魔具戦争

第11話 『そんなところも、好きですから』




「迷宮の外に出ることは可能です」


 訪ねると、ダリアは答えてくれた。


「『不死』の王権機能により、痛みは伴いますが、外部でも実体を維持して活動することは可能ですよ」

「痛みか。まあ、それぐらいなら耐えられる」

「どこへ行かれるんですか?」

「幼なじみに会いに。探索者なんだ」


 元、だけど。


「大鴉って探索者は、織機に聞いても知らないらしくてさ。ベテランに聞けば何かわかるかもしれないし」

「ふうん。目立つ外見の奴でしたが」


 ペストマスクにロングコートで拘束具、だっけ。まあ、目立つよな。でも織機は知らないってさ。大鴉、不気味な奴だ。


「それと、新しい迷宮防御機構を構想しててな」

「罠だけでは足りないんですか」

「というか、罠の設置まで回せる時間ってあんまりないだろ?」

「そうですね……。正直に言うと、修復の時点で間に合うか怪しいところです」

「だろうな。そこでだ。ダリア、迷宮構造そのものを大きく弄ることはできるか? 具体的には、四層以下を全部繋げてデカイ空間にしたい」

「できますけど、そんな大きな空間で何をするんですか。瓦礫の山の中に王権を隠すつもりですか」

「いや……迎え撃つための戦場にする。ボクが構想してる防衛機構は、十全に扱うために広い空間が必要なんだ。それともうひとつ、大鴉はアッシャーから迷宮内の情報を聞いてるはず。だからこの際抜本的に改築して、予想を外していこうと思う」

「わかりました。では……今からその方向で、修復ではなく改築を進めてもよろしいですか?」

「話が早い! 愛してるぜダリア」

「はいはい。ではいってらっしゃい」




 ───


 迷宮二つに迷宮化事件跡地一つを持つ音羅城は探索者が多く来訪し、それに伴い駅や迷宮周辺の近代化が進んでいるが、二~三キロも離れると目を覆いたくなるほど広大な田畑と、四方をぐるりと山に囲まれているのだった。賑わいはすれど一皮剥けば所詮は地方都市、ただの片田舎である。


 そんな陸の田海には所々点在する集落と丘、そして森が目立つ。そのうちのひとつに、ボクの目指す魔所がある。


 少し小高い、人の寄り憑かない森の中。

 とうに忘れ去られたような貯水湖がある。まるで古代文明の遺跡のように見えるその畔に向かうと、木々と草花に隠された小さな扉を見つけられるだろう。


 ボクはどうしようもない嘘つきだけど、これは嘘のような本当の話で、その扉の向こうは貯水湖の地下に繋がっており、そこにはアンティークな物品で飾られた地下室があったりする。ただのアンティークじゃない辺りキワモノめいてる。なんせ魔力を纏っているのだ。ある意味それは今のボクのひとつの理想景、すなわち、完成された迷宮といえる。まっとうな人間はこんな場所までやってこない。完全に俗世から切り離され、また、外界を拒絶している世界の縮図。それが音羅城郊外、もと久遠寺財閥の私有地だった一帯である。


 ボクは近場のバス停で降りる。恐らくここ一週間で、このバス停で降りた人間はボクしかおるまい。なんなら本体が迷宮と化してる以上人間と言いづらいことを考えれば、人間の降車人数はゼロ人である可能性もある。

 錆びたバス停の時刻表には、死人の彫ったような文字で、ミミズののたくったような地名が残されている。


 バス停を降りて森を進むこと数分。唐突に視界が開け、貯水湖が姿を表す。蛇か竜でも潜んでいそうだ。不穏な静謐を湛える湖面は一切の揺らぎを許さない。セミも風も、ここでは等しく沈黙する。

 畔を行く。

 一本だけの外灯が目印だ。


 ───と。


「げ」


 最悪だ。

 会いたくない人間がそこにいる。

 織機じゃないよ。アッシャーでもない。まさかまさかの大鴉でもありません。

 新キャラです。

 伏線も何もない。だって話題にしたくもなかったからね。でもこうして会ってしまったなら、仕方ない。


 向こうもボクに気付いた。

 相変わらず格好が終わっている。

 少しでも彼女の口数を減らしてやろうと、ボクは先に挨拶した。


「こんにちは、久遠寺くおんじむすびさん」


 対する彼女はニュッと頬を歪めて。


「『病れ病れやれやれ』(「大きな黒の死」より)

『私のことは』(「VSイルミネーター」より)

『ユイ姉さんと呼びなさい』(「世界の終わりの珈琲ショップ」より)

『これ以上ない親しみとほんの僅かな呪いを込めて』(「怪異無礼教大聖経典」より)


 ───『ね?』(「美しさという搾取と醜さという暴力の相関並びに帰納的世界数列が内包する矛盾についての一考察」より)」



 ……相変わらずイカれているようで何よりだった。


 久遠寺くおんじむすび

 上半身をスーツでビシッと決め。

 下半身を下着と靴下とハイヒール以外何も身に付けていない。太腿の白さが眩しい。スラリと伸びた脚は、世界というジグソーパズルのそこだけ綺麗に欠落しているように思える。

 そんな彼女は、度を超し過ぎた書痴であり、口にする言葉のほとんどが創作物の引用である。


 実にイカれた女だ。

 気分が悪くてたまらないね。


「珍しいじゃないですか。第十四迷宮『外惑星軌道図書館』跡地に籠ってるって聞きましたけど。確か食べられる本を発見して以来ずっとだと」

「『酷い噂だねまったく』(「あかされしナルゴスロンド」より)

『私が見つけたものはもっと別だ』(「ミスターファーブル&レッドバロンの冒険3」より)

『私が読んだのは本の食べ方だよ』(「本の美味しい食べ方」より)

