第2話 ここは異世界

 後片づけを終えた母さんは、膝の上に俺を乗せて本を開く。

 年季が入っている本で、表札以外の紙部分が擦り切れてぼろぼろになっている。

 それに紙の質自体も悪い。

 書いてあるのはインクだろうか? ところどころにじんでいるように見えた。

 今時もう少しいい材質の物もあるだろうに。趣はあると思うけれど。

 それにしても本当に見たこともない文字だ。

 英語でもスペイン語でもドイツ語でもない。

 これが自分たちの今話している言葉なのだろうか。


「この本は、ボーラル術と伸尖剣シントケンの使い方という本なの」

「ボーラル術? ってなぁに?」

「そういうと思って、用意しておいたわ。昔お父さんが吹いていたの、覚えてる?」

「ううん。この穴が空いているやつがボーラル?」

「そう。こうやって吹くのよ」


 穴を指で押さえながら吹くと、変わった音色が流れ出す。

 日本で言うならオカリナみたいなやつだ。

 つまりこの本は笛の吹き方が書いてあるのか。


「伸尖剣っていうのはなあに?」

「伸尖剣というのは戦うための武器よ。あなたももう少し大きくなったら使い方をお父さんが教えてくれるはず。この絵を見てご覧なさい」

「わぁー! 戦ってる絵だ。すごいすごい!」


 その絵には、戦士風の男が一本の剣のようにも槍のようにも見えるものを持ち、何かと戦っている

情景が描かれていた。

 その絵だけ見ていればまさにファンタジーの絵だという感想だったが……。


「グリナリティオード」

「え……?」


 母が何やらブツブツと唱え出した。また祈りの言葉だろうか? 

 と思っていたら、驚くべきことが起こった。その光景を見て、自分の目を疑ったほどだ。


伸尖剣シントケンの使い方を今から教えてやろう。対峙する相手はグラヒュトウル。知っての通りどう猛な四足歩行獣だ。伸尖剣はその性能から相手に向けて伸び縮みする便利な剣にもなる。これは一般的な伸尖剣だが、その種類によって性能に大きな差がある。まず、通常はただの剣。次にラギ・アルデの力を伸尖剣へ流すと……三又の剣となり杖となる。柄の部分をどの程度伸ばすかは本人の力量によるだろう。これ以外の部分は実践編を見るように」


 突如喋り、動き出した本の挿絵。あまりに驚いて一言も喋れない。

 今のは……ホログラムか何か? 声はどうやって? 

 こんなぼろぼろな挿絵が喋るなんて、あり得ない。


「お母さん……今の、どうやったの?」

「ラギ・アルデの力を使ったのよ。ファウにはまだ早いけど、あなたもきっと使えるようになるわ」

「ラギ・アルデって、食事前のお祈りの言葉だけじゃなかったの!?」

「ラギ・アルデは世界を包む大きな力。あなたにもいつか理解できるわ」

「僕、今すぐ知りたい! ねぇねぇ。それじゃもしかして、食事後のお祈りの言葉に出てくる竜もいるの?」

「ええ。いるわよ。特にこの国では竜の力を借りないと、生活をするのが困難なの……」

「わぁーー! お母さん! 僕、竜を見てみたい!」

「ダメよ! ファウにはまだ早すぎるわ!」

「お母……さん?」

「……っ! ごめんなさい、急に怒鳴ったりして。でも本当にあなたにはまだ早いの」

「せめてさっきの獣のように、動く竜を見せて欲しいな……ダメ?」

「それならもう少し後ろの方にあるわ。ええと、これね……グリナリティオード」

 

 母さんが手をかざすのを今度はよーく見ていた。

 これは魔法……いや、ラギ・アルデの力というやつなのだろうけど、全然分からない。

 ――再び挿絵が動き出す。それは一匹の小さな竜が描かれているものだった。

 挿絵は動いているが、今度は喋らない。

 竜の鳴き声のような音が聞こえるだけだった。

 母さんがそこにつづられている文字を読み上げてくれる。


「コーガ・ユーナは伝説の雪竜であり、あらゆる土地を雪で閉ざしてしまう悪しき竜として認識されている。コーガ・ユーナを封印した王、アルダメシアはその地に国を創り、そこは雪の王国となる。この頁では、雪竜との戦い方を学ぶべくつづられたものである」

「雪竜? この真っ白いのは雪竜なんだね」

「ええ。あなた、本当に竜が好きなのね」

「うん! 僕は大きくなったら竜を絶対育てるんだ! それに傷ついてたら治してあげたい」

「それは難しいわね……竜はそう簡単に人を信用しないわ。それに、この国では個人的に竜を飼育したりは出来ないの」

「どうして? 竜はいるんでしょう?」

「竜は大きく育つの。だからとても食糧が必要なの。この国は貧しいのよ。雪が深いでしょう? あまり作物なども収穫できなくて」

「お母さんは竜の好物なんかを知ってるの? 教えて!」

「え? ええ。いいわよ。ファウはお勉強が好きなのね。将来が楽しみだわ。あなたが教えて欲しいこと全部、お母さんが知ってる限りで教えてあげようかな。うふふっ」

「本当!? ぃやったぁー!」

「その代わり、ちゃーんとお手伝いしてね?」

「うん! 何でも言ってよ。ちゃんとお手伝いするから」


 竜のこと、この世界のことが知りたくて仕方がない。

 まるで魔法のような力もある。

 そして……本物の竜。早く見てみたい。餌をあげてみたい。

 高鳴る鼓動が止まらない。

 そして、動く白い竜をいつまでも見続けていたい。

 まだ三歳にしかなっていないんだ。これから多くの事をゆっくり学んでいこう。

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