第5話 新婚旅行
ある日、俺は彼女を宇宙展望室に呼び出した。
宇宙展望室は、ネオアースの丸い底面の中心部にある。
ネオアースでは側面にある窓から宇宙を見ても、あまりの高速回転のため実質的には何も見えない。
しかし、円柱状のネオアースにおいて回転していない部分もある。
回転の軸、円柱の底面円の中心だ。ここなら、宇宙空間を見ることができる。
ネオアースの人気スポットだ。
俺と彼女はふわふわと浮かびながら、大きな窓の向こうに見える大宇宙を見つめていた。
なんという星の数!
宇宙には星が無数にあると知識では知っていても、こうして目の前に広がる宇宙を見てしまうと人間という存在がいかにちっぽけな存在なのかを思い知らされる。
地球では大気があるので、はっきりと多くの星を見ることはできない。
しかし、宇宙空間にはそういった遮蔽物がないので、地球からでは肉眼で見ることができない星も鮮明に見ることができる。
俺も彼女も、自分が大宇宙の星の一つになったような気持ちで、うっとりと星々を眺めていた。
今日という日を選んだのには理由がある。
窓から
地球は青く、美しかった。
「地球……」
「あぁ、地球。おれの故郷だ……」
「いつか、私も地球に行ってみたい」
「必ず連れて行くよ」
今日、彼女を宇宙展望室に呼び出したのには、もう一つ、理由があった。
俺は意を決して言った。
「俺と結婚してほしい」
無重力状態でふわふわと浮かんでいる俺たち。
彼女は離れていかないように俺の手をしっかりと握ってこう言った。
「……はい。よろしくお願いします」
俺たちは無限に広がる大宇宙と、そこに浮かぶ青い地球を見ながら、永遠を誓いあった。
* * *
新婚旅行の行き先は
俺にとっても、久しぶりの地球になる。なんだかワクワクする。
古くは坂本龍馬もハネムーンをしたというから、いつの時代になっても、新婚旅行は人類の楽しみの一つなのであろう。
妻は準備段階からすでにテンションが高い。
地球についたら、雲や雨を見てみたいんだと。
普通、地球旅行では雨は降ってほしくないものだが、妻は本物の雨を見てみたいと言い張る。
う~む、これが
妻が地球旅行で見てみたいと言っているものは、他にもたくさんあった。
温暖化で海中に沈んだ旧東京の高層ビル群、いわゆる旧東京海中ビル群だ。
これって、人類の負の遺産のような気もする。
人類が地球環境に与えた影響を、如実に物語っている遺跡だ。
俺が今から楽しみにしているのは、妻と二人で朝日や夕日を見ること。
妻の方は雨の方を楽しみにしているのであいにくなのだが……
ネオアースの疑似太陽には、地球で見られるような日の出や日の入りはない。
地球で見る日の出や日の入りは、太陽の動きを実感できる。
実際には、太陽ではなく地球の方が動いているわけだが、地球の自転を実感できるのは感動ものだ。
あと、妻と一緒に海岸を歩いてみたいとも思っている。
水平線を見ることで、
俺たち新婚夫婦を載せたレインボーシャトル3014便は、地球に向けて出発した。
地球から宇宙への出発時には、地球の重力から脱するために相当なパワーを必要としたのだが、今回はその逆だ。
ネオアースから宇宙に出るのは容易なのである。
地球の引力は地球の中心に向かって引っ張るように働いている。つまり、引力に逆らってシャトルは地球から出発する。
一方、
レインボーシャトルは遠心力も併用し、宇宙空間に放り出されるようにネオアースから出発する。
地球から出発するときは、シャトルはかなりの燃料を消費するが、ネオアースからの出発ではあまり燃料を使わずにすむ。
俺たちを乗せたレインボーシャトルは、地球に向けて順調に進んでいく。
出発してすぐ無重力状態になったが、幸い、俺も妻も宇宙酔いにはならなかった。
ネオアースで、妻と一緒に何度も無重力体験をして遊んできたからだろう。
機内アナウンスが流れる。
「当機は、まもなく地球の大気圏に入ります」
隣に座っている妻がつぶやく。
「空気との摩擦でシャトルが熱くなるんだっけ?」
俺は答えた。
「地球の大気圏に入るとシャトルは熱くなるけど、それは空気との摩擦ではないよ」
「え? 摩擦で熱くなるんじゃないの?」
「うん。シャトルが前方の空気を押しつぶすことで熱が発生するんだ」
シャトルは頭から地球に突っ込むわけではない。
斜めに侵入することで空気抵抗を使って速度を抑えていく。
