第24話 人外地獄迷宮決戦②


 十層同士の対決は、一方的だった。


 ───おぞましき女、久遠寺結。

 引用癖による会話を好み、いつの頃からか十層の四人の一人に加わっていた、不気味極まる正体不明。混沌より引き用いる諧謔。王権や魔具を持たずして、また恐らくは恐るべきことに、ひとつの迷宮をも攻略することなく、探索者の頂点の座にいた女である。


 そんな彼女は。

 今。

 一方的にボコられていた。


「おーらッ」


 拳が腹にめり込み、吹っ飛ばされる。

 否。飛ばされかけたところで左足首を掴まれ強制停止。そのまま逆方向へと半円を描いて振り下ろされ、地面へと叩きつけられる。

 久遠寺は防御を捨て、右足を振るい、掴む腕へ一撃をいれる。

 勇者が手を離した隙に即座に移動、立ち上がる。


「じゃー次行くぜ。じゃんけんぽん!!」


 予想外の掛け声に咄嗟に動いた。

 結の出した手はパー。勇者が出したのはグー。

 勝った。そう安心した直後。気の緩んだ彼女を襲った、三連撃!


「グ! リ! コ!!」


 耐えきれず今度こそ吹っ飛ばされて地面に転がる。


「『ちょっとまってよ。勝ったのあたしじゃん』(「除雪機関」より)」

「そうだな。だからその分取り戻すために三発殴った」

「『ならあたしが負けたら、あたしが殴るよ』(「悪魔撲滅委員会」より)」

「いいや、そん時はあたしが殴り飛ばす。勝ちの流れは繋いでかないとな」


 理不尽。

 暴力。

 その、塊。


「そもそも目ェ隠してッから勝敗もわかんねーしな」


 破格の怪物。

 嬉土水門。


 その絶対的戦力は、同じ十層すら置き去っているのか。


 結は苦しげに息を吐いてから、言葉を放つ。


「『我々は共に』(「呪術廻戦」より)

『十層』(「月刊ダンジョン」より)

『という等級に分類されるそうだ。俺と…虫がだぞ?』(「呪術廻戦」より)」

「そいつぁこっちのセリフだよ!」


 水門は踏み込んでくる。

 楽しげに。嬉しげに。それ以外の感情が欠落でもしているように。ただただ、実力を震えることに興奮しているように。


 ───対する。

 ───敵対する。

 久遠寺結は、己の喉を右手で掴み。

 コキリ、と。鳴らして。


 息を吸い───撃退せんと声帯を駆動させた。


 水門。その拳の威力は常軌を逸している。

 これ以上の被弾は死に繋がるだろう。

 命に指がかけられている。

 その感覚を、久々に味わう。

 甘美だなどと思う余裕はない。

 絶望的な死が近づいている。

 避けようもない。防ぎきれない。

 ならばどうする。

 迎え撃つ。

 それだけだ。

 どうやって?


 簡単だ。

 その為の武器は常にあった。

 ただ使わなかっただけだ。


 だってカッコ悪いから。

 真の力なんて明かしたくない。

 カッコつけて勝てたらそれが一番だ。

 けれどそれでは勝てない相手が目の前にいる。

 ならば、どうする。


 本気を出すしか、ない。

 諧謔を捨てた───本来の言葉を。



 引用癖。

 第十四迷宮で貪った果てない書籍から吸収した語彙を用いる引用病。

 だが。

 それは───彼女の武器ではない。

 後付けされた、蓋である。

 正確には、彼女の中で醸成されつつあったその力を封じるための鎖に他ならず。

 ───借り物の言葉で蓋をする彼女の真なる武器とは何か───


 無論、それは。


 己の言葉だ。


「死ね」


 嬉土水門の動きが止まる。

 その心臓の動きが止まる───!


