2話 届かぬ相手
座学という、ローランにとって退屈な時間が始まる。
彼の入学時の成績は総合で10位。父親からは「主席ではないのか」と言われたが、彼は気にしていない。
最終的な目標は勇者と言われているが、神託を授かり、そこに選ばれるはずもない。
ローランはすでに両親の意向には見切りをつけ、納得させられるであろう立場を目指す方針に変えていた。
騎士の階級は、騎士見習い、準騎士、正騎士、十騎士長、百騎士長、千騎士長、万騎士長。そして将軍とも呼ばれる騎士団長。
現実的なのは千騎士長から万騎士長。うまくやれても騎士団長には届かないだろう。
騎士として大成する上で、もっとも必要となるのは政治。
剣術、魔法、学問の分野で優れている天才と競うつもりなどはない。成績も上位にさえ入っていればいい。それがローランの考えである。
勝てない相手がいるということを、彼はよく理解していた。だから、勝てない相手に勝つ無駄な努力を、他に回すことこそが効率的だと判断し、そう動くことを決めていた。
そんなローランの隣で、アリーヌは頭を抱えていた。
彼女の座学の成績は最低に近い。必死に板書を書き写してはいるが、その内容のほとんどが彼女には分かっていなかった。
隣にいるローランはそのことに薄々気づいていたが、別に手を差し伸べたりはしない。教師に聞くのが筋であり、わざわざ自分が教えるつもりはなかった。
そんな意図へ気づくはずもなく、アリーヌは小声でローランに話しかけた。
「ねぇ、ここ分かったりする?」
聞かれれば答えないわけにもいかない。内心では若干の苦痛を感じていたが、そのことを顔に出さず、ローランは丁寧に教えてやった。
そして、それが間違いだったと言える。
アリーヌが「先生よりも分かりやすい!」と喜び、事あるごとに質問を繰り返すようになったからだ。
しかも、そのことに気づいている教師たちも咎めない。
すでに教えることのない優等生が、教えるのも大変な平民出身の劣等生を面倒みてくれているのだ。
都合が良いと、2人のやり取りは黙認されるようになった。
ローランにとって長く苦しい座学が終わりを迎えると、今度は魔法の初授業が行われる。
まずは実力を見たいと考えたのか、人型の的に向けて魔法を放つという簡単なテストが始まった。
ほとんどの生徒が拳大の魔法を放つ中で、ローランの順番が回って来る。
彼は笑顔を崩さぬまま魔法を放つ。人型の的は炎に包まれたが、ローランがパチリと指を鳴らせば炎は消えた。
生徒たちから賞賛の声が上がり、教師たちからは完璧な制御だと褒め称えられる。
ローランは困った顔で笑ってみせたが、内心ではくだらないなと嘲笑っていた。生徒の中では上位の技術力を見せたが、より高位な技術力を持つ者もいる。この賞賛も、彼らの順番が来れば消えることを知っていたからだ。
冷めた胸の内を隠したままローランが下がると、腕をグルグルと回しながらアリーヌが前に出た。
見ている者はあまりいない。しかも、見ている内の大半は、平民がどんな魔法を使うのかと、最初から見下している者たちばかりだ。
ローランが見ていたのは、自分の次だったから。隣の席だから。なぜかウインクをされたから。理由はそんなところだ。
周囲の目を気にすることなく、アリーヌは魔法を発動させる。
放たれた炎の矢は人型を貫き、そしてすぐに消えた。
ローランの背筋に冷たいものが走る。見開いた目を閉じることもできない。
人型の的には対魔法防御の術式が刻まれている。それをあっさりと貫き、炎の矢はすぐに消えた。味方へ被害をもたらさぬ実戦的な使い方なだけでなく、高い制御力を有していることも分かったからだ。
見ている者はあまりいなかった。だが、ローランは見ていた。そして、その技術力の高さを理解できる実力があるからこそ、体の寒気が止まらない。
アリーヌは座学がまるでできていなかった。つまりそれは、他に補えるなにかがあったということでもある。
面倒を見てやることで恩を売るのも悪くないなと、ローランは人知れず薄い笑みを浮かべた。
次に剣術の授業となる。得手が剣でない者もいるが、騎士の基本装備は剣であり、必須授業の1つだった。
もちろん、これだけで全てを判断されるわけではない。他に武術という選択授業があり、そちらで評価を受ける者も多い。
剣よりも槍が得意。当家は弓術に長けている。そんなのはよくある話で、学院側も理解していた。
しかし、剣術は必須授業である。手を抜くことはできない。そして、ローランは剣術を得手としており、特段問題も無かった。
