終章4 心変わり

 晴人の運転するスポーツカーは、速度を上げて東北自動車道を北上していた。カンさんのミニバンと違って車内は狭くスピードも桁違いであるため、ジェットコースターにでも乗っているような気分であったが、電車を乗り継ぐよりはずっと速く現地につけそうな予感がした。

 車内では晴人は終始無言だった。本当は色々と言いたいことがあるのかもしれないけど、何も言わず、サービスエリアが近づいた時だけ「トイレは大丈夫か?」と尋ねてくる位だった。

 潮香は過去に晴人にされた仕打ちを考えると、自分から心を開いて会話をする気にはなれなかった。下手に心を開いたりしたら、晴人がそこから色々と自分の欲望をねじ込んできそうなので、ずっと無言を貫いていた。

 静寂が続いていた車内だったが、車は順調に進み、やがて「常山市」の看板が左に見えてきた。


「どこに行きたいの?」


 晴人がようやく言葉を発した。


「えーと……西方地区というところの、井水川近くにある長屋です。近くまできたら私が教えますので」

「ああ、こないだ君が中継した時に行った場所か」

「そうです。今度市の方で壊すみたいで……でも、あの場所には大事なものが残されているんです。それが近々処分されてしまうみたいで、私、どうしても阻止したくて」

「君にとって思い出の品なのかい?」

「はい……」

「じゃあ猶更、取り返しに行かなくちゃダメだな」


 晴人はインターチェンジを降りると、カーナビを使用し西方の集落へと車を走らせた。すでに夕暮れ時を迎え、西の空は黄色や赤色に染まり始めていた。

 やがて潮香の眼中に、井水川が現れた。高校時代、信彦と何度も通りかかった堤防を見ると、潮香は胸の高鳴りを抑えられなくなった。


「あ、そこです! そこにある木造の平屋建ての長屋が……」


 すると晴人のスポーツカーはうなる音を上げて急ブレーキがかかり、長屋の前でぴたりと止まった。

 潮香は助手席から飛び降りると、信彦の住んでいた部屋へと駆け出していった。部屋の前には、「廃棄予定」の張り紙がされたこたつや冷蔵庫など、大量の生活用品が詰まれていたが、潮香はその中を掻き分けていったが、どこにもノートらしきものを見つけることが出来なかった。


「こっちには無い。部屋の中なのかな……」


 潮香はガラス戸に手を当て、部屋の中を覗こうとした。しかし部屋の中は既に片付け済みで、畳だけがそのまま残されていた。


「……もう、処分されちゃったのかなあ」

「いや、どうかな? 僕、市役所に問い合わせてみるから」


 晴人はスマートフォンで市役所に問い合わせていた。回答があまり芳しくなかったのか、晴人は「本当にそこだけですか? 他には確認したんですか?」と、時折声を荒げていた。すると、晴人はスマートフォンを手にしながら、潮香に向かって「メモ帳と筆記用具、あるかな?」と尋ねてきた。潮香は車に戻り、鞄から手帳を取り出すと、一枚ちぎって晴人に渡した。晴人は小声で「サンキュ」と言うと、通話をしながら紙の上に何かを走り書きしていた。


「……この近くに、この長屋を含めた集落の災害ゴミを集めた仮置き場があるそうだ。可能性があれば、そこかもしれないそうだ」

「それって、どこに?」

「場所は聞いたよ。ここから徒歩で行けるって」


 晴人はズボンのポケットに手を突っ込みながら、潮香を先導した。日は暮れ、次第に暗闇が周囲を覆い始めてきた。あまり遅い時間になると、大量の災害ゴミの中からノートを探し出そうにも見つからなそうな気がした。


「あ、あった! でも、量が多いなあ……ここから探せって言うのかよ」


 晴人は集落の一角を指さすと、そこには道路まではみ出る程の大量のゴミが詰まれていた。おそらく長屋だけでなく、この周辺の被災家屋からのゴミも置かれているのだろう。


「無理だ……こんな暗い中、ここからノートを探し出すなんて」


 潮香は頭を抱えてその場にしゃがみこみ、がっくりとうなだれた。


「やってみないと分からないだろう? 僕もやるよ。そんなに大事なものなら、一刻も早く探し出すべきだ」


 晴人は上着を脱ぎ捨て、ワイシャツの裾をまくると、積み込まれたゴミの一つ一つを掻き分け始めた。潮香はしばらくしゃがみ込んでいたが、必死にゴミを掻き分ける晴人の姿を見て、何もせずに諦めていた自分に気恥ずかしさを感じた。


「私もやります! 私が言いだしたワガママなのに、晴人さんだけにやらせるわけにはいきませんから」


 潮香もブラウスの袖をまくり、一つ一つのゴミを持ち上げて確かめ始めた。辺りを包む闇は次第に深まり始め、周辺に立つ数本の防犯灯だけがゴミ捨て場を照らす唯一の灯となっていた。


「くそっ……どこにもないな。どれもこれも、家電とか廃材とかばかりだよ!」


 晴人は額の汗を拭いながら、やりきれない様子で叫んでいた。

 その手は廃材や泥にまみれた家電製品を掴んで真っ黒に汚れ、白いシャツやストレートのズボンにも泥が付着していた。

 晴人は気遣い上手な男だが、潔癖症で少しでも自分の手を汚すことが嫌いだった。しかし、今日の彼は、全身泥にまみれながら必死にノートを探していた。彼に何か心境の変化があったのだろうか、それとも何か別に目的があってこのような行動をとっているのだろうか? 潮香は晴人の行動に感謝すると同時に、その背後に何か不気味なものを感じ取っていた。


