北の賢者


 大地を蹴り上げて、あらゆる周囲の物を置いてきぼりにしながらユウデンは走る。顔の皮などが空気抵抗で後ろに引っ張られつつも、ユウデンは空気の壁を越えていく。自身が走ることで生じる衝撃波が周囲へ影響を及ぼすのを魔法で保護しながら、且つ、できうる限りの速度上昇をかけ続け、フヨルを確認した場所までほんの少しのところでユウデンは立ち止まる。立ち止まる際に大地を抉り、落雷のような音を立てる。隠れるつもりはあるのかと周囲に人がいれば聞いていたことであろう。


 もちろん隠れるつもりのあるユウデンは、隠密の魔法を自身にかけていく。多くの生き物から知覚されないほどの魔法を重ね、ユウデンが発するあらゆる音が虚空へ消える。存在そのものが空間、時間に希釈され、あるいは人々の記憶からも消えかける。冥府から訪れる死神すら見失うほどの隠密の魔法を自身にかけて、ゆっくりとユウデンは歩を進めていく。


「しまった。調子に乗って隠密の魔法をかけすぎた。走ると魔法が溶けそうだ。やはり、俺は魔法は苦手だな」


 どの口が、と周囲に言われそうな言葉を口にするユウデンだが、実際彼はそう思っている。

 確かにマジェルジェなど更に魔法の才能に富んだ者なら、隠密の魔法をかけながら走ることもたやすいだろう(もちろん、肉体的に走る速度に明確な差はあるだろうが)。

 ユウデンは良くも悪くも真面目過ぎるのだ。そして何より自分という物が“勇者を目指して真似ただけの者”と思い続けている限り、りきみ過ぎることも過ぎた謙虚も、彼は止めることができないだろう。


 日が頭上を通り過ぎた頃、ユウデンはフヨルの野営していた跡地へたどり着いた。


「火が消えてからあまり時間はたっていないな」


 ユウデンのぼやく言葉は隠密の魔法に隠され、焚火を触っても炎が彼を知覚しない。

 僅かな手掛かりを探り、フヨルの足取りを辿るため、顔を地面に押し付ける。


「食べ残しが落ちている……」


 僅かに零れたであろう小さな小さな野菜くずを見つけ、それの臭いを可視化する魔法を唱える。すると、オレンジ色のクレヨンで引いたような線が空中に漂う。その線の先をまた近くの魔法で探り、意識だけでまず追いかけてみる。


 ユウデンの意識は草をかき分け、魔物を連れ立って人里から離れていくフヨルの後姿を見つける。

 その傍には、ユウデンの知らない件の少年も居る。


「やはり、誰だか知らない者だな」


 ユウデンの意識は、隠密の魔法にかこつけてその少年の端正な顔を覗き込む。やはりユウデンの知らない人物だ。

 だが何より驚いたのは……ことだ。


「!?」


 咄嗟のことにユウデンの意識は現実に引き戻される。

 ユウデンは自身に多量の隠密の魔法をかけていたはずだ。それこそ、一部の常識や現象すら彼を認識できないほど強固な隠密がかけられているはずの自身に向かってほほ笑むとは、いったいどういうことなのか。いや、そもそも、今回使った魔法は、意識のみを飛ばす魔法であるはず。肉体を持たない相手を認識するとは……余程強力な知覚の魔法が使えるということになるが……

 それは底知れぬ恐怖心をユウデンの中に芽生えさせた。


「あり得ない。いや、あるいは……あれが」


 だが、それがユウデンの中で火をつける。


「あれが、二人目の魔王に違いない!」


 すなわち、フヨルを助けるという名目をより強くユウデンは意識する。

 魔物をフヨルが引き連れるようになっていたのも、あの二人目の魔王と思われる少年が原因だろう。

 僅かに疑問や疑念がユウデンの中に生まれたが、どこかユウデンはこの事態を喜ばしく感じていた。ならば、フヨルに接触する大義名分になるのではないか、などと考えたが……間髪入れずにその考えを否定する。


「いや、フヨルは……俺に怒っているかもしれない」


 スノーマンとして接触した際「トラブルなんて気にするな」というつもりでかけた言葉が、フヨルにはそうは聞こえなかった。だからああいった反応をしたのだ。会いたくもない相手が会いに行って、今まさに仲の良い相手のことを「そいつは危険だ!」と言ったなら……関係はさらに悪化するだろうことは想像に難しくない。


「怒ってるよな」


 そもそも、追放の最終決定をしたのはユウデン自身だ。

 フヨルがあの時何も言わなかったからこそ追い出したのだ、と自分に言い聞かせていたが、パーティリーダーの決定に素直に従ったのだとも言える。パーティリーダーの自身に賛同した結果だとも。

 そもそも、こうして怒っている相手を呼び止めるのも、接触するのも、それは間違いなくユウデン自身にとって辛いことになるのは目に見えている。正直億劫だ。面倒だ。投げ出してしまいたい。もう知らなかったことにしてしまいたい。

 それ以前に、フヨルに何かが有ってもそれは自分の責任になるのだろうか? いや、ならない。なってない。ユウデンはそう自分に言い聞かせながらも、現状に胸は詰まり後悔はここまでフヨルを追いかけさせた。フヨルの様子を確認し続けた。

 ではこの感情はなんだ? 自身はどうするべきだ?



 悩むユウデンの傍に、何かが近づいてくる気配がする。

 何か、と称したのは、その姿を目視出来ないからだ。気配を感じるのに存在が見えない。得体のしれない何かが自分の傍に近づいてきている。

 ユウデンは悩みを脇に置き、知覚能力を上げる魔法を自身に重ね掛けし、得体のしれないモノを確認しようとする。

 ユウデンは直観で、それが何か察した。


「付けてきたのか。俺の意識が肉体の戻るのを」


 得体のしれないモノ……フヨルの傍に居た少年のようなナニカが、ユウデンの目の前に居る。

 その得体のしれないモノは、端正な顔立ちをした少年の姿を、知覚の魔法の上では確認できた。しかし、肉眼ではその姿は確認できない。まるで、ユウデンのように意識だけを飛ばしているかのように。

 そしてそれは、ユウデンにはっきりと聞こえる、しかし音ではない伝達方法で、ユウデンに名乗った。


「ごきげんよう、ユウデン。君に会いに来たんだ」


 少年は古い古い名乗り名を名乗った。解る者にだけ解るその符号としての呼び名を。


「僕は、北の賢者と呼ばれていた者だ」

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