宇宙ドライブイン【虹】ヒヨコ騒動

田島絵里子

宇宙ドライブイン【虹】ヒヨコ騒動

「だいじょうぶよ、あなたたちはわたしが守る」

 さくらは、レーザー銃をかまえる司令官をにらみつけた。背後で心もとない声が叫んでいる。

 そんな声を出すのは当然だった。さくらがかばっているのは、ヒヨコの大群だったからである。

「さくらちゃん、無茶だよ。そんなにたくさんのヒヨコを、ぜんぶ育てるなんて」

 司令官は、なだめるような声であった。

ピーピー、ピーピー、ヒヨコがわめく。さくらは両手を広げ、まさにニワトリの親のように首をコクコク動かした。


「でも、この原因のひとつは、コバヤシ司令官のせいもあるでしょ」

 さくらは、じりっじりっと退いた。ピーピーピーとヒヨコがくっついてくる。さくらを親だと思っているのだ。さくらはとろけそうな顔になった。総勢200匹はいるかもしれないこの大群に慕われて、まんざらでもないのである。

「めちゃくちゃだ」

 司令官は、空を仰いだ。

「いいから、そんな危ないものはしまってよ。子ども達が怯えてるじゃないの」

 さくらが言うのだが、司令官は思いっきり、顔をしかめた。

 ここは宇宙ステーション【かなた】内の宇宙ドライブイン【虹】。両親も祖母もないさくらは、店主日下泰三のひとり孫である。店は祖母が始めた。


 秋祭りの今日、彼女は食材を取りに貨物室へ行った。新しい航路が出来て寂れかけたお店だと言っても、常連は多少なりとも来る。その貨物室のなかに、宇宙トラッカーのリボットが載せてきた200個のバロットがあった。


バロットとは孵化まぎわのタマゴで、フィリピンの珍味なのだ。リボットはフィリピンの植民星に輸送中、ここに寄ってきた。折悪しく磁気嵐が起き、足止めをくらった彼は、貨物室に宇宙トラックを置いて休憩した。ところが、磁気嵐で貨物室の空調の温度が高くなって、バロットが孵化してしまったのである。ちょうど食材を整理していたさくらを200匹のヒヨコが見つけ、ピーピーじゃれついてきている。


「おお、よしよし。可愛いねえ」

 声をかけつつさくらが貨物室を出ると、そいつらまで着いてきた。通廊いっぱいに黄色い生き物がピーピー言うさまは、圧巻というより脅威だった。

 店の中に連れてくると、ちょうどコバヤシ司令官が食事中だった。気配を感じてレーザー銃を取りだした。さくらがヒヨコをかばう。

「だいじょうぶよ、あなたたちはわたしが守る」

 そこへリボットが奥からやって来た。

「リボットくん。なんとかしたまえ」

 コバヤシのセリフを聞き、リボットはワニの鼻にシワを寄せた。



「俺が? なんで?」

「キミが、あのタマゴを持ってきたんじゃないか!」

 司令官がどなると、リボットはウロコの手をあげて、爬虫類の耳をふさいだ。

「ガミガミうるせーぜ。司令官さんよ、あのタマゴを持ってきたのはたしかに俺だ。だけど、貨物室が暑くなってたのは、俺のせいなのか? 違うだろ」

「宇宙検疫はどうなっているんでしょう。これはコケコッコ星人の陰謀にちがいないわ」


 背後で副長のセレカがつぶやいた。コバヤシ司令官は、頭痛をこらえた。コケコッコ星人は、あちこちの星に自分の子孫を植え付けたがる異星人である。150の星系から成る宇宙連邦にとっては、はた迷惑な存在だ。


 たまたまニワトリと似ている身体をしているため、地球人からは、「チキン(弱虫)」と陰口をたたかれているが、コケコッコ星人は獰猛である。少しでも隙を見せると、激しくクチバシでつつき回す。ヒヨコは愛らしいので、なおさら落差が激しい。バロットのことを知られたら、ただでは済まないだろう。


「ピーピーピー」

 ヒヨコたちの目が、ふと、店内のコバヤシ司令官の皿に向いた。お米と味噌汁、卵焼きといった、純和風の朝食セットである。ガッツリ系が主の【虹】ではあるが、常連さんの好みには合わせるのだ。

「ピー!」

 歓喜の声を張り上げて、ヒヨコが店内にどどどっと押し寄せた。あれよあれよというまに、店内はヒヨコだらけになった。ヒヨコは、司令官のテーブルに載ると、お米をつつき、お味噌汁を蹴散らし、卵焼きを踏みつけた。


「わあああああっ」

 情けない声を張り上げると、食事をしていたコバヤシ司令官は銃を乱射し、ヒヨコを振り払った。ガラガラがっしゃんと、すごい音が響き渡る。

「きゃあああああっ」

 さくらが叫んだ。食器が舞い飛んだ。壁に当たった。砕けた。

「チクショウ、いい加減にしろ!」

 コバヤシの目は、血走っていた。

「わたしは、ヒヨコ・アレルギーなんだっ!」



 そうしている間にも、ヒヨコは店内を走り回っていた。リボットが捕まえようとドタドタ駆けて行く。

「ぴよ?」

「一匹ゲット!」

 リボットが、勝利を込めて叫ぶと、ヒヨコはリボットの長い鼻をクチバシでつついた。

「ぎゃっ」

 思わず手を放す。副長のセレカは、そのリボットに体当たりした。

「な、なにしやがる」

「じゃまなのよ!」

 リボットを爬虫類のカーペットにし、セレカが棚の上にいるヒヨコをゲットしようとする。そこへリボットが寝返りを打ち、セレカはしたたか、尻餅をつく。

「ピーヨピヨ!」

「笑ってやがる、くそっ」

 リボットとセレカはにらめっこした。

「俺を敷物にしたな?」

「とろくさいのよアンタは!」



「どさくさにまぎれて、俺を敷物にしたな!」

「これも、愛情表現よッ」

「イカれてるぜあんた」

「ぴよ!」

「口論はやめましょう。そっちへ行ったわ。追い詰めるから、受け取って」

「よし、ゴールキーパーになってやるぜ。蹴飛ばせ!」



 リボットは、サッカーのキーパーのジェスチャーをした。さくらは涙を浮かべた。

「ひどいわ、ヒヨコにはなんの罪もないのよ」

「さくらちゃん、店がどんどん、ひどくなってるぞ。早く収拾つけないと」

 リボットの言葉に、セレカは、いやーな顔になった。

「アンタ余裕ね、さくらちゃんを口説くなんて」


「なんだと、言いがかりだぞセレカッ」

「ピーヨピヨ!」

「じゃれてる場合か、早く捕まえろ。ハックション!」

「了解、司令官」

リボットとセレカ、司令官たち三人は、店の中を走り回った。テーブルと椅子は転げ回り、娯楽のゲームコーナーは見る影もなく破壊されているし、司令官はさっきからクシャミばかりしている。



「司令官、そっちへ行きました」

「クソ~、クシャミが止まらん。援軍を呼べ。救難信号だ。いや、武器が要る。レーザー銃を持ってこい」

 だんだん、大げさになってきた。

セレカが救難信号を通信バッジから出すと、銀河パトロールの応答があった。磁気嵐のため移動できないというのである。



「なんとかこいつらを、抑える方法を考えねば!」

 コバヤシは、見るも無惨な店内を絶望的に見まわした。

「司令官にとって、朝食は1日の始まりの儀式ですものね」

 セレカの言葉に、コバヤシはため息をついた。

「おれの卵焼きがヒヨコになった……」


 技術主任のマクレディが呼ばれた。これだけのヒヨコを一箇所にまとめるのは不可能とマクレディは一蹴した。外では秋祭りの楽しげなメロディが奏でられている。

「困ることないよ、わたしが育てるもん」

 さくらは嬉々として言うのだが、

「エサ代や糞尿処理はどうするんだ」



 現実問題を口にする司令官。さくらはふくれ面になった。

「うちには緊急人工食品製造装置(レプリケーター)があるもん。糞尿処理だって、ロボットの虹子といっしょにやればいいじゃないの」

「ワ、ワタシもやるんデスか」


 虹子はとつぜん話を振られて、困惑している様子である。

「ヒヨコはぜんぶ、メスだな。どういうワケなんだ」

 司令官が鼻声で言った。ビーッと鼻汁をティッシュペーパーでかむ。

「ヒヨコはたしかに可愛い。が、可愛いだけで無責任なことをしちゃいけない」

「無責任? わたしが?」



 さくらが戸惑うと、司令官が店のキッチンから出て来た泰三の方に向き直った。

「正直に言ってください、泰三さん。この店に、200匹のヒヨコを飼う余裕はありますか」

 ヒヨコが店の中を躍動していた。あるものは倒れたテーブルでかくれんぼ。あるものは食品見本をつつき回す。あるものは、ほかのヒヨコと駆けっこしている。もう、店はヒヨコの独占状態になっている。


 泰三は、難しい顔になった。

「店が開けるかどうか、これじゃあわからん」

「おじいちゃん」

 さくらがショックを受けて言葉を漏らすと、泰三は彼女の肩に手を置いた。

「宇宙ステーションのなかでペットを飼うのは、禁じられておるんじゃよ。それは知っておるじゃろう。それが200匹ともなったら、常識的に言ってもムリじゃよ」

「でも、わたしはあの子らの母親なのよ!」



 さくらは、涙が出て来た。

「あのまま、食べられるのを、黙って見てろって言うの?」

 マクレディが、腕を組んだ。

「まあ、仕方ないと思いますけどね」



 その時、警報が鳴り渡った。磁気嵐を突っ切って、なにものかが【かなた】の軌道上に侵入している。マクレディは店内のスクリーンを外部モニターに切り替えた。ニワトリの形をした宇宙船がインターセプトコースに入っている。


「コケコッコ星人が、攻撃態勢に入っています」

 技術主任が司令官に報告する。司令官は通信バッジに手を触れた。

「ブリッジ、こちらコバヤシ。迎撃態勢に移れ」

「間に合いません、相手が転送範囲に入ってきました。コケコッコ星人が転送されてきます!」

「どうしよう」

 さくらは途方に暮れた。コケコッコ星人がやってくる。ヒヨコたちを見たら、きっと激昂するだろう。そうなったら……。

 転送ビームが店内に輝きを増してきた。次の瞬間には、すでにコケコッコ星人が現れていた。


「保安部員、【虹】に急行せよ」

 コバヤシ司令官が通信バッジに呼び掛ける。そして、

「ハックション!」

と盛大に一発かました。ツバを飛ばされてコケコッコ星人たち2人組の目が細くなった。眉はなく、羽毛が身体中を覆っている。赤いトサカ、ウロコのついた足、手には銃が握られていた。



