第13話 奇跡は起きた。ボクが来た


「ふへぇ……どうしましょう……食べものがなくなった……」


 送川おくりがわ累々るるは途方に暮れていた。

 食べ物が尽きた。そして補給の目処もたたない。

 パーティーを追い出されたのだ。

 お前のような不気味なやつはもう必要ない。

 それが彼らの理屈だった。


 さて困った。

『彼女』には、地上世界での居場所がない。

 迷宮にしか居場所はないのに。

 だが迷宮───第六十一迷宮『雨の古城』は極めて難易度の高い、大迷宮クラスの代物。パーティー無しのソロプレイヤーが生きていける環境ではない。

 それでも彼女はなんとか凌いだ。

 幸いにして高難易度であればあるほど、彼女は強力になる。そういう魔具と契約している。尤も、その魔具のせいでパーティーからの追放という憂き目にあっているのだが。


 けれど、食糧問題だけはどうしても解決しなかった。


 彼女の頭脳は人倫に反せても。

 彼女の胃腸は人間のそれだった。


 三角座りを続ける。

 灰色である。仰向けば水滴が顔の端々をつつく。

 温度は立ち去っている。

 傘がないので、頭からもらい続けて既に十日。

 着替えていないが、非難する者もない。歯だって磨いちゃいなかった。

 腐臭には今も慣れない。いつも漂い続けている。嫌悪していても仕方ないけど。


「……これからどうしましょう……レアちゃん」


 問いかけに返事はない。答える知性も能力も全て剥奪されている。

 ただぼんやりと濁った目をして、累々の隣に佇んでいる───屍。

 溜め息。

 累々は右手の指輪を見る───中指に咲いた黄金の髑髏花。空っぽの目が笑っている。


 魔具『雑過ぎた埋葬ネクロマンス・ダンスマカブル』。その効果は、屍の使役。


 だからこうして───祈る。


「どうしましょうか……レアちゃん」


 雨が冷気を漂わせる。


 三十秒ほど間をおいて。


「はあ、い」


 という明るく嗄れた声がひきつるように紡がれて、音と音の間の断裂が拡大したこと、雑音が多量に混ざること、そういう諸々に悲しくなる。


 能力を集中させたのだった。

 そうすれば一時的に自律した知性を獲得するから。


 見上げた先、友人の姿。


 崩れた石壁の欠片に腰を据えて、友人の屍は動かずいる。黒い服は、累々と同じく汚れが目立つ。髪が長い。首が右に傾いたままなのは、骨が折れているからだ。骨折は足にも腕にもあり、構造上機敏には動けない。


雑過ぎた埋葬ネクロマンス・ダンスマカブル』で操るには少々使い勝手の悪い屍である。


 顔に大きな傷はなく、生前の面影を遺しているが、だからこそ快活だったかつての表情を映さないその無表情に、どうしようもなく不可逆の変貌を突きつけられて、いけない、泣きそうだ、いやとうに泣いている、泣いているのに気付けない、こんな雨の中じゃ、泣いていようが関係ない。


 指先が寒い。

 冷え続けている。


 迷宮を脱出すること。それ自体は容易い。高難易度の『雨の古城』はその難易度ゆえ人間獣魔物問わず屍の数は非常に多い。だからこそ累々の魔具はよく働く。それでも攻略まで辿り着けない大迷宮だが、逃げること自体は可能なのだ。


 問題は、逃げた後の行き場がないこと。


 憲法、法律の影響から逸脱している迷宮内ならともかく、地上世界で屍となったレアを連れ歩くことはできない。エンバーミングは認められていない。罪に問われるのは間違いない。問われずとも、過酷な道には違いなく。


 外で、地上で、生きていけるものか。


 だから残った。

 離脱を選んだリーダーに逆らって。

 不気味なやつと言われた。それが、彼の精一杯であることを、累々も理解している。


「雨やみませんねえ……」


 そういう迷宮だ。

 止まない雨。気分は病む。


「雨の日は、嫌いでした。濡れるのが嫌だったから。だからって部屋の中にいると、それはそれで沈められるみたいで、今も、そうかもしれません。レアちゃんはどう思いますか?」

「雨は、雨、雨は、沈められ、るる」


 レアは返す。自律思考とは言えそこに生前の名残はない。ほとんどが、累々の言葉の繰り返し───残響エコーズだ。話す速度は遅く、途切れる頻度は多くなっている。


「でも、まだ可愛い声です」

「かわ、いいこ、え、です」


 昔。

 遠い昔に思えるほどの過去。

 でも多分それはまだ数年前だ。

 音楽の時間、国語の時間、レアの声を聞けるから、それらの時間は好きだった。

 全てが笑っているようにしか思えない空間の中、彼女の声だけが必要だった。


 それも今───衰えつつある。


「……ここまでですかね」


 終わりが見えた瞬間、心も折れた。

 どうしようもない。

 努力も何もなく。

 ただ『彼女』に従って生きてきた彼女には、十日間粘れたこと自体が奇跡だったのだ。


 世界なんて変えられない。

 社会なんて変えられない。

 常識なんて変えられない。

 運命なんて変えられない。

 未来なんて変えられない。


 奇跡は起きた。

 十日粘れた。

 それで終わりだ。


「い、や、まだ、だよ」

「え……」

「ここまで、じゃ、ない」


 ただし。

 送川累々の奇跡だけならそうだが。

『彼女』の奇跡まで含めれば話は変わる。


「まだ、だよ」


 少しだけ表情が変わる。

 懸命に考えて、考えようとしている、しているはず。


「無理しなくていいですよ」

「無理しなくて、いい、じゃない、無理する、の」


 考える。

 考えようとする。

 何か、まだ、言おうとしている。


「一緒に、何度も、遊んだ、ね。迷宮も、行った、ね」


 そうだ。楽しかった。恐ろしいこともあった。楽しいことも山ほどあった。レアは、楽しかったことを思い出そうとしている。他に何ができる?


「行きましたね。『ナポレオン』も『バベル』も『納骨座敷』も行きました」

「塔は、まだ、こわいと、思うん、だよ」


 高所から落ちて死んでも、高いところが苦手なのは変わらないと、「彼女」は言う。


「でもももう、お化け屋敷、は、こわくない、よね。きっと。竹原爺の、数学、も。はは」

「笑ったね」

「はは。はは」


 頬が緩む。口許が少し開いて。

 首は横に傾いたまま。

 うまく開けない。

 口角の変化は乏しい。

 本当は笑えていない。ヒューヒュー漏れた息が、辛うじて拾えた文脈のお陰で、笑い声みたく聞こえただけだ。

 表情筋は弱まっている。

 筋肉が断裂していく。


 生前の面影が砕けていく。壊れていく。崩れていく。


「楽しかった。楽しかったよ」


 それでも、「彼女」は。


 その刹那のために。


 在りし日の全てを失ってでも。


「本当に、楽しかった」


 全ては、彼女を守るためだった。


 予期していたのか。

 どうなのか。

 全てはわからない。

 砕けた骨を持つ体がこれほどの稼働を見せることがあるのか。

 あった。

 少なくとも、この刹那。


 レアの体が動作し、残りの全体力で累々を突き飛ばす。


 その直後、さっきまで二人のいた空間を、黒い鱗が駆け抜けた。


「……ッ」


 雨降りの城には、竜が棲む。

 竜の熱を冷ますため、その強欲を諌めるため。

 天は雨を降らすけど。

 竜は気にせず、そこにいる。

 雨降りの城には、竜が棲む。


 竜。


 迷宮の番人たる黒竜が、二人を発見した。


「レアちゃん!」

「だ、だい、じょうぶ」


 でも、ここまでだ。

 咄嗟の動きは屍の性能を大きく超えていて、その反動で関節はイカれた。

 もうレアは動けない。

 累々では、動けないレアを連れて逃げることも不可能。


 奇跡は起きた。

 累々を数秒延命させた。

 そこで終わりだ。


 竜が二人を向く。

 その口が開く。



 終わる。


 ここで終わる。



 シリアス百合パートはここで終わる。


 ごめんなさいね。


 でも挟まるつもりはないんだ。許してほしい。

 ただ、目的のために。

 わざわざ大魔王から、強力な魔具使いの情報を教えてもらって、ここまで来たんだ。

 大鴉撃退のために、彼女の魔具は有用だから。

 だからここで割り込みマッスル侍サンドバッグってね。意味不明? はは。ボクもだよ。意味、そんなに重要?

 というわけで語り部は交代。ここからはいつも通りボクが語ろう!


「奇跡は起きた。ボクが来た。これが奇跡だ。そうに決まっている。とりあえずそこの二人」


 久遠寺結上位互換に持ってかれてたノリを今こそ取り戻す!


「はちみつください」

「はいぃ……?」

「しょうもないネットミームを使わないの。ギリギリ間に合っただけで余裕なんてないのを忘れない。ほら、行くよ」


 繰り返すけど。

 シリアス百合パートはここで終わる。

 ごめんなさいね。


 ここからは、織機とボクで大迷宮を攻略する時間だ!


 さあ、ドラゴンクエストを……いや。どっちかというとこの状況はこれかな。


 さあ、


「一狩り行こうぜ!」




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