第3話 8の世界
「キャーッ!!」
エイトの後を追って壁の中に吸い込まれたまでは良かったが、足が地に付かずに何処かの高い所なのか落ちていく。
このまま落ち続けたら命はないかも知れない。
頭が混乱する。
「イヤーッ!!」
前に体験したスカイダイビングの記憶がリンクする。
でもこれは遊びじゃない。
気を失いかけた時に背面で何か柔らかい物に沈み込むような感覚があった。
目を開けるとそこには巨大なエイトの顔がある。
「えっ?エイト……?」
私はそのまま気を失ってしまい、目覚めた時には見たこともない世界を目にしていた。
自分の住む世界と何処か似ているが、目に入る書かれた文字らしき物などは全く意味が分からない。
「おはよう、ナナ。」
私が何度もまた聞きたいと願ったあの声がする。
「エイト?」
「うん。」
「あの……でも……エイト……私……」
巨大なエイトが目の前にいて、どうやら私はその手の中にいるようだ。
「そうだね。何処から説明しようかな……うーん、ナナには今僕がどんなふうに見えている?」
「エイト……エイトが凄く大きく……」
「うん。ナナ、驚かないでね。今ナナは僕らの世界、つまり此方側にいるんだ。僕が向こう側に行くと小さくなっていたように今度はナナが此方に来て小さくなってしまっているんだ。」
「えっ?なんで?」
「うーん、仕組み……としか云いようがないんだ。」
「じゃあ私はここにいる間はずっとこの大きさのままなの?」
「うん、僕が向こうでそうだったようにね。」
よく分からないが不安と絶望感のようなものが押し寄せる。
「私……どうしよう……帰りたいのに帰りたくない。」
自分でも支離滅裂な事を言っているのが分かる。
「落ち着いてからゆっくり考えるといいよ、安心して。ここは僕の家だよ。ナナが僕にしてくれたように僕はナナを全力で助けるよ。帰りたいなら僕がいつでも帰してあげる。」
微笑むエイトを見て嬉しくも複雑な気持ちは拭えなかった。
やっとエイトに逢えたのに自分がこんな姿になろうとは……。
自分を取り囲む物全てが巨大な世界。
私はこの先どうなるのだろうか。
それとも大人しく自分の世界に帰して貰おうか……
いや、折角エイトに逢えたのに?
色々考えているうちに気が滅入ってきて私はそのまま眠っていた。
目が覚めるとエイトの背中が見える。
何かを作っているようだ。
「おはよう、ナナ。ちょっとこれを見て。」
「あ……」
それは御世辞にも素晴らしいとは言えなかったが、エイトが一生懸命作ってくれたであろう私の家にあったドールハウスを模した物だった。
「ナナ、どうかな?あんまり上手く出来たとは言えないけど、これなら落ち着けるかも知れないと思ってね……」
「ううん。凄いよ、エイト。私の為にありがとう。向こうのドールハウスはね、機械が作ってるの。そう考えたらエイトは天才だよ。」
私は小さなベッドに早速潜り込んだ。
寝心地も悪くはない。
それよりエイトの思いやりが何よりも嬉しかった。
こうして此方での私の生活は始まった。
満員電車に揺られて会社に行く事もない。
恐らく向こうで私は年間一万人はいるという行方不明者の一人にでもなるのだろう。
「次にちゃんと埋め合わせするから。」
別れ際に職場の彼に投げ掛けた言葉は申し訳ないが叶えられない約束になった。
彼に関しては私じゃなくてもすぐに素敵な彼女が出来るだろうという思いからあまり罪悪感のようなものはなかった。
私の日常はシンプルなものだった。
エイトのように目的がある訳でもなく、ただエイトの傍で暮らしている。
だが、何もしないのはあまりにも退屈だったので此方の文字を覚える事と自分の部屋、その周囲の掃除は日課にした。
日々、薬の研究をするエイトの姿を見ながら彼の為に自分に何が出来るのかを考えた。
向こうではエイトは私の癒しだった。
私もエイトの癒しになれないだろうか?