 数多の言葉を知り、喰らい、貪った彼女の肉体は、吸収された言葉から細胞や血肉が形成されている。故に───彼女の言葉には力がある。否。言葉の形をした力と化している。

 より正確に言うならば。

 久遠寺結は発言を現実の事象として発現させる。

 その異能を得た彼女は、いわば意思を持つ王権レガリアと言って差し支えない。


 偽神の呪言の重みを繰り出す彼女の前では、あらゆる全てが頭を垂れる。


 それは『勇者』嬉土水門ですら変わりはなく。


 今、水門の生命活動は完全な停止を迎えた。



 そのはずだった。


 接面直前、勇者は再起動する。

 前傾姿勢のまま倒れそうな彼女は、唐突に動き出し、地面をぶん殴ってその反動で体を起こす。


「やっべー、な。死んだぜ、今の。でもまあ、なんとかなるもんだな。───閻魔と冥府ハデスをぶん殴って、帰ってきたぜ」


 滅茶苦茶だ。

 その滅茶苦茶を実現する。

 それが、勇者。

 ニカッと。笑う。

 その顔へ向けて。

 ヘラっと。笑う。

 それが、化物。

 その滅茶苦茶を嘲弄する。

 無茶苦茶だ。


「冗談だろ。神様なんていない。だって、いないんだから」


 滅茶苦茶には、無茶苦茶をぶつける。

 論理になってすらいない言葉は、論理になってすらいない理屈を前にして、恐るべき効果を発揮する。


 水門の心臓が再び止まる。


(嘘だろ───あたしのマジを、冗談だったことにされた!?)


 この時───あらゆる神話伝承の神々の実在が否定された。世界の形は変わる。実在していたはずの神々の理はすべからく嘘へと切り替わる。


 世界の形を気紛れに変える。

 妹さえいなければ、大魔王と呼ばれるべきは彼女であっただろう。


 その超絶を前に、再びの心停止へ回帰させられた最強は。


 自らの手を胸に当て。

 圧迫した。

 心臓マッサージ。それを、自らに対して行ったのだ。


「なッ───そんなことで」

「できるんだなこれが。生きるんだな、私は!」


 今度は転びすらしない。

 倒れない。揺らがない。


「お前は今、神を否定した。───形而上の最大存在の否定! それは形而上という世界の全否定に他ならねーぜ。故に私に与えられた死の形も変わっちまったんだよ。形而下の死! 物理的な、生物学的な、観念ではない死の形なら、物理で解決できるってわけだぜ」


 滅茶苦茶だ。

 理屈になってない。

 だがそれを実現するのが彼女なのだろう。


「おまえはなんだ」

「あたしはあたし。嬉土水門」


 その強さ。

 ひとつの極点に他ならない。


「物理法則も神様も、言葉だってねじ伏せられる、そう信じてる」


 まったく。

 そんなものを見せられては。


「───『私も、まだまだだな……』(「仕留人 紅雲桜蘭」より)」


「なんだァ? またそれに戻すのかよ」


「『ああ。何故なら』(「空中庭園殺人事件」より)

『私はこう思うんだよ』(「死霊院惨劇記録」より)

『本当の力なんて無意味だ』(「毛有毛現の髭」より)

『取り繕いたいと思い、取り繕った外面が、内面の醜さに劣るものであるものか』(「被虐府」より)

『むしろそうあれと生み出された、持ち主では変えようもない心なんて存在よりも、飾り立てようとし、理想に近づけようと足掻いた外面こそ、服装こそ、肉体こそ、その人間の生き様をよく表すものだろう』(「仮生幻奇譚」より)

『つまりだよ───私の本質は、これなんだ』(「男装の麗人」より)

『読み続けた果てに』(「霊廟古書堂」より)

『食べ続けた先に』(「巨食過食」より)

『意図せずそうなってしまった変異なんかが真の力? バカを言え!!』(「パラダイム・パラサイト」より)

『生まれついたプラスもマイナスも、そんなものが本質であるものか!』(「Devil Dragon Desaster」より)

『後から選んで、後から身につけ、後から飾った。それこそが、ボクらしさだよ』(「男の娘に妻が寝取られ夫婦の寝室でアヘオホ喘ぐ話」より)


『つまりだね───』(「畢竟本格ミステリ」より)」


 常軌を逸した最強として。

 そうあるべき勇者として。

 あるがままに君臨する彼女を否定したい。

 格好つけることなく、ただあるがままに圧倒する彼女を。

 超越したいという願望が、どうしようもなく結を焼いて。


 故に、彼女はそれを選ぶ。


 相対? 敵対? 否否否!


 選ぶのならば───正反対だ。



「『格好つけたまま、キミに勝つ』(「勝利宣言」より)」



 そして彼女は踏み込んだ。

 敵の方ではなく、迷宮へと。


 いつの間にかここまで近付いていたらしい。


 視線を切ることなく。

 ただ当然のように迷宮に踏み込む結。

 対する勇者もまた、笑いながら。


 踏み込んだ。



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