて現れる


 マジェルジェが唱える言の葉の一言一句が待機を震わせ、周囲の生物に原初の恐怖を思い起こさせる。まだ日も高いというのに空に黒い星が現れ、耳障りな音を立てて空間をすりつぶしていく。すなわち、生み出された暗黒が世界を捕食する破壊の魔法。人の身に余る闇の魔法。解き放たれれば無しか残らない終焉の魔法。

 それを、焦るように、叫ぶように、マジェルジェは詠唱していく。

 ユウデンとフヨルは魔力の鎖に縛り上げられ、僅かに指先と首の上しか動かせない。魔法を使える者への拘束としては口をふさがないのは悪手である。しかし、マジェルジェが望んでいるのは、そもそも心中ではなかった。

 マジェルジェが泣きながら訴える。


「なんでよ!! 私は悪くない!! 私は愛されてる!! そうだ、謝れ! 謝れよ!! 許す許さないとか上から私を見るんじゃない!!」


 どうあがいてもマジェルジェは正気を取り戻さないだろうことは想像に難しくない。しかしこのままでは誰一人生き残れない。

 ユウデンは何も言わなかった。もはや言葉が何の意味も無いのだと、彼は諦めていたからだ。


―― フヨルが止めるからだ。


 脳裏で農民のユウデンが嘆くのを振り払い、に意識を集中させる。


 それとは逆に、フヨルはマジェルジェへ交渉を試みる。


「マジェルジェさん、その魔法を使ったら、あなただって……」

「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! ああ! お前のせいだ! お前のせいでこんなことになったんだ!! マウント気取りの気持ちが悪い奴め!」


 マジェルジェはフヨルの顔面に噛みつかんばかりに詰め寄る。

 それでもフヨルは、いつかの様に心を手放したりはしなかった。


「そうかもしれません。でも、今一番あなたを苦しめているのはあなただ」

「いいやお前だ! お前とこの男だ! お前たちが居たからこんなに! お前たちが私を認めないから! お前が私の欲しかった場所をかすめ取ったから! 全部お前が悪いんだ!! 男のくせに男に言い寄る気持ちの悪い異常者め!!」

「あなたは、強い人です!」


 フヨルはまっすぐにマジェルジェを見る。


「努力家で、見目麗しく、自信がある様に僕は憧れてます」

「いや、違う。お前はそんなこと思ってるはずない! 助かりたいだけだろうが!!」

「ええ、助かりたいです。それにはあなたも助からないと嫌なんです!」

「だから、何を助ける助けないと上から目線で言うんだよ! お前は小間使いでホモで後からやって来たカッコよくもなければ強くもない、そのくせに私のユウデンを奪った最低の奴なんだ! 嘘を口にするな偽善者!!」

「偽善だと思われてもそれでも! 誰かが苦しいのは嫌なんですよ!」

「お前に何が解る!!」

「解ります。失恋の苦しさも! 好きな人から責められる苦しさも! ばかりだから、僕には解るんです!!」


 フヨルの表情は強い意志を宿し、されど彼の頬を輝けるものが濡らす様を、マジェルジェは急に冷め始めた心で見つめる。その発言が嘘ではないのではないかと、マジェルジェの心を揺らし始めた。

 彼女の心の中で、ずっと黙り込んでいた物が騒ぎ出し、全身に拒否感を訴えかける。そして僅かな想像力が働いてしまった。その想像が、彼女の頭を強く殴りつける。「フヨルが言った言葉を、自分がフヨルに対して言えるか」と自問し……彼女の中に今まで感じたことのない感情が、それまでの彼女を殺した。

 そうして、彼女の口から洩れたのはたった一言。静かに、消え入るような声で。


「なにそれ……きもっ」


 言葉の内容とは裏腹に、マジェルジェの胸は締め付けられ、浮かんだ想像が彼女の荒れ果てた心に、理解できない悲しみを広げていく。もう彼女に戦う意思はなかった。

 だが、自滅の意志は残ったままだった。いや、悪化した。


「じゃあ、一緒に死んでくれるでしょ? 辛いの、解るでしょ」


 魔力の鎖を増やし、フヨルの口すらも覆う。交渉は最悪の形で決裂した。

 もはや滅びは免れられず、術者に被害の絶望と加害の絶望があればこそ、終わりは急速に迫る。

 万事はもはや助かることは無し。空を喰らう暗黒が、地面を咀嚼し始め、光すらも逃げ出し始めた。

 その時。沈黙を保っていたユウデンが口を開く。その言葉は、


「「間にあった!!」」


 唐突に現れた葉っぱの仮面の裸の男は、マジェルジェの顔面にドロップキックをねじ込んだ。

 マジェルジェの顔面が、音速を越えて現れたユウデンの現身の足に踏みつけられて、顔の皮や脂肪が大きくたゆんで歪む。ついでに歯の何本かが彼女の口から唾と共に飛び出し、鼻水と鼻血を噴きながら、彼女の身体は錐もみ回転して吹き飛ばされた。そのまま顔面から地面にぶつかり、二、三度バウンドしてから転がり止まった。彼女の気絶直前の光景は、現れた人形の股間を隠す葉っぱの向こうという、なんとも哀れな光景であった。

 ユウデンとフヨルを拘束する魔法の鎖は消え去り、間髪入れずに阿吽の呼吸でもって、マジェルジェが作り出した暗黒の魔法を、補助魔法のたっぷりとかかった聖剣で切り裂き、近隣の終焉は避けられた。

 そう、葉っぱの仮面と葉っぱの股間隠しをした、ほぼ裸のユウデン……スノーマンだ。

 ……いやなんだこれ。


 その様に、フヨルは呆れた様子でユウデンを問いただす。


「やっぱりそれ! ユウデン様のコピーですよね!? 件のレアアイテム使ったんですか!?」

「仕方がなかったんだよ! 緊急事態だったし! というか、今も緊急事態だったが、結果的に助かっただろう!?」


 それはそう。


「なんですけど……じゃあ、やっぱり『たかがトラブル』とか『追い出すのがフヨルのため』って発言はユウデン様の口から出てたんじゃないですか……」


 バレたくないことがバレ始め、ユウデンは否定の言葉を口にしようと思った。だが……


「ああ、そう、だな。フヨル……改まってなんだが」


 再度パーティー追放を受けるのか、あるいはこの期に及んで説教などされるのかと構えたフヨルに、ユウデンは頭を下げた。


「申し訳なかった!」


 一瞬の静寂。フヨルの魔物たちが、何処に隠れていたのか現れてフヨルの袖を引く。

 ユウデンは頭を上げずに続ける。


「俺は、マジェルジェの方を優先した。彼女との付き合いは長かったし、最初のパーティーメンバーだし、魔法使いはパーティーに欠かせないし、彼女の身の上を知っていたから……」


 フヨルが息を吸い込む。だが、それより早くユウデンがフヨルに向き直る。


「だが、だからと言って、パーティーのリーダーとして判断を誤ったのは事実だ。彼女の策略を見抜けなかった俺の失敗だ。彼女を甘やかし、彼女の悪しき行いを正当化させてしまっていた! 本当にすまなかった!」


 そして、困惑する様子のフヨルを前に今一度頭を下げた。


「フヨルが、望むなら、少しこのままでも構わない」


 頭を下げ続けるユウデンを前に、フヨルは笑ってユウデンの肩を叩く。


「それ、僕には『許さない』って選択肢が無いんですよ。僕もマジェルジェさんと同じです」


 ユウデンがフヨルの顔を見る。

 フヨルは、少し悲しそうに、けれど笑顔でユウデンに告白する。


「僕は、ユウデン様をお慕いしています。例え叶わぬ想いであっても。あなたは僕の光ですから……」


 そうして、気恥ずかしそうに、けれど万遍の笑みで……涙をこらえて。


「あなたを許さない選択肢なんて、僕には端から無いんですよ」

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