思えば向こうで私はいつもエイトに愚痴を溢し、不満だらけでつくづく嫌な女だった。
エイトは此方でもいつも穏やかで二人で話す内容もポジティブなものばかりだ。
先ずは私もエイトを見習おうと思った。
するとエイトとの生活はますます楽しいものになり、私は向こう側の世界を過去の思い出としてどんどん自分の中から遠避けていった。
どれくらいの時間が過ぎただろうか……
ある日エイトが嬉しそうに私に言った。
「ナナ、ようやく完成したよ。向こうへ行っても僕が小さくならない薬が。」
「本当、おめでとう!!」
私を見ながらエイトはこうも言った。
「ただね……」
「ん?」
「薬というものには副作用ある。これはどんな副作用があるかまだ分からないんだ。でも完成した以上は試したい……ナナ、僕は向こうへ行くけど一緒に来る?」
「えっ?向こうへ?」
「そう、向こうで一緒に暮らすなんてどう?」
戻ればまた一からやり直しだ。
どれだけ月日が経ったのかも分からない。
とっくに会社なんかに自分の席はないだろうし、住まいもなくなっているだろう。
再就職に不動産屋巡り……自分の預貯金はどうなっているのか……家族は?いきなり失踪した人間に帰る場所なんてあるのだろうか?
一気に気分が重くなる。
「どうしたの?ナナ。向こうへ戻りたくないの?」
「分からない……私、ここにいて幸せなの……」
「でも、ナナはずっとその姿のままでいいの?」
「それは……」
「僕としてはようやく完成したこの薬を試したいんだ。」
「そんなの……駄目。どんな副作用があるかも分からないのに……ねぇ、今回は保留にしない?ほら、何かの動物とかで薬を試すとか……」
「それは出来ないよ。この世界ではね、誰かの為にどんな命でも犠牲にしてはならないんだ。」
「じゃあ今までどうやって薬の開発はされてきたの?」
「それは作った本人かその家族が試すんだ。家族は例外で本人と同等なんだ。ナナには言ってなかったけど……僕の仕事はこの世界では大罪人が背負う職業なんだよ。」
「大罪人?……エイトが?」
「うん。今まで黙っていてごめん。ナナが此方に来るとは思ってなくて……ずっと隠していたんだ。」
「……エイトの大罪って……何?」
エイトは深い溜め息をついて悲しげな表情でゆっくり話を始めた。
「僕の父親はね、僕と同じく薬の開発を生業としていたんだ。何故、父がこの職業に就いたのかは僕も知らない。子供の頃、何も知らない僕は父親を誇りに思っていたよ。こんなに世の為人の為になる仕事はないって。」
「うん。」
「ある日、父が新薬の開発に成功してね。さっきも言ったけど新薬は本人か家族に試される。その時の被験者は僕の母親だったんだ。」
エイトの顔が曇っていく。
「うん。」
「初めは何も起こらなかった。でも数時間後にそれは起きたんだ。母が急に苦しみ出して気を失ったんだ……その母を見て父は慌てていたよ。子供の僕は母親を助けたくて父の目を盗んで別の薬を眠る母親に飲ませた。そしたら……」
「そう……わかった……もう話さなくていいから……ごめんなさい。辛い事を思い出させてしまって……」
「いいんだ、ナナ。最後まで聞いて。僕がした事は間違いだったんだよ。そしてそんな僕を庇って父親は罪を全部背負って母親の後を追った。何も知らない周りの大人達は残された僕が不憫だと言ってね、色々手助けしてくれた。でも僕は自分がした事を忘れない為にこの職に就いたんだ。この仕事は僕に相応しいんだよ。」
「エイト……話してくれてありがとう。」
泣きながら言う私にエイトは
「ナナ、泣かないで……聞いてくれてありがとう。」
目に涙を浮かべて微笑んでいた。
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