大決戦
第20話 あたしの敵だ
ハリー・ポッターに憧れる人は多いだろうけれど。
ハリー・ポッターの境遇に憧れる人はいないだろう。
幼くして両親を失った彼は、母方のおばペチュニア・ダーズリーの一家で育つ。その頃の彼の生活は悲惨そのものだった。子供部屋はなく、階段下の物置が居場所。いとこのダドリーはいじめっ子で、バーノンも、血縁者であるペチュニアも、彼を虐げていた。
その後、ハグリッドの来訪で魔法使いへの道が開けたことにより、彼の人生は一変する。その後の人生も悲惨と苦難の連続だったが、その生きざまは多くの人の羨望を集めるものだ。
けれどやはり。
彼の始まりは───本当の、始まりと言えるのは母の愛に守られたあの瞬間かもしれないが───『物語』の始まりは、プリベット通り4番地の虐待一家の軒先に置かれた瞬間であり───ペチュニアおばさんによる長年の保護は、当然ながら義務感や害意だけがなせるものではなく、そこには確かに、形ある、もしくは形になり得ずとも存在していた何かの面影を、読み取ることは、きっと最大限好意的に、それこそセブルス・スネイプは聖人君子であると解釈する程の好意と偏向を以て読み解くならばできなくはないが───それでも、ハリー・ポッター、あの英雄的人物、およそ『小説』という括りに置いては世界で最も読まれただろう物語の主人公の、その始まりは、きっと誰もが、叶うならば敬遠したい、敵うならば打倒したい、家族というこの現代にあってなお逃れられない生来の柵の、その有刺鉄線が、守るべき子供へと向けられているという、地獄の日々、それがハリー・ポッターの境遇であり、故に私は思う、ハリー・ポッターには憧れても、彼の境遇には憧れられない。八年以上虐待を受ける生活なんか望む人はいないだろう。
望む望まずを問わず、そうした生活を強いられる人間は、存在しているけれど。
そしてそういう人間は、その全てが間違いなく、一人の例外とてなく、一分の隙もなく、一点の曇りもなく、一念の発起もなく、一縷の望みもなく、全てが全てマグルであり、本人の努力とは関係のない不幸をその身に刻み付けられることを強いられている。そういう人生の線路を敷かれている。そうして虐げられている。その生涯にはハグリッドの登場する余地はなく、アーサーの空飛ぶフォード・アングリアもやってこない。
つまり何が言いたいのかと言えば。
あの家に───アパートの一室に、私の部屋はなかったし。
私が夜出歩くとき、途方もない痛みと汚濁に耐えるため歩いているあの道に、ナイトバスは来なかったよ。
───
「そーいや水門ちゃんに言え言われとったことがあるねん。第六迷宮攻略しろってお爺さん方からの伝言や」
「げ、あたしにあれをクリアしろって言うのかよ」
「何や、できひんなら別にええで。俺から断っとくわ」
「できるに決まってんだろ」
「ほな、まずはこの迷宮クリアしよか」
彼はそう言って扉を開けた。
第十迷宮『青色館殺人事件』。
内装の全てが真っ青な洋館が舞台となるこの迷宮では、殺人鬼が跳梁している。
この殺人鬼をどうにかするのが攻略の鍵であるのだが。
「きっついわあ。前後ろ右左上下全部全部青いやん。頭おかしなるわ」
ぼやいているのは九層探索師『赤ん坊』ミレニアム・ベリーウェルダン・エピソードシリンダー。金髪金眼、正真正銘の外国人だが、言葉遣いはエセ関西人である。
国家探索師はその能力に応じてランク付けされており、その頂点は十層となる。もっとも、現代日本において十層認定を受けている数は四人しかいない。九層探索師ですら十人に満たない。『高層部』と呼ばれる彼らは、頂点の中の頂点と言えた。
そんな彼には今、片腕がない。
青い館の中にあって、彼の腕からは血液がぼとぼとと音を立てて流れ落ちている。
館の入り口───エントランスから一歩動く暇すらなく、この館を蠢く殺人鬼によって持っていかれたのだ。
刹那の早業、まごうことなき不意討ちであった。
ミレニアムは呻く。
「これ舐めとったけどアカンわ。俺死ぬで」
「諦めんの早すぎるだろ」
「いやいやこれマジでアカン。俺と相性最悪や。あー、アカンアカンアカン! 見えた見えた見えたわ! 俺死ぬ未来見えた! 死ぬわ、すまん!」
「お前は何回自分が死ぬ未来見りゃ気が済むんだよ」
「…………」
「ミレニアム?」
返事がなかったのでそちらを向いた勇者の、鼻を突いたのは血の匂い。
「あちゃー、死んだかこいつ……」
別に死ぬのはどうでもいいのだが。
問題なのは、死ぬ時に『なぜ』『どうやって』を何も遺さず死ぬ癖があるのだ。このバカ。
共に迷宮へ乗り込んだ回数はそこそこあり、その度に悪癖を直せと言っているのにまともに聞きやしない。
「ま、いっか」
こいつについてはどうでもいい。
ひとまずは先に進もう。
嬉土水門は歩を進めていく。
青色の洋館。
全てが青色だと、ミレニアムは言った。
だが素材はそれぞれ異なるようだ。
全体的な建築は木造だが、鉄が用いられている部分もある。当然だろう。カーペットの敷いてあるところ、そうでないところ。ドアノブは金属製。長テーブルの上には陶器の皿が並んでいる。皿の上には料理も並んでいるらしいが、全部青だろう。この流れ的に。
口にするつもりはなかったのでスルー。
「それはそうと、青い食べ物って食べたくなさがすごいよな」
なんて呟きながら部屋を回る。
一通り回った辺りで、エントランスに戻ると。
「ミレニアム?」
死体が消えていた。
血の匂いは微かに残っているが。
「消された……片付けられた? 死体を食うタイプの迷宮? そういう雰囲気じゃねーけどなあ」
けれど事実、ミレニアムの死体は消えている。
これは、認識を改める必要がある。
あれは帰ってこない。そう思って動くべきだろう。
では、そろそろ答え合わせをするか。
なぜ、ミレニアムは殺されたのか。
「答えは簡単だ。あたしは殺せねえもんな、この仕組みだと」
そう言って。
彼女は軽く腕を振るい。
手応え。
次の瞬間、その拳に殴られた『何か』が吹っ飛ばされた。
ゴオンッ!! という音で、壁か何かに当たったのが伝わってくる。
「ぐぎ、ぎぎ」
そこに、『何か』いるのはわかる。
具体的な形状も推測可能だ。
ヒトに近い。二足歩行二本腕。腕は長く、直立しても床につくだろう。そんな体型で前傾姿勢を取っているから、まるで蜘蛛のようだ。そして素早く動き回れて、何より。
「青いんだろ、お前」
保護色。
背景全てが青の空間で、青色の化物が暴れまわる。それは不可視不可避の死となって、侵入者を殺すのだ。
だが。
「残念だったな。あたしは元から、見えてねーんだわ。いや、見ねーんだわ」
嬉土水門は、目を隠している。
布状のそれを顔に巻くことで瞳を隠す彼女にとって、この迷宮の怪物が何なのかは直ぐに見当のつくものだった───見えてないのに見当がつく、冷静に考えればこれほどおかしな文字列もねーけど。
「序盤でさらっと言及されたっきりだからな。もっとも、死に設定にはさせてやんねーよ。これが私の、
さて。
「ぐぎ……ぎぎぎぎぎぎぎッ!!」
「まだ来るか。おもしれー。不意討ち保護色頼りっきりの軟弱ものじゃねーわけだ。いいぜ相手になってやるよ。この小説が館ミステリじゃなくて良かったな。花持たせて、散らせてやらぁッ!!」
「ぎぎゃがあああああッ!!」
振るわれる長腕。通常であれば背景に混ざり間合いを狂わせるだろうそれは、視界に頼らない水門にとって何の死角にもなりはしない。
掴んで、振り回し、反対側の壁に叩きつけて。
がら空きの腹へ一撃を放り込む。
「せい!」
「がッ」
苦しみの声をあげる怪物は、それでもなお足掻こうと立ち上がる。
「ぐぅぅぅぅぅ」
「くくく。いいね」
再び放たれた長腕を掻い潜り近接した勇者。
しかし怪物はダン! と床を蹴り、上へと跳ねる。
立体の軌道を利用した変則的な動きで勇者を振り切ろうとしたのだろう。が。
「おせえッ!」
その動きを見もせずに、左手で怪物の首を掴んで、ダンッ!! と床へと叩きつける。
「あーばーよッ!!」
右腕を、振り下ろす。
その、刹那。
「ちょ、待ってや」
怪物の腹を内側から破るようにして。
白い手が突き出され、水門の拳を掴んだ。
「俺がまだ中におるねん」
ぐちゅぐちゅ。
ぐちゃぐちゃ。
ぐちぐちぐちぐち。
ぐぢぐぢぐぢぐぢぐぢぐぢぐぢぐぢ!!
