12話 攫われた聖女
ローランが目指した先は、あの森の中に隠れている朽ちた教会だ。
息を潜めて近づくと、建物の壊れた窓から周囲を窺っている見張りが一人、目に入った。
ローランは魔力で強化を施し、耳を澄ませる。マーシーの声は聞こえなかったが、声色の違いから察するに、建物の中は2人以上潜んでいるようだ。
偽の聖剣を抜き、音を可能な限り消しながら建物に張り付く。
そして途中で拾った小石を、覗き込まなければ見えない位置へと指で弾いた。
「……?」
物音に気付いた見張りが、ほんの少し覗き込んだところを狙い、剣を突き立てた。
見張りが倒れた音で、誘拐犯が声を上げる。
「どうした!」
返事は無い。すでに見張りは絶命している。
ローランは壊れた窓枠を乗り越えて中に入る。どうせ人質の命を理由に、出て来いと要求されるのだから隠れていても意味はない。
それよりも確実に1人減らしておくべきだと、倒れている遺体の喉を剣で掻き切った。
「まず1人。残りは2人か」
座らされたまま、祈るように両手を胸の前で交差させている聖女の服を着たマーシー。その左右に2人の男。
他に潜んでいる者がいないか。ローランは油断せず、警戒しながら歩を進める。
すでに武器を身構えていた誘拐犯の1人が怒声を上げた。
「動くんじゃねぇ!聖女ミゼリコルド・ヴェールが殺されてもいいのか!」
喉元に剣を突き付けられても、マーシーは表情を変えない。怯えも恐怖もなく、僅かに困った色だけを残していた。
誘拐犯たちの腕はそれほど良くない。油断さえしなければ、確実にローランが勝つだろう。
ただしそれは、人質の命を無視すれば、の話だ。
アリーヌから預かった魔剣に手を当てる。マーシーが殺された後に誘拐犯を殺せば、目撃者は残らない。この剣を使用しても問題はなかった。
しかし、今、ローランは勇者として行動している。マーシーが殺されるまで使うべきではないと魔剣から手を離す。
勇者らしく動かねばならないことが、彼の足枷となっていた。
躊躇いに気づいたのだろう。誘拐犯はニヤリと笑い、マーシーの髪を掴む。
「武器を捨てろ」
「捨てなくていいよ。どうせ連れて行かれたらひどい目にあうんだから、ここで死んだって同じだからね」
聖女ではなく、マーシーとしての口調。
それに、誘拐犯は驚きながら言う。
「へぇ、聖女様も本当はそんな話し方をするわけか」
「まぁ聖女って言っても同じ人間だからね。それで、どうするわけ? 殺すの?」
誘拐犯は答えない。
それでローランも気づき、剣を強く握った。
「なるほど。攫うのが目的なのに、ここで殺すわけにはいかないか」
「……だったらどうした!」
誘拐犯は拳を握り、マーシーの顔を殴る。さらに倒れたマーシーへ、蹴りも入れた。
鼻息荒く、男は言う。
「別になぁ、殺さなきゃいいんだよ! それに、時間までに合流地点へ来なかったら、こっちに増援が来る。時間がないのはそっちのほうだろうが!」
「増援は来ない」
「あぁ?」
ローランの言葉は誘拐犯に向けたものではない。この状況を見ている何者かへ向けたものだ。
協力者たちはその合図を聞き逃さず、数名をこの場に残し、闇を掛けて行く。増援は来ない。その言葉を真実にするために。
真の勇者ならば、傷一つなく聖女を救い出し、誘拐犯を打倒し、増援までも知恵で振り払ったかもしれない。
しかし、ローランは真の勇者ではなく、自分の未熟さも理解している。だから、増援は任せてしまえばいい。この場を乗り切ることこそが、ローランの仕事だ。
空いた手で鞄から小瓶を取り出したローランは、それをひっくり返し、魔力で操作して、球体を浮かび上がらせる。そして前と同じように指で輪を作り、シャボン玉を吹き出した。
前と違うのは、その数が数倍に及ぶことだろう。
「こんな泡遊びでなにしようってんだ?」
誘拐犯の1人は、シャボン玉を手で払いのけながら前に進む。パチリパチリと音を立て、簡単に割れる水の泡は、足止めにもならない。
そう考えることが、すでにローランの狙い通りだった。
バンッと音がする。まるで予想していなかった衝撃を顔に受け、誘拐犯は体を揺らす。
