勇者はいつだって……
そも、勇者とは何者なのか。
勇者とは、魔族とそれを率いる魔王を対処するために人族に発生する特異点である。魔王が魔族を変える切っ掛けであるように、両者が関わることで世界を様変わりさせる歯車、いわば世界のシステムである。
本人の意志の是非を問わず旅立ち、当代の優れた者を束ね上げ、少数精鋭で魔族を撃ち滅ぼしていく様は人々の希望である。もちろん、すべてが成せるわけではない以上、助けた者から石を投げられたりすることもある。最終的には魔王討伐を終えた勇者はどこへともなく消えていくのが歴史の常であるのだとか……その真偽は確かめられていないが、碌な終わり方は向かえないことは人族の間で無意識下では共通認識となっている。
では、勇者ユウデン・フロイデという男は何者なのか。
彼は幼い頃、イショサという小さな農村で育った物静かな文学少年であった。貧しい農村故に、旅人が忘れていった太古の勇者の冒険譚を、本が形を成さなくなるまで読み込み、その世界にあこがれを強く抱いた。その憧れが、彼の魂を育て上げたが、勇者の適性は現れていなかった。十代も中ごろには奉公へ出されたが、奉公先が魔物の群れにより壊滅。
この時、彼は何を思ったのか、勇者を名乗り人助けを始めた。もちろん、彼は勇者ではない……まだこの時は。理想の勇者を演じ上げ、それに見合うように自己を鍛え上げた。独学で魔術を収め、時に指導を受け、なによりも憧れた勇者のようにあろうと演じあげた。しかしそうしているうちに、嘘は真になっていく。命と魔術師としての魂を助けた魔術師が収めた一子相伝を受け継ぎ、とあるアイテム屋の最期を看取ったことで伝説級のアイテムを託され、あるいはこの世ならざる存在に剣の師事を受けた。そうして気が付けば、当代の勇者に彼はなっていたのだ。
すなわち、ユウデン・フロイデとは“かくありたい”と望み勇者に至ったものである。しかし同時にそれは根本に常に不安を抱え込むことになる。「いつか本性が漏れるのではないか。本当は勇者ではないと知られるのではないか」とは、もはや彼のみの心配なのだが……なにせ、どこからどう見ても、彼はもう本当に勇者なのだから。
そんな彼が集めた、いや、彼の元へ集ったパーティメンバーはどれも色濃い。
魔法使いマジェルジェは最初の旅の仲間であり、気難しいが魔法を数多く収め、少々過剰なぐらいの努力家であるところはユウデンも尊敬するほどだった。
聖者セイシルは二人目の旅の仲間。いつも冷静で、ともすれば覚めている。しかし常に冷静な回復役というのは旅ではとても重要だ。
騎士キーシェは少し抜けている所がある三人目の仲間。天性の頑丈な肉体。ユウデンをして舌を巻く胆力。常に明るく嘘のつけない性格は尊いものだ。
そして、四人目として加入したのが付与術師のフヨルだ。付与術師と名乗ってはいるが、実際のところは小間使いの少年が付与魔法……所謂
だからこそ、ユウデンは昨日の失敗を取り返したいと考えた。
勇者が本気になれば、隠れている魔将でもない存在などすぐさま発見できる。言い知れぬ不安感から唱えあげた魔術は幾重に重なり、もはや神代の域に達するレベルの魔法を行使するに至る。
草木が水を吸い上げる音、菌糸の芽吹き、芋虫の足音、妖精の欠伸、命の巡りすら知覚してフヨルの足取りを追いかける。既に泥濘に消えた足跡から、そこから伸びる脛骨を辿り、僅かに鼻をすすりながら歩くフヨルの呼吸を聞き届ける。その頬に付いた涙の跡がフヨルの顔の産毛を倒している様すら触っているかのように知覚できる。つまり、今どこに居るかなど手に取るように解る。おおよそここから常人の足で歩いて一日の距離。……少々過剰な気がしないでもない。
「居た……!」
ここで鞄から二百年前のダンジョンで見つけた
が、ここでユウデンの脳裏に勇者ユウデンが冷静な囁きを与える。
―― 待て。こんなレアなアイテムを使って良いのか?
仮にも消耗品である。元々はダンジョンの最奥に居た
更に根が真面目なユウデン本人が追撃する。
―― パーティの共有財産を使うのは如何なものか。
などと考えている間に、フヨルは着実に離れていく。
一瞬の迷いが物理的な距離となって離れていく。
―― そもそも、フヨルも離れたがっていたのではないか? それなら連れ戻すわけにはいかない。パーティメンバーの満場一致で追放したのではないか。
次第に、農民であったころのユウデンが顔を出して来る。
―― 俺はフヨルにパーティに居て欲しいと思っていたが、フヨルはこんな偽物なんて。そうだ。離れたガッてたンダ。本当は嫌ワレてイタんダ。ソウに違イナイ。ダカラ仕方ガない。諦メルシカ……
だが、農民であるユウデンが呼び起こされたことで、その更に奥に居た誰かが、彼を叱咤する。
―― だけど、泣いてたじゃないか。
過剰な知覚魔法によりもたらされた情報が、今一度ユウデンを奮い立たせる。
脳内に現れた“勇者ユウデン”を納得させるため、アーティファクトは使用しない。自前の魔力だけで何とか、フヨルに追いつくことを選ぶ。
アーティファクトの力を借りずに長距離を魔法で移動する術は確かに存在する。だが、それは世界の法則を書き換える類の魔法である。常人では行使はできないだろう。
……常人であれば。
とはいえ、代償として払う魔力量は尋常ではない。鞄から魔力補強のための
ここまですれば大丈夫だろう。だがもし魔力が足りなかった場合、最悪の事態もあり得るのがこのレベルの魔法である。なお余談だが、過剰なほどなので心配はいらないのだが。
「よし、やるぞ……やるぞ!」
覚悟を決め、幾重にまた魔法を重ね、距離の概念に孔を穿つ。世界の不変の法則である“遠い”ということを一時的に無かったことにする。空間を折り曲げていくにつれ、空は歪み、地面は折りたたまれ、世界の色と造詣が白と黒に溶けて、白面を這う黒い蛇へと置き換わり……
「なにしてるの!?」
突如、ユウデンの背後からマジェルジェの怒鳴り声が聞こえ、膨大な魔力は魔法の行使を待たずして霧散する。霧散した魔力が周囲の草木をなぎ倒す暴風となって吹き荒れるのを、マジェルジェが片手で振り払う。その騒ぎに残りのメンバーも目を覚ました。
かくして、ユウデンは、フヨルを見失った。
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