「すっかり真っ暗になったね。もうこれ以上作業は難しいな。日を改めるか……」

「そうですね……」


 二人は息を切らしながらゴミ置き場を探し回ったが、とうとう見つからず、一度作業を打ち切って夜が明けるのを待とうと、その場を離れようとした。

 次の瞬間、後ろの方で何かがドサッと音を立てて地面に崩れ落ちた。

 晴人は後ろを振り返ると、奥の方に積まれていた何個かの段ボール箱がバランスを崩してひっくり返り、中に入っていたものが地面に散乱していた。


「あれは……!」


 潮香は叫び声を上げ、段ボール箱に近づいた。地面に散乱していたのは、大学受験の参考書の数々だった。

 それは、清田が写真で見せてくれたものと同じものだった。

 潮香は参考書を一枚ずつめくると、そこにはびっしりと文字が書きこまれていた。潮香はその文字に見覚えがあった。


「間違いない……これだ」

「これなのか? 受験の参考書ばっかりだぞ」

「いえ、この本と一緒に、私が探しているノートが入っているはずです」


 潮香はひっくり返った段ボール箱を持ち上げると、そこにはこぼれ落ちずに残っていた参考書と、早稲田大学の過去問集、そして、一冊のノートが入っていた。


「あった!」


 潮香は大声を上げてノートを取り出した。早速最初の一枚をめくると、そこには村上春樹の作品の解説がびっしりと書かれていた。それは間違いなく、信彦が潮香に見せてくれたものだった。ノートを読み進めると、角田光代や重松清の作品の解説、そして最後のページには、卒業の時にお互いに向けて書き合ったメッセージが書き残されていた。


「このノートが、潮香の宝物なんだ? 一面ごちゃごちゃ書いてあって、そんなに価値があるものには見えないんだけど……」

「違います。ここには私にとって大切な思い出が詰まってるんです。正確に言うと、私と、信彦君のですが……」

「信彦? ああ、以前君と付き合っていた福祉施設に避難している彼のことか」


 潮香はノートを晴人に手渡した。晴人は一枚ずつめくっていたが、一面にびっしりと書き記された文字が読みにくいせいか、ちょっと顔をしかめながら必死に字面を追っていた。

 そして最後のページにたどり着いた時、信彦は思わず「え? 何だこれ?」と声を上げた。


「ここに、君の名前が書いてあるんだけど……」

「……これは、高校卒業の時、信彦君が大学を受験する私のために書いてくれたメッセージと、それに対する私の気持ちを書き記したものです。もし読んでいてお気を悪くしたら、ごめんなさい」


 晴人は二人の書いたメッセージに目を通した。書いてある内容が内容だけに、場合によっては晴人の気持ちを刺激してしまうかもしれない。潮香は固唾を飲んで晴人の様子を傍で見守っていた。

 やがて晴人はノートを閉じると、潮香の手の上に置いた。晴人の表情は、苦笑いしながらやるせなさをかみ殺しているように見えた。


「これはどうするの?」

「信彦君に返します。これ、元々は彼が自分の好きな作家の解説を書いたノートなんです。そして彼にとっては、このノートが早稲田大学を目指すモチベーションになっていたんです。彼が家庭事情で受験できなくて、私が受験する時このノートを渡してくれて……」

「じゃあ、このノートがあったから、君は早稲田に合格したわけか」

「はい。このノートが、私にとってお守り代わりになりました」

「ならば、ちゃんと彼に返さなくちゃな。彼がいつか早稲田を受験する時に必要だろうから」

「晴人さん……」


 晴人は土にまみれた手をハンカチで拭き取ると、埃や泥を手で払い、車を停めた場所へと一人早足で歩きだした。

 潮香は、暗闇にまぎれ次第に見えなくなっていくその背中を必死に追いかけた。

 やがて前方にヘッドライトが灯ると、助手席のドアが開いた。


「さ、早く行かなくちゃな。あまり遅い時間に行くと、中に入れてもらえなくなるだろうし」

「はい!」


 潮香は晴人の横顔を見ながら、大きく頷いた。一方で潮香は、晴人はあのノートを見てどう思ったんだろうと、彼の心の中を探りたくなった。

 車は西方の集落を抜けて急な坂道を登り切り、「もみの樹荘」にたどり着いた。

 玄関を見ると、まだ明かりが点いており、受付にも職員の姿があった。


「何とか間に合ったな。さ、早く届けに行こうか」


 晴人は受付に一言告げると、潮香とともに二階にある信彦の部屋に向かった。すると、信彦の部屋からは、本人や母親とは違う誰か別な人間の声が聞こえてきた。

 あの親子には親戚が近くにいないはずなのに……潮香は邪魔をしてはまずいと思いつつも、ノックした上でゆっくりとドアを開いた。


「えっ!?」


 潮香は思わず声を上げて叫んだ。

 目の前には信彦親子、そしてワンダーTVを退職したはずのカンさんが立っていた。


「おや、あなたは……伊藤寛太さんでしたっけ?」


晴人の表情は突如険しくなった。


「君らこそ、どうしてここに?」


カンさんはぽかんと口を開けてこちらを見ていた。その隣には、「すーみー……」と呟きながら、大きな目でまっすぐ潮香を見つめる信彦の姿があった。

遺恨のある二人が偶然鉢合わせとなり、良からぬことが起こりそうな予感がした潮香は、ノートを手にしたまま顔をしかめていた。









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