第2話 ボクは今、死んでもいい
ブックマークはしたかい? 評価は押したかな? ここから続くしょうもない雑談(パンチラ含む)に呆れることなく、三話の出逢いと四話以降のダンジョン防衛譚を読み進める準備はオーケー? では、始めようか。ボクはいったいどうして、焼き付くようなパンツを見たのか。
以下、回想。
友達を作ると、忘れる記憶がひとつ増える。
そんなことを思っていた、いつのことかといえば、明日から夏休みだというのに何の予定もなかった、終業式の日の夕方───つまりついさっきである───そのときボクは、約束された退屈の始まりを予感しながら、高校からの帰り道をぽつぽつ歩いていた。
夏休みというものは年に数度かあるまとまった休日の中でも最大規模のもので、学生にとっては、恐らく全ての学生にとっては、嬉しいものであるはずだ。ボクだってこの長期休みを嬉しく思わない訳じゃないのだけれど、しかし同時に、長期休暇というものは暇を持て余す時間であることもまた歴然としてそこにある。
特に夏休みは、部活も入ってないし、宿題だって気合いいれてやればすぐに終わってしまうわけで。
それに、何となく家に居づらい。
親と思えない両親と、妹の遺影に囲まれた家で、夏を謳歌できるはずもなし。
そんなわけで探索者よろしく、町をうろうろしているのだった。
町。ボクの住む町。
三度迷宮が生まれた地。
時間を潰すのであれば学校の中で潰せばよかろうが、しかし家に居づらいのと同程度の蓋然性で、校内も居づらい場所である──人口密度が高い。
人を覚えるのは苦手だし、意識するのも巧くない。
その点町は、人こそそれなりにいても、わざわざ覚えなくていいから気楽だった。
そんなわけで、というほどのわけでもないのだが、劇的な理由もなく、特別叙述の必要があったかも疑わしいこの動機で大変申し訳ないと思うのだけれど、まあとにかくこれがボクの語りだ、多めに見てほしい、否、読んで欲しい、なんて世界を読み物か何かみたいに捉えるのは卒業しているこの年齢でマジに言うわけもないこれはいわゆる戯言だけどね、嘘だけど、まぁ、いいじゃん?
どうせこれだけ話しても、時間は対して潰れないんだし。
なんて、字数稼ぎかよって思考を巡らせていた丁度その時、ボクは前方に見覚えのある背中を見る。
夏休み。三年生であるボクの同級生、そして全校の有名人───彼女の名を、
腰に差す剣がゆらゆらと揺れた。
制服姿。
ベルトを巻いている以外、一切の改造を施していない、膝下十センチのスカート。
夏服のため、上はシャツだ。
スカートの下には校則指定の白い靴下にスクールシューズ。
肩にはスポーツバッグを下げている。
健康的な優等生、といった趣だ。
そして実際、彼女は優等生───ただの優等生じゃない。ド級の優等生である。
曰く、いつかの定期試験にて八教科中七教科で満点を叩きだし、残り一教科も九十八点であった(ちなみにこの教科、平均点は五十二点)。
曰く、授業中に黒板の数倍の情報量のノートを作成しており、数学だけで既に七十二冊目である。
学業成績だけが彼女の偉業じゃない。
昨年発生した校舎迷宮化事件を単独で攻略し、その功績から特例として未試験で探索者免許を得たことは、我が校の歴史に残る伝説だろう。
一年生の時はクラスが違ったようだし、二年生でも違うクラスなので、今年でようやく同じクラスとなった。だが今まで話したことはない。向こうもボクのことなど知りもしないだろう。
いや、学校内全員の名字を覚えているという噂もある。
対極。
天上の人。
ボクの対極にある存在だ。
ふむ。
と、ボクは一瞬、彼女に気を取られてしまう。
普通の高校生じゃない、超高校生
まあ。
そんなこともあるだろう。
偶然である。偶々だ。
それにこの方向、彼女の目的地は旧商店街に形成された迷宮だろう。
偶々方向が合うことなんて、ありふれている。
なんら不思議な話ではない。
彼女は気付かない。当然だ。ボクは後ろにいるんだから。幾ら完璧超人だろうとも背後に目のついてる奴はいないし、そもそも背中に目がついてたらその時点で完璧じゃない。パラドックスだ。しょうもないパラドックス。