「抵抗するな」

 相手は、不気味なほど冷淡に言った。ピーヨピヨ! とヒヨコたちが合唱する。

「な、なんだ、この状況は」

「これはコケコッコ星人のみなさん。こちらへはどのようなご用件で」

 コバヤシ司令官が低姿勢で質問すると、コケコッコ星人2人の内リーダー格の方が、

「お宅の救難信号を聞いて駆けつけてみた。なにか、たいへんな事件がわきおこったようだな」

「お察しの通り。ヒヨコの大発生です」

 リボットが脇で言うのを、セレカが肘鉄で黙らせる。

「ヒヨコ……」

 相手はまるで目からビームでも出すようだった。その光の鋭さに、さくらは震え上がってしまった。



「アンタ、なんとかしなさいよ」

 セレカは、リボットにささやく。

「司令官がいるだろッ」

 リボットは及び腰だ。

「司令官には妻子があるのよ。アンタは独り身なんだし」

「ひでーな」

「愛情表現よ」

「ひねくれものめ」



 そんな会話もどこ吹く風。コケコッコ星人のリーダーは、首を伸ばしてあたりを見まわし、こんな風に言った。

「私はコケコッコ星人のウィックスだ。こんなにたくさんの子ども達をどうしたのだ。まさか、誘拐したのではあるまいな」

 ピーヨピヨ!

 ピーピーピー!

 ピヨピヨピヨ!

 ヒヨコ達が抗議する。そして、2人のコケコッコ星人めがけて、全員で攻撃を開始した。



「うわあああああっ」

 目をつつかれ、頭の羽毛をむしられ、足を蹴飛ばされた2人は悲鳴を上げた。

「ぎゃああああっ」

 顔から血まで出している。さくらは気の毒になってきた。

「やめなさい、子ども達」

 さくらは、ヒヨコ達に命じた。

「な、なにをするのだ。我々は、そなた達を助けに来たのだぞ」

 コケコッコ星人はうろたえている。

「助けに来たの?」

 さくらは、得たりとうなずいた。

「なら、お願いがあるんだけど」


「そうか、このままでは殺処分されるのだな」

 コケコッコ星人が、ハンカチで顔を拭きながら繰り返した。

 司令官とさくらが事情を話したのだ。この事態が事故であることや、ヒヨコ達をなんとかして助けたいというさくらの思いを。


「しかし、私たちでは、どうすることもできない」

 コケコッコ星人は、残念そうだった。

「これだけ大量のヒヨコとなると、里親を見つけるのは大変だ。NPO法人でも立ち上げるしかないが、そうやってる間に成長してしまう。成長してしまったら引き取り手は、ほぼ、見つからない」

「そんな……」

「ペットでもそうだろう。可愛いうちなら誰でも欲しがるが、大人になれば見捨てるのが人間だ。わがコケコッコ星人も例外ではない」

「でも、みんな生きているのよ? 成長したらしたで、なにか役に立つはずよ」

「精肉するか?」


 コバヤシ司令官がそう言って、クシャミした。さくらは凄い目でにらみつけた。

「動物を殺して食べるなんてひどいわ」

「だが、そのほかにどうしろと」

 司令官は、助けを求めるようにセレカとリボットを交互に見た。ふたりとも、やましそうに目を逸らす。


「考えてごらん」

 リボットは、とつとつとさくらに言った。

「人は生き物を殺して生きている。植物だって、動物だって、生きているものの命を奪って生きているんだ。だから食べものに感謝しなくちゃならない」

「そんなことを聞きたいんじゃない。母親として、わたしは子ども達に責任があるって言ってるのよ」


 さくらは足をふんばった。

「さくらちゃん、母親だって生き物を殺さなくちゃ生きていけないんだよ。ヒヨコたちには気の毒だけど、このまま殺処分するしかないだろうね」

 リボットの信じられない言葉に、さくらは地の底へ引きずり込まれるような感覚をおぼえた。


「そんなのイヤよ。ぜったい、イヤ!」

 さくらは、店を飛び出した。ピヨピヨとヒヨコ達があとを追う。

「さくらちゃん!」

 一同が呼び掛けるのだが、さくらはドクター場蘭のもとへと駆けて行った。




 ドクター場欄(バラン)は、植民星【龍の縫い目】出身だ。【龍の縫い目】には日本人が70%、【龍の縫い目】星人が30%いる。星の名前が日本名なのは、そのためだ。


 【龍の縫い目】星人は、額に縫い目のような突起物が特徴である。

 医学的にもすぐれた成果のある惑星【龍の縫い目】。ドクター場欄はその星の作った適応型のアンドロイドなのである。

 さくらは、ドクター場蘭の医療室の前に着いた。ドアが閉まっている。ノックした。



「ドクター場蘭! ちょっと頼みがあるの」

「今日は日本人の日じゃないぞ」

 けんもほろろな答えだった。

「今回はわたしじゃなくて、ヒヨコのためなの」

 シュッと音を立てて自動ドアが開いた。 

「ヒヨコ?」


 アンドロイドなのに、興味津々、という顔である。

「200匹いるのよ」

「ほお」

「このままだと殺されちゃう。なんとかして」

「――なんとかしてって言われてもな」

 場蘭は困ったようだった。いつも自信たっぷりなのに、珍しいことである。

「わたし、あの子らの母親として何でもするわ」

 さくらの決意は固い。


「ふーん」

 場蘭はじろじろ、さくらを上から下まで眺めた。適応型なので、カウンセリングから【かなた】の技術的なフォローまで、いろんなことが出来る。


だが、【龍の縫い目】星人特有の欠点があって、気軽にいろいろ頼めない。病気やケガで苦しんでいる患者に試練を与えるのだ。凄腕なのに一般の人からは敬遠されがちなドクターだった。


「では、ひとつ試練をこなしてもらおうかな」

「――試練?」

「【かなた】の部品であるギャリサイトを、この宇宙ステーションが軌道を借りている惑星【猫のダンス】のデレエウス発生器と替えてもらいたいんだ」

「デレエウス発生器……?」


「知っての通り、ギャリサイトは最先端の科学技術だ。これをデレエウス発生器と替えるんだから、危険な任務だぞ? ヤル気がないならやめとけ」

 ドアが閉まろうとしていたので、さくらは慌てた。


「やるわ、やらせてもらいます!」

 その足で司令官の元へ走った。コバヤシは、コケコッコ星人と談笑しているところだった。さくらは事情を説明した。

「デレエウス発生器? そんなもの、どうするんだ」


 司令官はキョトンとしている。コケコッコ星人のウィックスは、考えに沈んだ。

「デレエウス発生器は、病気の鳥たちのために使うものです。もしかしたら――」

「なになに、どういうこと?」


 さくらが目を輝かせると、ウィックスは口に手をやった。

「いや、へたに希望を持たせたくない」

なんだろう。でも、ウィックスの目はうなずいている。さくらは燃えるような期待が湧いてくるのを感じた。


 【かなた】の新品のギャリサイトを持って、【猫のダンス】に転送した。磁気嵐は止んでいた。待ち合わせ場所は薄暗く、生臭かった。壁ぎわにガラクタが置いてあるのが、アステロイドベルト(氷虹)の輝きにかすかに見えた。さくらの背中に、冷たいものが走った。


「こんなところを待ち合せ場所にするなんて」

 どうみても、後ろ暗い人が取引するような場所である。

「――持って来たか?」

 ガラクタの影から、野卑た声がささやいた。さくらは手にしたギャリサイトを献げ持った。

「そっちは?」

「そっちが先だ」

 緊迫した口調で声がささやき返す。 さくらは、そっとギャリサイトを地面に置いた。



 相手がソロソロと這うようにやってくる。フードを被っているが、見たところ連邦の人間ではなさそうだ。それを言うならコケコッコ星人もそうなのである。


氷虹に照らされている相手の顔は七色に反射していたが、肌は基本的に青白く、額には丸い凹がついていて、油断のならない目をしていた。ギャリサイトに手を伸ばす。

 と、同時に懐に手をやった。


「死ねッ」

 レーザー銃の赤い火がさくらに直撃しようとした瞬間、さくらはさっと身を投げた。バシッと火花が散った。派手な音を立ててガラクタが崩れ落ちてくる。激しい痛みを感じ、うずくまってしまった。


もう、ダメだ。今の今まで感じなかった黒い冷たいカタマリが、さくらの中を支配した。わたしはなんてバカだったんだろう。このまま死んでしまうんだ。母だの愛だのが、いったいなんになるというの。どうでもいいじゃないの。命にまさるものはない。さくらは立ち上がった。降参するつもりだった。


と、何者かにタックルされて壁に叩きつけられた。息がつけない。

「な、なにごと!」

「チッ」

 敵が舌打ちすると同時に、タックルした相手が立ち上がった。氷虹の下に立つその影は……。

「コバヤシ司令官!」


「カーラ、宇宙連邦法違反の罪により逮捕する」

 いきなりそう言うと、司令官は腰に帯びた何かを相手に叩きつけた。何かはバッと広がって、逃げようとする相手をがんじがらめに絡み取った。相手は網の中のサメのように、のたうち回った。

「ど、どうなってるの?」

  さくらは、なにがなんだか判らない。


「こいつはカリラン星人だ。銀河系の未開の地に、あってはならない科学技術を密輸しようとしていた。カリランは連邦に加入したばかりの星でね。今回のリボットへの輸送依頼も、こいつの差し金だった。【かなた】で騒動を起こし、科学技術を譲らせて一儲けしようとしていたのさ」


 コバヤシ司令官は、そう説明した。

「チクショウ、うまくいくと思ったのに!」

 カリラン星人は地団駄を踏んでいる。司令官は、鼻を膨らませた。

「今後は組む相手をよく考えるんだな。ドクター場蘭やウィックスたちが私にすべてを打ち明けてくれたよ。さくらちゃんの熱意に打たれたんだな」



「え、わたしの」

 ふっと先ほどまでの絶望感が霧散した。ポッと顔を赤らめた。

「キミのおかげで、巨大密輸組織の捜査がうまくいきそうだ。感謝するよ」

 ギャリサイトをカーラから奪い取り、コバヤシ司令官は満足そうだ。

「うん……でも……」

 さくらは、ちょっとムッとしていた。


「司令官は、わたしをオトリにしたんですね!」

「巻き込んで悪かったが、ほかに適任者がいなくてね。何も知らない人間の方が、こういう場合には役に立つ」

 コバヤシ司令官は、涼しい顔だ。

「わたしはまだ、未成年ですよ!」

 さくらが声を荒げると、司令官は彼女の頭に手を置いた。温かさが身体中にしみわたった。

「父親は、銀河一のパトロール隊員だっただろ」

「だからって……」


 べつにパトロール隊員になりたいわけじゃないのに。さくらは憮然として思った。

「――これで犯罪者を挙げることが出来たわけだから、ヒヨコもなんとかしよう」

 コバヤシ司令官は、手を上げて言った。

「コケコッコ星人に頼んでみるか」




「デレエウス発生器は、手に入ったのですか」

 コケコッコ星人は、瞳孔を広げて興味深そうに訊ねた。

「……だまされたのよ」

 色んな意味で。さくらは胃の中が苦い。


「気の毒だな。デレエウス発生器があれば、多少は違っていただろうに」

 ウィックスの言葉に、さくらは焦れてきた。

「いったいどういうことなの? デレエウス発生器ってなに? どこにあるの?」

「デレエウス発生器は、一種のエネルギー発生器だ。生物の、特に鳥の成長速度を速める効果がある。成鳥不良の鳥には効果的だ」



 ウィックスのとなりにいたコケコッコ星人が、はじめて口を開いた。

「ヒヨコ達を成長させることが出来るってことは」

 さくらは身を引いた。

「里親がいなくなるわ」


「大丈夫だ。あのヒヨコたちは、ぜんぶメスだろ。ということは……」

「ということは?」

「タマゴが取れる」

「!」

 さくらは、パッと目を見開いた。

「タマゴが取れる!」

 そうか。タマゴだ。その手があった!


