第33話 これは、私の物語だ


 大魔王が、降臨した。


 絹のような、長い黒髪。

 漆黒の義肢を持つ彼女は、特に理由もなく宙を浮遊している。

 第九層。この階層の上層にあり、眼下を俯瞰する。


「愛様ちゃん様、登場」


「愛……」


 盤面を、ただ現れただけで制圧したように思えた。その威圧。その異様。

 ボクはただ声を漏らすことしかできなかった。

 愛は頷く。勝手に意思を読み取って。否。口から漏れた単なる音の信号に、都合よく意味を後付けして。


「うん。任せて」


「違う。違う。待て、愛!」


「え、待つの?」


 その時生まれた隙を、織機は逃さなかった。


「ダリア」


 洗脳した迷宮統御機構少女を操り、迷宮環境を大きく変動させる。


 冗談だろって勢いで。

 それは起こる。


 大地が湧きたち、空が割れた───そう、この瞬間に第九層はひとつの世界へ形を変える。上層全てが銀河の空間に変転し、その建材を素材とした光溢れる星屑が創造されていく様はまさに宇宙創成に等しい異様だった。その建材からなる銀河の星々が氾濫し、光の尾を引いて降り注ぐ。それらは魔王を狙う神威の鉄槌の散弾銃。地球内殻を超越した仮想大空間内を瞬く間に駆け巡る星の軌跡。それらは渦を巻いて加速を果たした末に魔王へ向けて一斉に投射された。


 確かに、それはできるだろう。

 迷宮の番人の能力は、迷宮内において限りなく全能に近い。

 けれど、だ。


 ここまでやれるなんてボクは知らなかった。


「そりゃそうや。普通できひん」

「ミレニアム」

「こんな規模の改変が通るのは俺も初めて見るわ。……迷宮は、攻略可能であらねばならない。逆に言えば、それで攻略可能なのなら、あらゆる現象を、迷宮環境として実現できる。通常の迷宮の番人はそんな改変せんけどな。知性もあらへん。だが知性ある番人は、強烈な改変を行う。改変そのものをギミック、妨害工作として繰り出せる」

「ボクのことか」

「そや。けれどあの嬢ちゃんはそれ以上や。改変を、武器として用いるなんてのは、全ての迷宮の中で唯一無二やで、間違いなく。そしてそれが許されてんのは、ひとえに───あの大魔王が、それすら含めて攻略可能だと判断されるぐらいの、規格外だからや」


 大魔王。久遠寺愛。

 彼女はただ左腕を掲げた。


「食べ尽くして。王権レガリア『捕食者の庭』」


 闇が、津波のように。

 爆発した。

 織機がダリアを通して行った改変が天地創造だと言うのなら。

 愛が起動させた王権は、暗黒天地の開闢と言えた。


 空間が闇色に染められる。

 落ちてくる星の輝きが、漆黒の魔圏に触れた。

 その瞬間に、炸裂したのは、稲光のような刹那の白光と、鮮烈なる赤色の空間。それらが一瞬にも満たない短時間顕現し、星の光をひとつ消失させる。

 食った。

 そう感じた。

 それは正しく。

 そして終わらない。

 闇色の中に浮かび上がるのは口だ。そこには白色で不揃いな牙がズラリと並び、その奥には発狂しそうなほど赤い口腔が存在している。それはひとつではなく無数。星の光を遥かに凌ぐ数顕現して、一斉に咀嚼を開始する。


 バリバリ、バリバリ、バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリッッッッッッッ。


 これが魔王の左腕の王権。

 黒色の空間を展開し、内部の存在を問答無用で捕食する。

『捕食者の庭』。

 喰われた存在が何処に送られるのか。消化、排泄はなされるのか、そもそもこれは生物なのか。

 大魔王はただ「食べ尽くして」としか言わない。

 知らないし、興味もないのかもしれない。

 だがその圧倒的な性能は厳然としてそこにある。

 星降りという神威の散弾をひとつ残らず食い尽くすほどの暴飲暴食の顕現。

 大魔王と呼ばれるに相応しい超絶の御技。


 彼女もまた、遥か怪物。


「これで終わり? なら、攻めよっかな」


 左腕から展開される空間は上空に向けたまま。

 愛は、右腕を、織機に向ける。

 まずい。

 それを使われたら。

 織機は、終わる。


「刈り取って。王権レガリア『罪繰り廻しの首飛ばし』」


 右腕が、外れた。

 ポロリと落ちた義手は空中でその形を変形させながら落下し、着地の瞬間には、全く別の形に変わっている。


 それは、武者だ。

 黒革威の甲冑を纏い、身の丈程の長さの大太刀を構えた武者が、戦場へと降り立つ。


 そして。

 一瞬にして間合いを詰めた。


 武士とは、刀を握ることで肉体を作り替えるイキモノのこと。


 振るわれた太刀を、織機は魔剣で受け止める。


 鋼と鋼の打ち合わされる音が響く。


 互いに弾かれるように後方へ飛び、間合いを取り、計り、再び接近。

 振るわれた太刀へ、織機は、再び魔剣での打ち合いを選ぼうとしたが。


 その魔剣が、すり抜けた。

 陽炎でも斬るように、魔剣は太刀をすり抜ける。


 咄嗟に。織機は体を捻った。

 自らの体勢を大きく崩しながらも、太刀の一撃を回避しきる。


 武者は、再び後方へ跳ね飛んだ。

 そして。


 ズルリ、と。

 その体から、もう一人の武者が抜け出すように出現した。二人に増えた武者は、共に異なる構えを取り───一人は正眼、一人は大上段───同時に、織機へ切りかかった。


「なるほどね───」


 その同時攻撃を捌く。


 武者は再び距離を取り、両武者から抜け落ちるように更に一体ずつ増えた。


「確実に仕留めるまで終わらない。条件を改善し、防御や回避に適応し続ける王権かー……。確かにこれは厄介かもね」


 久遠寺愛の右腕の王権。

『罪繰り廻しの首飛ばし』。

 対象を仕留めるまで、攻撃手段を適応させ続ける必殺の御技。

 防御は透過し、回避には数で対抗する。

 どれだけの強者、達人であれど、防御不可能の攻撃を放つ複数の武者を凌ぐことはできない。できたとしても、武者はそれを殺せる能力を得て再び殺しにかかるのだ。


『捕食者の庭』が対軍勢を想定した攻防両立の王権なら。

『罪繰り廻しの首飛ばし』は対個人を必殺させるために用いられる超攻撃特化の王権である。


 王権の複数起動。

 それはこの世で大魔王だけが可能としている超越戦法。


「ダリア……」


 それを前にして。


「いつまで待たせるの。君はもう、私のものだ」


「はい───迷宮統御機構・頭脳分体。命令を受諾しました。あなたに不死身の加護を与えます」


 その直後、織機の首が飛んだ。


 けれど、それは素早く結合する。


「首が飛べば、王権は終了する」


 織機の読み通り、五百人にまで増えていた武者は消え去り、右腕として愛の元に戻る。


「さて。また迷宮環境の変化を打ち出そうかな」

「なら食い尽くさせるだけだよ~」

「そうだねえ。食い尽くせないだけの数を生み出せば、いけるかな」

「無限を体現する王権だってあることを君は知ってると思うけどね。愛様ちゃん様のこれがそうじゃない可能性に賭けてみる?」

「賭け事は嫌い。確実に稼げばいいのに、そんなものに手を出す人は好まないよ。私はね、確実に願いを叶える」

「どんな願いなのさ」


「迷宮の、踏破」


「やめとけって」

「どうして止めるの?」

「愛様ちゃん様みたいになりたい?」

「なりたいよ」

「そ。じゃあ殺すか」

「うん。殺してみて」


 平然と。

 冷然と。

 日常会話のように二人は話し終え。


「無理だと思うけどね」


 織機が動いた。


「迷宮環境変動。ダリア」

「はい。迷宮環境変動。数値改変。数式改編。配列再編。第九層現象操作。仮想王権発動。その形状は闇。その祝福は無限の暴食。名称『捕食者の庭ミミック11091』」


 噴出したのは黒色。その中に蠢く牙と口の群れ。


「嘘やろ。大魔王の王権解析して全く同じもん作りよった」


 ミレニアムが呻く。


 そんなことまでできるのかよ。


「普通無理や。許可されへんし、不可能やし、そもそも思い付かへんわ。なんで可能なんや」

「大魔王と、織機だから……」


 呟くその頭上で、二つの『捕食者の庭』が激突し、互いに互いの貪りあいを開始した。

 黒色と黒色が入り交じり、牙と牙が互いを食い合う。

 その光景は混濁として。

 どちらが優勢なのか全くわからない。


 けれど。

 大局として見たならば。


 織機は不死身を得て『罪繰り廻しの首飛ばし』を無効化し。

 王権の複製で『捕食者の庭』も攻略した。


 大魔王の二つの攻め手に対応しきっている。

 けれど大魔王の側もまだ余裕がある。そして手段も。あの二つは、あくまでも利便性ゆえに両腕としての役割が与えられているに過ぎない。


 より強烈で、より鮮烈で、より激烈な王権は、まだまだある。


 王権の名に恥じない世界超越の魔具がある。


 見るもおぞましく、聞くも恐ろしい、知覚することすら困難な醜悪の魔物を生み出す子宮。


 別次元とさえいえる自己領域を生成し拡張させ続ける演算機。


 物体に感染し融解させ続けるウィルスの大海。

 環境もろともせん妄させる生き物。

 頭を持たない人間を億単位で生み出す宇宙船。


 国家を滅ぼし、世界の形を変えるだろうそれらを、無数に有するのが、大魔王。

 攻略した迷宮から発掘した魔具を世界にばらまき、兵器による戦争の時代を終わらせすらした怪物だ。

 後出し合戦は、続くだろう。


 終わりはない。


 終わらせない限りは。


「結局、なにがしたいんだよ」


 ボクは言う。言ってやる。

 ずっと置いてけぼりだ。

 いい加減にしろ。

 これは、ボクの話だ!


「迷宮の踏破ってなんのことなんだよ、織機ァ!」

「迷宮は、通り道。そういう仮説があるの」


 織機は答える。

 通り道だあ?


「迷宮内には明らかに私たちの世界とは異なる法則と空間、生態系がある。それを指して、迷宮内は別の時空間であるという学説が主流なのが現在。けれど……一説によれば、それより奥もあるという」

「奥───」


 なんだ。

 頭がいたい。


「そもそも迷宮とはそれ自体が目的ではない。迷宮を踏破すること。それが迷宮の意味だった。死と再生の儀式。日の光差し込まず、ミノタウロスという怪物の棲むラビリンスは、まさに死そのもの。そこを踏破することは、死を超越することを意味している。ダンジョンはそういう、超越への道程」


 なんだ。

 ひどくいたむ。なんだ。


王権レガリアこそが超越の証なのかと思ったよ。でも、違う。明らかにこちらの世界に不要なアイテムである王権は、超越ではない別の意味をもつ。それはきっと、鍵。迷宮のその先に行くための」


 それは、

 それは、

 その言葉は、

 この音の羅列は、

 ボクは、


 ボクはこの結論を知っている。


「そこはきっと、この地球とはまるで違う異世界。全ての迷宮が生まれた地。恐らく───化物たちの住みか。私はね、そこに行きたいの」


 そう言って、

 ああ、そう言って、

 ボクは、彼女と。


 ああ、ああ、ああ!!


 ああああああああああああああ!!


 思い出すな。思い出すな。思い出すな!!


「迷宮は私を誘っている。私はその誘惑に乗るよ。この世界に未練はない。ダリアを使って、別の世界に行く」


 それは。

 たぶん。

 この物語に姿を見せた、全ての人の対極の対極の対極たる理想だった。


「その為に、もう少しだけ時間がいる。その分を稼がせてもらうよ。ダリア」

「やめろ。やめてくれ、織機」

「キミにできたことを、私にはできないって言い聞かせるの?」

「違う! できなかったんだ! 誰にも!」

「でも、私ならできる」

「目を覚ませ!!」

「眠ってなんかいないよ。私ね。授業で寝たことないんだ。家でもね」


「迷宮環境変動。数値改変。数式改編。配列再編。第九層現象操作。攻略者『織機有亜』を除き、他の攻略者を迷宮外へ排出します」


 ───全てが光に包まれる。

 迷宮からの強制排出。

 それを全身に浴びて。


 ボクの頭痛もいま、頂点に達した。

 思い出すべきでない記憶を封じ込めようと脳髄は全霊を尽くす。心を守るために心は心を切り捨てていく。

 その惨状の中でも、確かにその声が聞こえた。


「これは、誰かの物語じゃない」


青色の支配者と

言葉を遣う青年の話じゃない。

お人好しの少年と

恐るべき人外の話じゃない。


男装勇者と魔法少女の

すれ違う話じゃない。

村の因習と不気味な館の

殺人の話じゃない。


死を与える眸と吸血鬼の姫の話じゃない。

廻り廻る呪いの因果と死の物語じゃない。


終わらない青春の物語じゃない。

とうに果てた冬の物語じゃない。


強い心を持てと謳う格闘者の話じゃない。

人類最強の冒険を描いた後日談じゃない。


多元世界の探偵達と

一人きりの助手の話じゃない。

廃れた神社の神主と

夕方に来る何かの話じゃない。


鬼と竜と妖精の

旅路を画いた物語じゃない。

スパイと呪術師が

共に挑む怪傑譚じゃない。


キラキラネームの少年の復讐劇じゃない。

掌編集まり未完に終わる百物語じゃない。


傷を持つ少年と

魔法世界の愛を見る物語じゃない。


迷宮と結び付いた嘘つき者の、

少女のための防衛戦の物語じゃ、ない。


「これは、私の物語だ」


 それで。

 ボクは、意識を失った。

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