とは言っても、落下の速度はかなりのものなので、機体の温度は数千℃に上昇。地球から見たらシャトルは流れ星のように輝いて見えるだろう。
シャトルの進行方向にある空気は、シャトルに押しつぶされて高温になり、気体の状態を保てずプラズマ化してしまう。
昔はこのプラズマのせいで大気圏に突入した機体には無線障害が発生していたのだが、
レインボーシャトルは、無事に空力加熱をしのぎ、地球へと舞い降りた。
スローライフを満喫するために宇宙に旅立ったはずの俺は、こうして再び地球に帰ってきていた。
とは言っても、地球に永住するわけではない。
地球に俺の実家はないのだ。
両親はもう他界しているし、そもそも故郷は温暖化の影響で今は海の底。
一方、妻の実家は宇宙だ。
俺は、いずれは宇宙に骨を埋めることになるだろう。
おっと、これは地球人的な表現であった。
昔は宇宙空間への散骨がはやっていたが、スペースデブリの問題も深刻化してきたため、現代では宇宙散骨は違法となっている。
土地面積が限られている
ネオアースへの定住を考えていない人は、手元供養として自宅に遺骨を保管している場合が多い。
どうしても昔ながらのお墓を建てたいという人は、地球または月面に墓を建てている。
月面墓地は富裕層に人気があり、ネオアース定住者のみならず、地球定住者も積極的に利用している。月に見守られている気がするというのも人気の理由の一つだ。
俺たち新婚夫婦は無事に地球に到着した。
スペースポート周辺は、ちょうど雨が降っていた。
妻は初めて見る雨に大歓喜である。
なにせ、本物の雨なのだ。
知識として「雨」というものを知ってはいても、現実にこうして目の当たりにすると、やはり感動もひとしおなのだろう。
妻はスペースポート内の窓際のベンチに腰掛け、雨をじっと見ていた。
俺もその横に座り、一緒に雨を眺めた。
雨……
俺は地球にいた頃、雨は厄介なものだと思っていた。
傘は必要だし、服は濡れるし、髪型は崩れるし……
それだけならまだしも、雨は土砂崩れや洪水などの災害も起きてしまう。
しかし、一度宇宙暮らしを経験した俺は、雨の風情も理解できるようになった気がする。
雨を見つめていた妻は、やがてこう言った。
「この雨、止めるときはどうするの?」
「どうするも何も、雨雲が去るまで待つしかないよ。人間の力では雨をやませることはできない」
「え? じゃあ、待つしかないってこと?」
「あぁ、そうだよ」
「……じゃあ、ずっと雨が降り続けるってこともあるの?」
「あるよ。それで水害が起きたりする」
「……地球に住むって大変なんだね……」
「そうだよ、大変なんだよ。ところでさ、傘をさして外を歩いてみないか?」
「うん! 地球に着いたら一度やってみたかったんだ~」
俺たちは、スペースポートの売店で傘を買った。
さっそく、雨が降る屋外を歩いてみる。
傘を叩く雨の音が心地よい。
「ふふふ……なんかいいね、こういうの。地球に来たって気がする」
「雨で喜ぶなんて、さすがは
雨は夜のうちに止んだ。
次の日、俺たちは早起きし、日の出を見ることにした。
ネオアースの疑似太陽ではこうはいかない。
山の端から昇る朝日を見つめ、俺たちは地球の自転を実感していた。
天気予報では、今日は一日中晴れとのこと。
さっそく、キャンプ場へ向かう。
屋外炊飯を経験するためだ。
キャンプ用品はすべてレンタルできるし、火を起こす道具や食材も現地で購入できる。
アウトドアレジャーも、地球での楽しみの一つだ。
妻は、火を使った料理をしたことがない。屋外での調理の経験もない。
すべてが新鮮のようだ。
他にも、トレッキングを楽しんだり、川遊びを楽しんだりと、地球の娯楽を俺たちは満喫した。
* * *
いつの間にか、日が落ちていた。
空を見上げると、大きな月が浮かんでいた。
そして、俺は地球と月の間にあるネオアースのことを想っていた。
妻は言った。
「ねえねえ、将来は地球でのスローライフもいいかもね」
「あは……あはは……そうだね……」
地球が大嫌いで宇宙に行った俺だが、宇宙出身者の妻に地球の良さを教えてもらえた気がする。
こんなスローライフ人生もありなのかも……
< 了 >
宇宙でのんびりスローライフ 神楽堂 @haiho_
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