 胸が希望にふくらむのを感じた。タマゴという言葉が、砂漠で出くわしたオアシスのように、瑞々しく響き渡る。わたしは母だ。タマゴの母だ。ほお、と息が出て来た。わたしの努力は、ムダではなかった。先ほどのあれは悪夢だ。わたしは試練に打ち勝ったのだ。


相手は、大きくうなずいた。

「養鶏場に連れて行けば、寿命が来るまで大切に育ててくれるよ」

「じゃあ、デレエウス発生器さえあれば!」

「さいわい、うちの母船がそれを持っている。本来なら異星人のためには使えないのだが、キミの熱意には感心した。私が交渉して、持って来てあげよう」

 コケコッコ星人は2人とも立ち去って行った。



 さくらは、胸に手を置いていた。タマゴ。そんな解決策があるなんて、想定外だった。顔が紅潮してくる。胸が自然と張ってくる。目から涙がこぼれてきた。

 やっと、なんとかなりそうだ。

 命の危険にもさらされたけど。

 どうってこと、ない。


 コバヤシ司令官が、目を真っ赤にしている。やっとなんとかなりそうなので、ホッとしているに違いない。副長のセレカがリボットに言っている。

「まさかヒヨコが養鶏場行きとは思わなかったわ」

「そうだな。無事、解決したのはよかったよ。ただ、だがほんとうにそれがヒヨコ達の幸せなんだろうかなあ」

 リボットはブツブツ言っている。



「一生とじこめられて、タマゴばっかり産む生活。俺だったら願い下げだ」

「だったら、ほかにどんな解決策があるって言うのよ。そんなだから、アンタは自分の芸術作品も売れないのよ。客の気持ちも考えなさいっての」

「厳しいな」

「愛情表現よ」

「嫌われるぜ」

「好きなくせに」

さくらが目を天井にあげていると、通信バッジから通信が入った。



「デレエウス発生器を手に入れた。数分後にそっちへ行く」

さくらは迷っていた。たしかに養鶏場という案はいいように思える。ここに200匹も飼う余裕はないし、今だって皿は割れるわ、食事はつつかれるわの大騒ぎである。持て余し気味なのは間違いない。


だが、あまりにも安直すぎないだろうか。ヒヨコ達の将来を真剣に考えたら、養鶏場に譲るなんて、とんでもないことなのでは。

 しかし、いまさら気が変わりました、やっぱりうちで飼いますなんて言えないし。

 ピヨピヨとヒヨコがさくらを追い回している。ああ、こんなにいとしい子ども達が、単に産む機械としてのニーズしかないなんて。



「さくら、良かったな」

 泰三がさくらの肩に手を置いた。さくらは自分の迷いをおじいちゃんにぶつけた。

「ヒヨコ達を、一生とじこめてタマゴばかり生む生活にさせるなんて、どうかなあ」

「大丈夫だよさくら。


昔の日本ならそうだったかもしれんが、既に法律が改正されておる。ほかの地域と同じように、自由に野外を駆け回りながら、タマゴを生む生活をしてもらうんじゃ」

 おじいちゃんが、慰めた。

「野外を……自由に、駆け回るのね」


「そうじゃよ。野草を食べて栄養もバッチリだ。だからタマゴも美味しいものが取れる」

「そりゃあよかった。よかったなあ、さくらちゃん」リボットは喜色満面だ。

「だけど――」

 さくらは、まだ気がかりそうだ。


「どうした。天敵に襲われないように、番犬の見張りも付いておるぞ」

 おじいちゃんが付け加える。

「そうじゃなくて、えとね、どう言おうかな」さくらは悩ましげだ。

「なんじゃ?」



「積み荷のことよ。ぜんぶ、ヒヨコになったって届け先に報告するの?」

 さくらが言うと、リボットは頭を掻いた。

「別にいいだろ、ニセ依頼だったんだし」

「あら、忘れてたんでしょう」

「そうとも言う」

 さくらは、プッと吹き出してしまった。(了)

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宇宙ドライブイン【虹】ヒヨコ騒動 田島絵里子 @hatoule

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