目くらましとなっていたシャボン玉の中に、水の魔法で作り出した水球を潜ませ、それを破裂させたのだ。
生まれた隙を逃さず、ローランは一息に距離を詰め、剣を突き立てる。
体勢を立て直す時間すらもらえなかった誘拐犯は、そのまま崩れ落ちた。残りは1人。
「バカが、油断しやがって。これだから現地で雇ったやつは使えなくて困るぜ」
「まるで自分は違うと言いたいようだな」
ローランの言葉に、誘拐犯は鼻を鳴らす。
「ハンッ。当たり前だろうが。オレがこの組織で何年生き延びてると思ってやがる」
最後に残った男は、手の剣を素早く数回振る。その単純な動きだけで、油断していた他2人とは実力が違うことが見て取れた。
真正面から戦えば厳しい相手。それに気づいたローランは、また指で輪を作り、シャボン玉の数を増やす。室内に溢れんばかりの泡が広がった。
だが男は、その中に潜ませていた水球だけを見抜き、剣で切り落とした。
「そいつらとは違うって言っただろ」
「さして変わらんと思うがね」
ローランは偽の聖剣を強く握り、前へと駆け出す。
それは決着を焦り、油断した動きに見えた。
男はニタリと笑い、完璧なタイミングで剣を振り下ろす。ローランの剣が届くより前に、邪魔な泡ごと彼の頭をかち割ろうと。
しかし、それは成らなかった。
泡を斬るごとに男の剣は速度を鈍らせ、ついには弾かれたように体勢を崩した。
そこへローランは剣を繰り出す。
どうにか男は一歩下がったが、胸元に深い傷を負った。
男の胸からは血が溢れ出している。すぐに治療を施さなければ、動けば動くほどに血は流れ出し、男は絶命するだろう。
初めて焦った顔を見せた男は、背から治療薬を取り出す。しかし、使う前に手を切られて落とした。
「……クソッ。なんだこりゃ」
ヨロヨロと数歩下がった男は、シャボン玉の中になにか違うものが混じっていることにようやく気づく。
「泡の中に、水球以外も仕込んでやがったのか」
「見た目はほぼ同じだが、硬度と弾力が優れたものをね。1つならば大したことない
が、複数あればそれなりに効果もあるということだ」
ただのガキだと侮っていた。剣の腕も自分より下で、魔術の腕もそれほどのものではないと判断していた。
しかし、男が思っていたよりもローランは賢く、冷静で、隙が少なかった。自分の弱さを男よりも深く理解していたからだ。
自身の敗北と死を認めた男がすることなどは一つしかない。
最後の力を振り絞り、マーシーへと剣を振り被った。
「てめぇは道連れだ!」
「それも想定していたよ」
ローランの投げた偽の聖剣が男の体に刺さる。しかし、勢いは止まらない。放った水の魔法が当たる。だがそれでも、勢いは変わらない。
初の実戦であり、ローランは見誤っていた。死の淵で人が見せる底力を。
打つ手はない。マーシーは死を受け入れ笑みを浮かべている。失敗したローランは、顔を歪めながらただ手を伸ばした。
その後方から水の槍が飛ぶ。まるでローランの手から放たれたかのような軌道で飛び出した水の槍は、男の体を吹き飛ばし、壁に縫い付けた。
「こ、こんな魔法まで、使え、やがった、か」
男は勘違いしているが、これはローランの放った魔法ではない。忍んでいた協力者の1人が放ったものだ。
ローランは心中を隠し、笑みを浮かべる。
「……想定していたと言っただろ。最初から、お前たちに勝ち目は無かった」
「くそったれが……」
最後に悪態を吐き、男は絶命する。
ローランは余裕の表情を作ったまま、自分の不甲斐なさから拳を強く握った。
悔恨の念を隠しながら、ローランはマーシーへ手を差し出す。
「大丈夫か?」
喉に触れながら、マーシーが言う。
「あははっ。まさか、おにいさんが助けに来てくれると思わなかったなー。お姉ちゃんにもちゃんと言っておいてあげるね」
「その必要は無い」
目を瞬かせるマーシーに、ローランは淡々と言った。
「なぜこんなことをしていたのか教えてくれ、聖女ミゼリコルド」
その言葉を聞いた聖女ミゼリコルド《マーシー》は、どこか諦めた顔で笑みを浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます