第2話 7と彼
先日同僚が軽く発した言葉が頭から離れずにエイトにその話をした。
エイトは首をかしげ
「その概念は分からないよ。」とだけ言った。
私もエイトに答えを求めるのは何だか違う気がしてその話はそれっきりするのをやめた。
それから数ヶ月の間、エイトの目的である材料集めに同行した。
一緒に海や山に森林や砂丘、様々な場所へ行った。
時には喧嘩もしたが、同じ景色を見て感動したり笑い合う事の方が多い。
私はこの小さな生き物がどんどん好きになっていった。
エイトに私の気持ちを伝えると
「僕もだよ。」
ニッコリ笑ってそう答えてくれた。
腹立たしい事しか起きない通勤電車の中や明日の家賃の為に心をすり減らしてまで耐える毎日八時間の労働時間もエイトの姿を思い浮かべると辛さが和らぐ。
早く家に帰りたい。
今日の夜はエイトと何を話そうか。
毎日夕方が近付くにつれてエイトに早く会いたいという気持ちが募る。
「ただいまー!エイト!!……あれ?」
いつもなら玄関までフワフワと飛びながら迎えに来てくれるはずが今日はそれがなかった。
「あれ?エイト?いる?」
靴を掃き捨ててドールハウスへ向かう。
「寝てる?」
中を覗くもその姿がない。
もしかしたら今日はいつもよりも遠くに行っていて帰りが遅いのかも知れない。
エイトは家の壁や窓ガラス等をすり抜けて入って来られるが、なんとなく窓を開けて帰りを待つ。
「ただいま、ナナ。」
エイトが帰って来た。
泣きそうになる自分をひた隠しに平静を装う。
「もーう、遅かったから心配したじゃない。今日は何処へ行っていたの?」
「あぁ、海だよ。前回取り忘れた物があってね。」
「そう、お帰りなさい。あっ、御飯出来てるよ。」
「ありがとう、ナナ。」
今日の出来事をお互いに話す。
「そう言えばエイト、うちに来てだいぶ経つけど材料集めは順調?」
「うん。」
「あのね……もし、もしも材料が全て集まったらエイトは自分の世界に帰ってしまうでしょ?」
「うん。」
「あの、そしたら……もう……もう会えなくなるのかな?」
「ナナはそう思うの?」
「だって……そうでしょ?エイトには目的があってそれが済んだら……」
「材料が全部集まって向こうへ帰ってもまた僕が此方へ来ればいいだけの話でしょ?そんなに悲しむ事じゃないよ。」
「そう……そっか……良かった……」
今度こそ本当に泣きそうになっている私の顔を見てエイトはニッコリ微笑みながら
「ナナ、悲しまないで。僕はいつも隣にいるよ。」
私が求める完璧な言葉をくれる。
翌日は二人で山に行き、名前も知らない雑草の葉を手に入れると此方を振り返りながらエイトは言った。
「ナナ、ありがとう。多分これで材料は揃ったよ。」
「そう、良かった……じゃあ家に帰……」
私の言葉を最後まで聞かずにエイトは言った。
「じゃあ、ナナ。僕は一度向こうに行くね。」
それだけ言ってエイトはそのまま山の中にある一本の木の幹に手を当てるとスゥーっと吸い込まれるように消えた。
「えっ?嘘……そんな……」
それはあまりに呆気なく、私は山中に一人取り残されてショックのあまり暫く動けなくなった。
何時間かそこに居ただろうか。
もしかしたらエイトがすぐに戻って来るかと期待して待ったがその様子はなかった。
夕日が落ちかけてきたので一人で山を降りる。
帰りの電車の中ではエイトの事ばかり考えていた。
もはや他人を気にする余裕もない。
大丈夫、エイトは帰って来る……私のドールハウスのベッドで寝顔を見せてくれる……筈だ。
しかし、エイトはその日の夜も我が家に現れなかった。
夕食を摂りながら考える。
あんな簡単にさよならするものなのだろうか?
いや、エイトは戻ってくる。
それから数ヶ月が過ぎたがエイトが私の前に姿を見せる事はなかった。
私は帰宅時に必ず発していた「ただいま、エイト。」を言わなくなり、またあの嫌な日常に戻っていった。
そんなある日に職場に新入社員として一人の男性がやって来た。
不幸にも私の隣のデスクをあてがわれ慣れない業務に四苦八苦している。
「あの……今、お時間いいですか?」
「はい。何でしょう?」
「この資料なんですけど……」
「あぁ、それは……」
私は自分から話し掛ける事はなく、相手が質問等で話し掛けてくる以外は彼の相手をする事はなかったが、それでも日々の会話の量は増えていった。
教えながら私自身が自然と笑顔になれる場面もあり、彼のコミュニケーション能力の高さに内心驚く。
よく見ると彼はどことなくエイトに似ていた。
「先輩、今日のランチ一緒にどうですか?いつも御世話になっているし今日は僕の奢りです!」
「えっ?」
「いい店見つけたんですよ、給料も入ったしいつものお礼というか……」
そう言われて断る方が悪なような気がして
「ありがとう、行きましょう。でも奢りは無しでいいから……」
「いやいや、まぁ、取り敢えず外に出ましょう。」
彼とのランチは正直、楽しかった。
やはり彼がエイトに似ているからなのか、彼の聞き出し方が上手いのか私も普段話さない事をペラペラと彼には話せた。
それから数ヶ月後に私達は付き合う事になった。
人間の男性と付き合うなんて学生時代以来だ。
彼が家に来た時に趣味のドールハウスを見て
「へぇ、凄いリアルだね。」
そう言ってまじまじと見られた時にはエイトと私の生活を垣間見られたようで焦って思わず
「それよりお茶煎れたから、こっちに座って。」
話をはぐらかして埃避けの布でドールハウスを隠した。
その後ドールハウスは布を掛けたままの状態で何ヵ月も放置している。
別の日、デートで映画館に行った帰りに繁華街を二人で歩いているとふと、路地裏の通りが気になった。
そちらに目をやった私は思わず固まる。
ムワンと熱気の籠った空気が少しずつ大通りに流れてくるエアコンの室外機が何台も並んだ路地。
その中の一台の室外機の上にエイトが佇んでいたのだ。
「エイト!!」
私の声が聞こえていないのか、フワフワと路地の奥へ飛んで行く。
「えっ?エイトって何?」
彼の質問をよそに
「あっ、ゴメン!!急用なの。今日はここで……ほんとゴメン。明日また会社でね!!」
「あっ、ちょっと……ナナ!!」
「ほんとゴメン!!次にちゃんと埋め合わせするから!!」
彼をその場に置き去りにして私は飛んでいったエイトを必死で追いかける。
やっと逢えた……やっぱりエイトは帰って来たんだ。
路地裏の室外機や壁に付着した硯汚れを自身の服が拭き取っていく。
走るうちにお気に入りのロングスカートや上着は見るに耐えない色になっていた。
それでもそんな事はお構い無しにエイトの背中をひたすら追う。
狭い路地の壁の左側面中央あたりまで差し掛かるとその前でエイトはピタリと止まり、手を伸ばしてスゥーっと壁の中に入って行く。
そのすぐ後ろからエイトに向かって伸ばした私の手も壁の中に吸い込まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます