第29話 人外地獄迷宮決戦⑥
「お前のその気味わりー気配が消えたところまで直線で移動してみたら、やっぱり階段があったぜ。……で、だ。あたしは今来たばっかで、全然話がわかってねーんだが」
墓地を踏みしめ。
水門は再び、結と相対する。
「お前が歪みきった悪だってことはよーくわかった」
そして、だ。
話をさせたらろくなことにならないと理解している彼女は、全速力で踏み込んで。
結の顔をぶん殴った。
『悪、悪、悪ね。それは否定しない。私は悪だとも。だがね。それなら君はどうなんだ。問答無用で殴ってきたのは、他ならぬ君じゃあないか』(「ナハツェーラー」より)
「!?」
その瞬間、水門の脳内に溢れた、引用の言葉。
一言も喋らせていないのに。
何故か。
『気配』(「金獣狩り」より)
「……読ませたってことか」
正確には気配という曖昧なものではない。
唇の動き、喉の震え、細かな表情、彼女の全ての動作が、並外れた四つの感覚器官をもつ水門へと、言葉を伝達したのである。
書物を食べた彼女の体は言葉でできている。
音声すらも、伝達手段のひとつに過ぎない。
『でもその暴力はきっと私を反省させるための、愛に溢れた拳なんだよね。うん。伝わった! 伝わったよ、君の気持ちは!』(「ツンデレ・エリミネーター」より)
『もう私は、誰のことも傷つけないと誓おう!』(「黒座の五王」より)
『ああでも困ったな』(「朽城家の崩壊」より)
『人は生きてるだけで誰かを傷つけてしまう』(「山嵐」より)
『懸命に努力して、誠実に他人に向き合って、一途に誰かを愛して、全ての人に親切にして、諦めることなく、折れることなく、間違えることなく、正しく生き、よく笑い、よく泣き、悪に怒り、善を全うし、常によりよくあらんと考えて実行して、それでいて己自身も大切にしながら、傲らず、妬まず、欲深くあらず、そして慈悲深い、何より優しい、広大無辺な空のように大きな器をした、そんな素晴らしい人がいたとして』(「絶対絶命ハイスクール・コロシアム」より)
『その存在に、私は傷付くよ』(「飛行機雲と地底人」より)
『人は生きてるだけで誰かを傷つけてしまう』(「妹が三日後生き返った件」より)
『私もきっと、正しくあれたとしても』(「anima」より)
『私のような誰かを傷付けるだろう』(「崑崙城」より)
『ああ困った』(「Urgent」より)
『こうなったら、誰も傷付けないためには』(「ゴルドネ」より)
『私が死ぬしかないじゃないか。消えてなくなるしかないじゃないか』(「ローエン街道物語」より)
『でもそれは、他ならぬ私をもっとも傷付ける選択だ』(「死の香りはローズマリー」より)
『私はまだ生きていたい』(「ドクター条の独壇場」より)
『君の拳で反省したんだ』(「ツンデレ・ディザスター」より)
『生きることの素晴らしさを知ったんだよ』(「四つの証明」より)
『だから私は生きる』(「そして誰がいなくなった?」より)
『誰も傷付けないで』(「笑いあおう」より)
『その為にまずは、傷付く前に全部なくそう』(「シャーロック・ホームズの連弾」より)
『私に傷付く奴らを全員、傷付く前に殺してしまおう』(「団扇の骨組」より)
『それが世界の全員なら、全員殺してしまおうか』(「奴」より)
『ありがとう! 君のお陰で答えがわかった!』(「世界で一番面白い小説の作り方」より)
『だからこれは君の始めた物語だよ』(「Bloody Murder In London!! Omen Of Darkness Awakes!!! The closed question is whether this page ends」より)
『世界を終わらせるのは他ならぬ君だ』(「緋色の力学」より)
『君のせいだ君のせいだ君のせいだ君のせいだ君のせいだ君のせいだ君のせいだ君のせいだ』(「四苦八苦九九八十一」より)
『だから、さ』(「天使たちの時間」より)
『ねえ』(「大入道希臘より来たる」より)
『あの』(「金魚罰」より)