まあ、気付いてたとしても、何も起こるまい。
彼女のような人間はボクのこと嫌いだろうし。
真面目な彼女。
不真面目なボク。
水と油、なんてもんじゃない。
水と泥だ。
このまま追い越さないペースで歩いて、程よい曲がり角で曲がるとしよう───
そのときだ。
彼女がこけた。
「あ」
と。
思わず声を漏らしてしまった。
織機の校則順守な、膝下十センチのスカートが、体勢の崩れに伴って不自然に上がった右足によって捲りあげられたのだ。
手で抑えようにも、彼女の両手は地面に向けて着地のために起動していて、さてもうどうしようもなく。
どこか滑稽ですらある。
当然、スカートの中身も見えてしまった。
日の光差し込まぬ影の領域に、一際黒い部分がある。
白い二本の、骨と肉を包む肌のラインのその付け根の僅か上。背後方向へ膨らむ丘を包み込むそれは夜のような闇。新月の夜の天涯だ。その刹那、白い二つの丘に佇み、無明の夜空を眺める旅人の姿を幻視した。
黒洞々たる下着である。
際どい形ではない、布面積それ自体は織機の丘を覆いきるのだから大きいほうである。幅も広く、生地も暑さを感じさせた。決して透けて見えてしまうような扇情はない。そういう点では色気はない。
けれどその漆黒の様、光を集めて逃さぬ虚無に、ボクの目は吸い込まれてしまった。
そして決して地味ではないと理解する。
見えた───刺繍、恐らくは花をあしらっているのだろう、複雑な紋様が漆黒にコントラストを添えている。たぶん、左右対象。美しい。
更に。崩れた彼女の体勢と舞い上がるスカートによって見える───白。スカートにインされていたシャツの裾まで、はっきりと観測に成功する。この時、彼女の少なからず肉のついた脚二本と、シャツの裾の白さが、黒の稜線をより鮮烈にしているように思えてならなかった。光あれ───。光が強いほど、影もまた強く、濃く、ああ闇よ、闇よ。
この瞬間を、ボクは忘れない。
スカートなんていらない。パンツこそ志向。そんな過去の己を恥じた。もっと恥じるべきものがあると思うけど、無視した。無視できないものが目の前にあるから。
何より、転びかけた己の脚によって捲りあげたという状況にも味わいがあった。
完璧超人が恐らくこの学生生活において後にも先にもないたった一度犯した過ちという希少性に加えて、転ぶという動作の持つある種の滑稽さ、無様さ。下半身より頭部が下に来るその姿勢は考える葦として知性を重んじる人類の生物的特性を捨てる、尊き先人たちへの冒涜に他ならないとすら思えて。
スカート内の神聖とスカート外の失態が陰陽を象り太極図すら具現するように見えた。
ボクはその光景を一時間は味わい尽くしたように思われた。いや、実際は一分にも満たなかっただろう。
それでもボクはその刹那を永遠と捉えて貪るように味わい尽くした。
見開いた目から渇きが失せるほど集中した。
目が奪われた。
そらすことが失礼に思えるほどの、その尻の圧倒に。
網膜に焼き付いたようだった。
クルタ族の緋の眼が赤色に染まるなら、ボクの目は純黒に染まっているだろう、あのパンツが焼き付いてしまっているのだから、って、目は元から黒いか。
まあ、それほどに衝撃だったのだ。
───いや。
流石に字数を使いすぎだ。
十万文字の賞に出すとして、既に五千字近く使っているぞ。
二十分の一が尻とパンツの話で埋まっている。五パーセントだ。
この小説の五パーセントは尻とパンツの話をしています。
おかしい。
この小説のジャンルは現代ダンジョンのはずだ。
なのに迷宮の存在を匂わせる程度で、まだ全然辿り着けないぞ。
って、ボクは何を考えているのか。
眼前の光景に見惚れる時間は終わって、ようやく思考が回りはじめて、それで今度は迷路に陥っているらしい。
迷路、迷宮。
そうだ、迷宮なのだ。
彼女は、迷宮に向かっていて───あ。
目があった。
織機は姿勢を既に戻しており───振り向いて、真後ろにいたボクを見ていた。
凝視していた。
直視していた。
直死?
