釣り


 フヨルがユウデンに付与した行動阻害の魔法は、ユウデンがその気になればすぐに振り払えるものだった。

 だが、ユウデンは動揺した。

 なぜフヨルがここに来たのか。自分が保ってきた“勇者”が突き崩されている最中を目撃された。まだフヨルと会う心の準備など到底できていない不意打ちの状態で、ユウデンの心は一つの惰性にしがみついた。


―― そうだ、この行動は、フヨルを北の賢者を名乗る不審者から遠ざけるためのものだ。


 ぼんやりとした頭でユウデンがそう答えようとするより速く、フヨルは険しい表情でユウデンを突き放した。


「周囲への被害を考えてください! 御自分の力がどれだけの効力があるのか、周囲にどれだけ被害を及ぼすのか、考えてください!」


 確かに、ユウデンが振るった聖剣による被害は、周囲の地形を変化させて余りある。じわりじわりと心の奥底から滲み出す何かから目を背けようとし、視界の端に北の賢者を見つけ、ユウデンは釈明する。


「違うんだ、聞いてくれ、フヨル! 預言者が言うには『追放したメンバーが二人目の魔王に関わる』と……それでフヨルが心配で俺は来たんだ! そしたらまんまと、得体のしれない奴が居たから……」


 そうして北の賢者をユウデンは睨みつける。

 預言者の予言は正確には違ったが、今はそのことはユウデンにはどうでも良かった。

 北の賢者を名乗るナニカは睨まれたことを鼻で笑い、フヨルに向き直って明るく話しかける。


「なあ、フヨル。こいつのどこが良いんだ? ボクにはとんと解らないな」


 それを言われたフヨルがチラリと北の賢者を見るが、無視してユウデンへと僅かに距離を詰めていく。


「ユウデン様、まずは聖剣を下ろしてください。話をするなら……ああ、珈琲を入れましょうか? ここから一番近い水源がどこか調べないといけませんが……」


 フヨルは顔と声こそ優しいが、拘束のための付与魔法は絶やさず、歩みはまるで肉食の魔物の檻を進むかのようだ。しかし腰はひけ、僅かに震えている様がユウデンには見えた。

 ユウデンを落ち着かせようとしているであろうこの動きはかなり効果覿面てきめんであり、ユウデンは落ち着きを取り戻した。というより、己を恥じた。


「フヨル……その、すまない。怖がらせたようだ」


 その一言に何より驚いたのは北の賢者を名乗るナニカだった。

 感嘆の声を洩らしつつも、表情は大罪人が末期に綺麗事を述べたのを聞いた時のそれであり、眉間に深く刻まれたしわが不快感を隠しもしない。

 その様にユウデンは、フヨルの行動阻害の付与魔法を受けたまま、思わず苦言を洩らした。


「なんだその表情は! そもそもお前が居たからこんなことに……」

「え、ちょ、ちょっと待ってください!」


 その苦言をフヨルが止め、続けてユウデンに確認する。


「あの、彼が……見えてるんですか?」


 ユウデンはふっと、自身が超知覚の魔法でフヨルを追いかけていたことを思い出した。そもそも、知覚を強化して遠く離れたフヨルを常に眺めていたことも思い出した。ついでに、毎朝朝の自炊をするフヨルの傍に意識を飛ばして疑似的な食卓を囲むようなことなどをしていたことも思い出してしまった。


「いや……見えてない」


 咄嗟に取り繕ったが、北の賢者が笑いながらそれを否定した。


「いやいや、今更無理でしょ。フヨル、彼にもボクは見えてるよ」


 フヨルは少しの間固まり、その後その場にしゃがみ込み、何かをぶつぶつとつぶやいた後、二人を交互に見て恐る恐ると口にする。


「てっきり、その、彼は僕の『子供の頃の空想上の友達』とかそういうのかと……」

「じゃあなんで今ボクはフヨルに見えてるんだよ。それにユウデンにも認識されてる。だから実在する存在だよ。まあ、まだフヨルはおこちゃまかもしれないけど」

「ちょっと! 子ども扱いされる年でもないんだけど!?」


 ユウデンは、自身のストーキングがバレなかったようで胸をなでおろしつつ……少し冷静さを取り戻してきた頭に、無視できない疑念が過る。


「待て、なら北の賢者を名乗る貴様は、本当に何者なのだ? まさか本当に魔王と関わりがあるのか?」


 フヨルは北の賢者の顔を驚いた様子で見る。


「北の、賢者? 賢者ってあれでしょう? おとぎ話の……ハル、君そんなの名乗ってたの? というか、僕にはそう名乗ったこと無かったくせに」


 どこかすねた様子のフヨルを他所に、ハルと呼ばれた北の賢者はため息交じりに口を開いた。


「幼い頃の君に『北の賢者です』って名乗ったら、君は間違いなく村から追い出されたでしょうが。ボクが見えるってことだけで幼少期は仲間外れにされてただろ? まあ、北の賢者ってのは本当なんだけど……」


 そうして、警戒心を隠さなくなったユウデンを見る。

 ユウデンはフヨルの行動阻害の付与魔法を自力で引きちぎるように脱出し、フヨルとハルの間に割って入る。一度降ろした聖剣を今一度構えながら。


「そんな神話上の存在を名乗る、肉体を持たない得体のしれない奴が、うちのパーティメンバーの傍に居るのは看過できないな」


 フヨルは聖剣を今一度構えたことに注意しようとしたが、ユウデンが自身をパーティメンバーだと言ったことに頬を緩めて進言をするタイミングを見失ってしまった。

 ユウデンのその言葉に対し、北の賢者は嘲笑する。


「何言ってるんだよ。君が、フヨルを追い出したんだろう? 君が、決めて、パーティメンバーじゃなくしたんじゃないか。それを都合よく、よくもまあぬけぬけと……やっぱだめだ、フヨル。こいつは面の皮が厚すぎる。所詮は、勇者の適性が無い……」

「黙れ!!」


 ユウデンは北の賢者の言葉を遮る。


「貴様が肉体を持たぬなら、それでいてフヨルを邪悪な方向へ導く存在なら、その口こそが、言葉こそが邪悪の源! 貴様の偽りの言葉など聞く耳持たん!」


 北の賢者は勇者ユウデンがフヨルを後ろ手にかばうようにしている様を、まるで寝具に潜り込んだ害虫を見るような目で見ろした。


「偽りの言葉とは、どの口が言うか……」


 北の賢者は、それならば、と代替的に手を広げてユウデンを誘う。


「それじゃあ、こういうんだな? 『フヨルは自分の大切な仲間の一人だ』と」

「ああ! 何と言われようと、その事は事実だ!」


 ユウデンの中で何かが落ち着く気がした。

 フヨルを追い出して以来、ごろりごろりと胸の中で肥大化していくそれが、にわかに収まった気がしたのだ。だからこそ、ユウデンは大々的に口にする。


「そうだ! フヨルを再度、パーティに加入させる!」


 その一言に、北の賢者は大きなため息と共に、今にも襲い掛からんとユウデンを睨みつけ……







 勝利を確信した笑い声と共に、手を叩いて言祝ぐ。


「いいじゃないか! その一言。吐いた以上は呑み込めないぞ?」


 問題があるとすれば、その一言をユウデンが聞かせる気が無い者が聞いていたことだろう。

 北の賢者は、まるで舞台袖から現れるメイン女優を紹介するように、お辞儀をして道をあける。

 そうして、は、涙を浮かべた笑顔で、隠しきれない凶兆を浮かべた顔でユウデンとフヨルの前に現れた。

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