『ちょっと』(「暗黒島奇譚」より)
『そのお』(「海龍館VS灯台館の殺人」より)
『いい加減殴るのやめてくれない?』(「痛みがヤバイんだ」より)
「ああ? やめるわけねーだろ」
止まらない。
勇者の鉄拳は止まることなくひたすら結を打ち据え続ける。
彼女の引用からなる戯言も大嘘も、全てを無視してひたすらに殴り続けている。
『さすがにキツイんだけど』(「これ不味くない?」より)
余裕はなくなりつつある。
眼前の女の一切揺らがない様に圧倒される。
タイマンでは勝ち目はない。
人の話をまるで効かない。
強靭極まる自己。言葉だけでは一切揺らがない。
相性が、あまりにも悪すぎた。
他に扱えるものがあれば話は変わったかもしれない。
鴉を操ったように、その言葉で働きかける対象が、水門の他にいたら良かっただろうが。
そうでなくとも、この場に水門も攻撃の対象とする存在がいてくれたら、立ち回りは幾らでも変わった。
だが今回は、皮肉にも。それを自らの言葉で消し去っている。或いは折り曲げている。
自業自得。
久遠寺結は今、己の撒いた種に殺される。
『ここまでか……』(「大空亡」より)
『ならば君に伝えておくことがある』(「セカイ系ラストリゾート」より)
『ダンジョンとは何か』(「月刊ダンジョン八月号」より)
『このダンジョンが生み出された目的は』(「ダンジョン命」より)
『全ての黒幕の、その名前は───!!』(「フードコート・フーダニット」より)
「知らねえよ」
頭を掴まれ。
地面へと叩き込まれた。
轟音。小型ミサイルの着弾じみた轟音が響き渡り。
後には、もう動かない結が残るのみ。
最初から開くつもりのない人間に、書は無力だ。
勇者の、完全なる勝利である。
「さて」
彼女は、踞っていた。
死んだように白い肌の少女は踞り、震えていた。
「よう、嬢ちゃん」
「……誰」
「通りすがりの勇者だよ」
「なんの、用」
「別に。言葉を尽くしたところで意味はねえし。あたしができるのは、二つだけ。まずは一つ目。おい、聞こえてんだろ。さっさとこっちに送れ」
「え?」
その時だ。
少女の目の前に、竜が顕現する。
否。それは単なる竜ではない。
屍であり、その中に少女を宿す竜である。
消え去ったはずの送川累々が、そこにいる。
「なんで」
「あれが黙って味方を消し去らせるわけねー。殺し合いした大鴉だって助けてるんだぜ? 大方、消えろと言われる直前に、別階層に転移してたんだろうな。あの女の『言葉』は、あくまでも言葉。聞こえない位置なら、影響されない」
「累々……!」
本物だという確信を得た少女は立ち上がろうとして。
けれど、その足は止まる。
───本当に、向き合っていいのか。
彼女の前に立つ資格はあるのか。
己は本当は、彼女を好きではないのではないか。
その疑念が、鎖となって、彼女を縛り。
「二つ目」
それをほどく一手を。
勇者は感じ取っている。並外れた感覚は、目の前の怪物が、どんな状態にあるのかを察知していた。
「いい加減、演技はやめろよ」
「……なんで、わかったの」
竜の身体から突き出た少女が言葉を漏らした。
「外れてたら、嘘だとか言って誤魔化したさ」
そして。
「アレは余計なこと言って初手で怒らせたんだろうな。全く、バカな女だよ。こんなに可愛い二人怒らせて、何の得があるんだか」
彼女は、歩き去る。
「後は勝手にするんだな」
───
屍の少女。
屍を操る少女。
狂乱した振りをしていたのは何故か。
逢わせる顔がなかったからだ。
心を折られたのは何故か。
ほんの少しだけ、厭な気持ちがあったからだ。
空白の中に、互いに、黒い染みのような汚れがあった。
それを通して、二人は、互いが互いにどんな感情を持っているかを理解した。
そして。
どうなったのか。
それは、描かれない。
描きようがない。
言葉を放棄してしまった方がいいことも。
時にはある。
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