教師たちが見回る中、生徒はペアを作って試合を行う形式が取られる。
手近な相手とでも組むかと考えていたローランの前に、ヒョコッとアリーヌが姿を見せた。
「ねぇ、一緒にやってくれない?」
「もちろん構わないよ」
先ほど見たアリーヌの魔法の才能が、ローランの脳裏を過ぎる。だが、剣と魔法は別物だ。それと、平民であるアリーヌと組みたがる者がいないことへ気づいており、ここも恩を売るいい機会かと考えてのことだった。
ローランは正眼に剣を構える。アリーヌも同じく正眼に構えた。
どう勝つかを打算的に考えているローランへ、アリーヌは真っ直ぐに突っ込んで来た。
上から下へ。想定外の速さで打ち込まれたアリーヌの剣を、ローランは動揺しながらも防ぐ。だがアリーヌは止まらない。剣を打ち込み続ける。
重く速い剣の連撃に、油断していたローランが太刀打ちすることはできず、あっさりとその手から剣が弾き出された。
唖然としているローランに、拾い上げた剣を差し出しながらアリーヌが言う。
「ローランって強いね。才能あるよ」
「……それはこちらのセリフだ。どうやら君は剣の腕も立つようだな」
放たれた初撃と同じような、上から下へ向けての言葉に、ローランは微かに苛立ちを覚える。だがそれを見せずに笑顔を作れたのは、彼が本心を隠し続けて生きてきたからだろう。
ただ今回は少し良くなかった。魔法の時とは違い、衆目の下で一騎打ちでの出来事。ローランのプライドは傷つけられ、胸の内は怒りに溢れている。
だから、彼はもう一度挑戦した。先ほどは油断していただけだと自分に言い聞かせながら。
それをアリーヌは喜んで受ける。その姿もまた、ローランの苛立ちを強くした。
結果として、ローランは全敗。見ていた新入生の何人かは、ローラン・ル・クローゼーは、実は大したことがないと勘違いするような状況を作り出してしまった。目の腐っている教師の何人かも、ローランの評価を少し下げて書き記していた。
ローランにとって最悪の初授業は、こうして終えた。
寮に戻ったローランは、すぐに家へ手紙を送った。内容は、アリーヌ・アルヌールの調査だ。
すぐに調査結果は送られてくるだろうが、自身でも行動を起こしたほうがいい。屈辱と怒りに塗れながら、ローランは彼女の動向を探り始めた。
数日後。
ローランは人けのない廊下で調査結果に目を通しながら、裏庭で剣を振るアリーヌ・アルヌールのことを見張っていた。
アリーヌ・アルヌール。15歳。辺境出身の平民。一等級冒険者。
それは、ローランにとって最悪の報告書だったと言える。
冒険者の等級は一から六。アリーヌはその最上位に位置する一等級。
相手は見下していた平民なだけではなく、田舎者で、実戦の経験があり、実力もある一等級冒険者だった。
しかも、そんな実力が格上の相手に勝たなければならないことが、ローランの頭を痛ませる。
この数日の間も、アリーヌは自分の相手をローランに求めた。器の広さを見せるためにも断ることはできず、彼は毎日快く引き受けた。
結果として、ローラン・ル・クローゼーの名は失墜し始めている。実力の無い平民に負け続けている、名ばかりの情けない貴族。
それが、現在のローラン・ル・クローゼーの評価だ。
言ってやりたい。この学院の生徒で、何人が彼女に勝てるのかと。何人が自分に勝てるのかと。
しかし、そんなことは言えない。自身のプライドがより傷つくだけだ。
アリーヌ・アルヌールは早朝から走り、剣を振り、魔法を磨く。
空いた時間も剣を振り、魔法を磨く。
学院が終われば剣を振り、魔法を磨く。
寝る前にも走り、剣を振り、魔法を磨く。
才能があるだけでなく、努力まで重ねているのだ。
それなりの努力しかしていないローランに追いつけるはずがない。
だが、勝たなければならなかった。
家に知られることも問題だが、嘲笑の目と屈辱の陰口、なによりも平民にプライドを傷つけられたまま引くことはできなかった。
それだけでなく、このまま評価が下がり続ければ、出世への道も閉ざされてしまうだろう。
最悪を避けるためにどうすればいいか。
考えるまでもなく分かっており、ローランは行動を開始する。
ローランは……アリーヌ以上の努力を始めた。
もちろん、彼女を退学に追い込む方法だってある。だが今その方法を使えば、誰がやったかはすぐに分かってしまう。
実力で勝つ以外の道が、ローランには残されていなかった。
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