「……えーと」
やば。
対応に困る。
どうすりゃええんやこれ。
「でっけー烏だなあ」
天を仰ぎ、見てない振りをしてみた。
「さっきからずーっと見てられるなあ」
どうだ?
しかし織機はボクのその三文芝居には反応せずに、両手をパンパン叩いたあとでスカートを今更のようにはたいた。
そして天を仰ぐようにして
「本当におっきい烏」
それから改めてボクを見て。
「あはは」
と。
はにかんだ。
笑うんだ。
この状況で。
器がデカイ。
「スカートってさ。やっぱ防御力がないよね。それともあれかな。攻撃的防御って感じなのかな。こう、見惚れた相手をスパッと首無し死体に」
「さ、さぁ……」
「ちなみに私は剣を持っています」
これってつまり、死の宣告?
「幸い周りに人はいないし、首無し死体はひとつで済みそう」
「し……死ぬのか!? ボクは死ぬのか!!」
「そうだ。一撃で、斬首して、もう決まりだ」
「し……死ぬ。……い、や……やだ。死にたくない。死にたくない! ふざけるな! 止めろ! 死にたくない!」
「みっともないぞ世界。いや、お前らしくもない」
「はー……はー……。……あれ? なんでボクの名前を……」
死のノート終盤の茶番で流そうとしたら、もっとデカイ爆弾をさりげなく投げ込まれた気分になった。
「そりゃ知ってるよ。同じ町民じゃない」
「町民!?」
同じクラスじゃないが来ると思ってたんだけど、予想の三段階ぐらいスケールが上だった。
「それにキミには、個人的にちょっと興味もあったしね」
「興味───」
超高校生に興味を持たれるような何かがボクにあるわけないだろうに。
彼女の考えることはわからない。
「そう。興味」
「ふうん。ボクは織機に興味なんかないけどね」
「わ。名前覚えてたんだ」
「覚えるに決まってるだろ君みたいな有名人」
「あはは。恥ずかしいな……。でも、ちょっと嬉しいかも」
そう言って。
織機は続けた。
「君は誰のことも覚えたがらないように見えたからさ」
「───」
ああ、クソ。
これだから超優等生は困る。
簡単に真理をついて来やがって。
「覚えたくて覚えたわけじゃない」
「じゃあどうして覚えたの?」
「自然と聞こえてくるからだよ」
「友達もいないのに」
「それでも噂話は聞こえてくるもんだろ。……あれ? 今のさりげに失礼じゃねーか?」
「パンツ見た君よりは失礼じゃないと思うけどね」
「見てないです。烏を見てました」
「『蔵』って十回言ってみてよ」
「蔵蔵蔵蔵蔵蔵蔵蔵蔵蔵」
「私のパンツの色は?」
「黒!」
「見たね」
「見てません」
「私の太ももの裏に二つあるのは?」
「ほくろ!」
「見たね」
「見てません」
「いい加減白状しなよ~。今なら一撃で楽にしてあげるからさ~」
「行き着く先は黒縄地獄ってな」
「「わはははは」」
「見たね」
「見てません」
「このままだと永遠にダンジョンまで辿り着かないよ」
「ここが会話の迷宮だよ」
「あんまりうまくないね」
「「わはははは」」
やべえ。
楽しい。
何年ぶりだろう、こんなに笑ったのは。
織機と話すの、楽し過ぎる。
見てよかった! 織機のパンツ!
だがこのままでは私は負ける。
負けるべきなのかもしれない。
ならば、方向性を変える。
「しかし織機はなんでまたこんなところ歩いてたんだよ」
「そりゃ、迷宮に向かってたの」
「探索か。流石は校内唯一の探索者」
「まあね。探索自体を楽しんでるわけじゃないけど、せっかく免許もらったからには活用したいし」
「そうなのか。楽しんでるわけではないのか」
「楽しむ余裕がないんだよね。最近はパーティーからも追い出されちゃったしさ」
「……へえ」
そういうこともあるだろう。
完璧超人だろうとも、人間関係まではカバーしきれないか。スカートの中身をカバーするより難しそうだしな。
「ならこんなところで油売ってる場合じゃないな。さっさと行きな」
「そうだね。追及はまたの機会に折を見て。っと、そーだ。スマホ出して」
「何にも撮ってないよ」
「何を撮ったとも言ってないけど」
スマホを開いて渡す。
身の潔白はこれで判明しよう。
そう思っていたが、どうやら違う目的だったようで。
「はい」
帰って来たスマホのメッセージアプリに、新しい友達が追加されていた。
「これで友達。もっと私のこと覚えてね」
「お、おう」
「あ、ブロックしちゃダメだぞ」
「しないしない。そんなこと」
「じゃあブロックダメって十回言ってみてよ」
「ブロックダメブロックダメブロックダメブロックダメブロックダメブロックダメブロックダメブロックダメブロックダメ」
「私のパンツは」
「ブラックだね」
「見たね」
「見てません」
「山と言えば」
「川!」
「パンツといえば」
「黒!!」
「見たね」
「見てません。何度やるのさこの下り」
「下らないことって楽しいじゃん?」
「上手……くない!」
下ってるんだよ! この『下り』なんだから。
「下品ってこと?」
「こっちはちょっと上手い! でもダメだぞ織機。そんなに卑下するな。お前のパンツは誰よりも上品だった」
「見たね」
「見てません」
「中々楽しいね、君と話すの。こんなに楽しいなら、一学期のうちに話しとけば良かったなあ」
あははーと、彼女は笑った。
いいやつが過ぎる。
こんなにいいやつだったのか。
そんな、そんないいやつの、ボクは、パンツを。
自己嫌悪で押し潰されそうだ。ボクは今ほど、自分が恥ずかしいと思ったことはない。
ぐぅ─────────!!
───言おう。
言うんだ。パンツを見てしまったことを、正直に告白するんだ。黒かったけど。そして謝ろう。謝罪しよう。罰は甘んじて受ける。どんな罰でも受け入れよう。それだけのことをボクはしたんだ。
「織機、ボクは……」
「あ、そろそろいかなくちゃ」
腕時計を見て、織機は言う。
「楽しかったよ。夏休み、予定が合えば会おう!」
そして、ボクが何か言う前に駆け足で走っていった───なんて、そんなの、待てよ!
「待ってくれ機織!!」
「えっ」
走り出そうとした彼女の手首を掴む───あり? なんでボクは空を見て、うわあッ!?
背中に走る激痛。投げられた───そう気付いた時には、彼女の顔が上にあって、ボクは地面に倒れていた。
流石は超高校生。武器を使わずとも実力は屈指か。
「急に掴まないでよ~。手加減間に合わないかと思ったじゃん」
「はは、悪い……。そうだ。悪いんだ、ボクは」
この体勢じゃ、頭を下げられないけど。
「ごめん、機織。君のパンツを、ボクは見た」
「ふうん。どうだった?」
「ボクは今、死んでもいい」
「オッケー、許す」
そして今度こそ、立ち去る。
と。
何とか起き上がったボクの視線の先で機織は振り返って、
「じゃあね!」
手を振った。
手を振って反射的に、それに答えてしまう。
彼女は満足して、歩き去った。
もう転ぶことはなかった。
ああ、クソ。
なんて……ことだ。
忘れたくないものが、増えてしまった。
ボクは君を忘れない。
君の優しさと、パンツの───赤を。
赤?
赤───なぜ。
おかしい。なぜ今、ここで赤が出てくる。
ボクは、今、どこにいる。
回想終了。意識を現実に引き戻せ。
時刻は夜中の十時過ぎ。
本を買って帰る途中。
回想に夢中で、そして、
近道のため入った路地裏からさらに路地裏へと奥まったそこは、既に───
異世界めいていた。
色褪せた左右の壁は、講談社BOXの表紙みたく染められている。
狭い狭い路がいやにぬかるんでいて堪らない。
濃厚な匂いが鼻腔を刺激する。
───ここは既に、血の海だった。
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