一歩下がった勇者の前で。
「ぎぎゃッ、があッ、ぎぃぃぃぃぃぃ!!」
怪物の中から異音が響き、そして。
ばちゅん! と。
悶え苦しむ怪物を内側から粉砕して。
金髪金眼の男が出現した。
彼は頬についた血をペロリと舐めとる。
「ご馳走さん、案外旨かったで」
「食われたのはわざとか」
「殺されたんもや」
「嘘つけ」
「ホントホント。ホントやって。いや普通に考えりゃわかるやろ。俺の未来視で見えへんってことは、見えない奴が襲ってきてる。なんにもかもが青い屋敷なら、見えない奴は十中八九青色や。そんな奴が赤い肉詰まってて白い骨してやっぱ赤い血の流れとる人間殺したら後はどうするか。決まっとるやろ。肉は食う。骨は飲み込む。血は啜る。そうせんと青色やない場所ができるからやな。おぞましいなんて言われそうなことやけど、俺は死んどるだけで、相手が勝手に体内に入れてくれるんやから有り難いもんやで。お陰で内側から食えた。旨かったで、これもホント」
そして。
「ま、人間の方が旨いケド」
そう言って、笑った。
「水門ちゃんも食いたいわあ」
ミレニアム・ベリーウェルダン・エピソードシリンダー。
その正体は、『吸血鬼』である。
未来視の魔眼という王権を持つ、人外。
あたし的にはつえーから気に入ってるぜ。
っと、今回は三人称の話だっけ。退散。
吸血鬼。
わざわざ新たに説明するまでもない存在だ。
本来人間社会での生存を許されないそんな彼は、しかし捕食・吸血の対象を迷宮内の生物実体のみとするという約定を交わすことで、平然と人間社会に紛れることに成功した稀有な存在だった。
その年齢は五百歳とも言われ、それだけの年月を生きてきたがゆえの、過去の叡知と、王権による未来の予知、そして吸血鬼という不死すなわち現在の命。この三つを揃えた人外である。
「でもそろそろ人の血も恋しいわあ」
「我慢しろよ。できねーならあたしのを吸いに来い」
「吸わしてくれんの!?」
「なわけねーだろ。返り討ちにして、その五百年にケリつけてやるってことだ」
「それもありかもしれんね。……あ。いいこと思い付いた」
「なんだよ」
「水門ちゃん指名されたあの第六迷宮、俺も行くわ」
ニマ……ッと。
口角を、狡猾に上げて。
彼は言った。
「番人代行は人間なんやろ。でも迷宮生命体でもある。なら───ルールに則って血が吸える。しかも『不死』の王権持ち! 吸い付くしたら復活させて、また吸って……ずーっと吸ってられるってことやん! 行かない理由があらへんわ」
「なるほど名案だな。不可能だってことを見なければな」
あー。あー。あー。
よし。
悪いな。そろそろ今回の話を締めに行くからよ。語り部の座は、あたしに努めさせてもらうぜ。
で、なんだっけ。
ああ、ミレニアムがあいつんとこに行くって話か。
いいじゃねえの。
一緒に行こうぜ。
ただし、お前の目的は達成不可能だ。
「あいつはあたしに勝つと言った。第五話でな。勝ってオムツを履かせるとな。───なら、お前程度には負けねえよ」
「え、そんなヤバイやつなん」
「ヤバくねー人間なんかこの世にゃいねーよ。まあ、とにかくだ」
アッシャー、大鴉、黒猫。
奴らを撃退して魅せた手腕は見事。
あんなにつえーなら、混ざらずに、蹴散らして、あたしが攻略すりゃ良かったぜ。なんて思えるぐらいだ。
だが、そいつは間違いなのも理解してる。
あの三戦を乗り越えたから、あれは強くなり、完成したんだ。
くくく。
どうせ倒すならトム・リドルよりヴォルデモートだろ?
その方がぜってー楽しいぜ。
……ミレニアムのこと言えねえな。テンション上がってんのは、あたしも同じみたいだ。
だがこれだけは譲ってやらん。
「あれは、あたしの敵だ」
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