『食べられない本があるように言わないでくれ』(「本の美味しい食べ方」より)

『全ての本に失礼だろ?』(「愚神礼賛のススメ」より)」

「そうですか」


 本の美味しい食べ方? 意味がわからない。

 だが、彼女の棲みかである『外惑星軌道図書館』は存在する本と存在しない本を集めた大迷宮だ。そんなところの本を読んでたなら、本を食うための本だって見つかる可能性は否定できない。事実、彼女は見つけたのだろう。でもなければ、十ヶ月間一人で、何の食糧水分も持たずに、迷宮内で本だけ読んで過ごせるわけがない。


 迷宮を棲みかとする女。


 実に嫌な気分にさせてくれる符合じゃないか。


「そんな食書家のユイ姉さんが、どうしてこんなところに?」

「『こんなところとは酷い言いぐさだね』(「屍臭町」より)

『姉が妹に会うのに』(「血濡れ簪」より)

『何か特別な理由がいるとでも?』(「VSイルミネーター」より)

『いるというなら』(「扉の向こう」より)

『キミは酷い人格破綻者だ。差別主義者だ。言論弾圧者だ。裏切り者だ。殺戮者だ。許されざる者だ。正義の敵のそのまた敵からみた敵の敵だ───だが、その歪み方は嫌いじゃないぜ』(「ダーク・オブ・キャステラン」より)」


 ヘラヘラと笑いながら、答える結。

 腹が立つボク。

 わかりづれーのに婉曲で、ふざけながら気取ってるから、聞いてて怒りが湧いてくるな。


「『おっと怒らないで。まだ話は始まったばかりだ。楽しもうぜ? マスター、彼にビールを頼む。とびっきりの、冷たい奴を』(「中学生には向かない密室」より)」

むすびさん、さっさと答えてくれませんか」

「『だから言ったろう、ボクはその呼び方が嫌いなんだ』(四年前のキミの発言より)」


 ああ……。

 マジでキレそう。

 ダメだ。落ち着け。

 こいつはボクの上位互換だ。

 ボクの怒る点は完全に把握してるし、ボクの感情も理解してる。何せ、彼女の前では、ボクは単なる鏡なんだ。実像は彼女で虚像はボク。実体と主体は彼女のもの。ボクは左右反対の紛い物。

 勝ち目はない。

 アッシャーとの賭けじゃない。

 薄いとか低いとかではないんだ。

 ない。ないんだ。

 挑めば負けるだけ。

 だから戦うな。

 彼女は鏡を割れば勝ち。ボクは何をしても鏡の向こうに手が出せない。


 今は、まだ。


「『悪くない目だ。認めよう』(「オルセーロス物語」より)

『答えを言うとね』(「細波の鳴る森」より)

『電子書籍、我が昔日の怨敵』(「作家 金子川又三郎のマジカルな記憶」より)

『の区画を見つけたんだ』(「灘瘰炭鉱の底で」より)

『迷宮でね』(「ミノタウロスロス」より)

『でも私、読み方がよくわからなくってぇ……』(「ほうき星と大三角に願いを」より)

『そこで妹に聞きに来た』(「目玉抉り鬼」より)

『手触りがない、香りがない、彩りもない、目には悪い、そのくせよく滑る、気軽に開けもしない、読み込みに時間のかかる、厚みはなく、充実感もなく、文字の並びも気に食わない、読んだ端から忘れてしまいそうで空虚で、一体全体何が良いのか皆目検討もつかない、あの電子書籍なる人類最大の愚の、その使い方というものを、恐らく二度と使うまい知識ではあるが、覚えておくにも腹立たしい汚濁にまみれた知見とは言え、必要であるからして仕方なく、』(「町から消えていく書店たちへ、ざまあみろ」より)

『ね?』(「美しさという搾取と醜さという暴力の相関並びに帰納的世界数列が内包する矛盾についての一考察」)」


 ……聞いて損した。

 つまり図書館の迷宮で電子書籍の区画(冷静に考えると何それってワードだ)を見つけたから、電子書籍の使い方を聞きに来たと。

 図書館なんだからその場で調べろよ……。


「『妹の細く白い喉を通り唇の艶かしい動きと共に伝えられる玉のような音の連なりこそ私の生まれてきた意味と知る』(「その化野の」より)」


 はいはい。

 ……ますます腹が立つな。

 何せボクも、理由は似ている。


「『それで?』(「ハーメルン・コルドーの超越的事件簿」より)

『キミは私の妹に、一体何の用件かな?』(「言われなくても、わかるけどね」より)」


「なら当ててみろよ」


「『君の求める人については、この先にいる彼女が詳しく知っているよ』(「探偵 二宮シイルのガチャガチャ」より)

『私は「モルグ街の殺人」の方が好きだけどね』(「殺人園」より)」


 お手上げだ。


「ボクはあなたが嫌いです」

「『そんなところも、好きですから』(「八月の桜」より)」


 ヘラヘラと笑う久遠寺結。

 迷宮の中で暮らし、

 妹に教えを乞いに来る女。


 イライラと睨むボク。

 己を迷宮と化し、

 大鴉について教わりに来た男。


 ───これを相似ととるのは拡大解釈だろう。

 そうであってほしい。


 そうであってくれ。


 頼むから。



「好きと言ってもらえるのは光栄ですが、残念ながらボクには心に決めたヒトがいる」


 あなたの妹ですよ。


 ボクはもう、彼女の顔を見ない。

 ザクザク草を踏み締めて、魔王の御殿の扉の前へ。


 ドアノブを握る。


 軋みを上げて、扉が開く。


「『病れ病れやれやれ』(『大きな黒の死』より)」


 背後で肩を竦める気配。

 それを無視して、ボクは踏み込む。


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