第2話 憧れの宇宙へ

シャトルは離陸した。

結構なGがかかる。

俺はシートの拘束具をしっかりと握りしめる。

目を閉じようかとも思ったが、地球も見納めだ。俺は窓の外を再び見た。

空も海も青い。

白い雲も見える。

雲があるということは、シャトルはまだ、地球の対流圏内を飛行しているということだ。


「雲か……」


雲も見納めだ。しっかり見ておこう。

こいつのせいで、地球の農業は成立するし、不成立にもなる。

雨が降らないと農業はできないが、降りすぎても農業はできない。

俺がこれから行くネオアースには、雲がない。

更に言えば、雨が降らない。

ネオアースで必要な水は、すべて浄水場から供給されている。飲料水、工業用水、農業用水、あらゆる水がすべて管理されている。

地球には、「恵みの雨」という言葉がある。

水の供給を雨に頼っていた時代の名残だろう。



俺は目の前のタッチパネルを操作する。機内誌を読むためだ。

ネオアースへの移住者募集の広告が多い。

俺もたくさんの広告を調べて検討し、移住先を決めた。

俺は大豆プラントへの就職が決まっており、社員住宅もあてがわれている。


荷物は先に「マスドライバー」で送っておいたので、今頃は社宅に届いていると思う。

マスドライバーというのは、簡単に言えば射出機のことで、荷物を入れたコンテナを大砲のようなもので地球から発射し、ネオアース側のマスキャッチャーで受け取るという輸送手段だ。

では、人間もコンテナに入れて発射すればいいのではとも思えるが、初速度が速すぎてすさまじいGがかかるため、マスドライバーは人間の輸送には向いていない。

マスドライバーの利点としては、運送費が安くすむということが挙げられる。

一方、有人飛行の宇宙貨物船で荷物を送る場合は、かなりの費用がかかるが、有人飛行ゆえ荷物は着実に届くし、安心感がある。

マスドライバーは無人飛行のため、宇宙での紛失や盗難のリスクが高くなる。

また、前述の通り発射時に強いGがかかるため、それに耐えうる物しか運べないのが欠点だ。


シャトルはどんどん加速していき、速度は「第二宇宙速度40000km/h」に達した。

この速度まで加速することで、地球からの重力に逆らって宇宙に飛び出すことができる。


再び窓の外を見た。

シャトルは対流圏界面に達したようだ。

ここから先は「天候がない」空間となる。雲がないのだ。

この先にはオゾン層があり、地球オールドアースを有害な紫外線から守ってくれている。

もっとも、オゾン層はフロンガスのせいで穴だらけではあるが……


機内アナウンスが流れる。

「当機は、対流圏から成層圏へと入りましたが、引き続き、着席のままお過ごしください」


対流圏では、高度が高くなるほど気温は下がったが、成層圏に入ると逆に、高度の上昇に伴い、外気温も上昇していく。

オゾン層は、太陽からの紫外線を吸収すると熱が発生する。


昔の人達はスカイスポーツの一つとして、この成層圏まで高高度気球スペールバルーンを上げ、地球を撮影していた。

この高さから撮影すると、地球が球体であることが分かる写真を撮ることができるのだ。

昔はスペールバルーンで地球を撮影してインターネットに投稿し「いいね」をもらうことが流行していたらしい。



俺も撮っておくかな……

昔の人がしていた「SNS映え」というものを、俺も真似してみることにする。

4Dカメラを取り出し、窓の外に向ける。


俺が住んでいた地球……


いつか、この4D写真を懐かしく見返す日が来るかもしれない。


シャトルは、宇宙ステーションに向けて順調に飛行中だ。

機内のディスプレイには、シャトルの現在位置が表示されている。

今いる場所は「電離層」だ。

シャトルの外は強い紫外線やX線によって分子が電離状態となっているため、この場所を電離層と呼ぶ。

電離というのは、分かりやすく言えばイオン化だ。

子供の頃、理科の時間に物質の四態変化を習ったことを思い出した。


固体 液体 気体 プラズマ


三態変化までは、教室でも簡単に実験や観測ができるけれども、プラズマは容易ではない。

しかし、今、窓の外はプラズマ状態、気体が陽イオンと電子に分かれて運動している状態だ。


電離層はオゾンが少ないため、高度が上昇するほど温度が下がっていく。

オゾンが少ないということは、外は強い紫外線に晒されているということ。

とは言っても、シャトルの窓ガラスは宇宙レベルでのUVカットがなされているので、シャトルの中にいる限り、日焼けや発癌のリスクは少ない。


アナウンスが流れた。


「当機は、外気圏に入りました」


外気圏ということはプラズマ状態になった気体分子もかなり少なくなってきているということ。

どこまでが地球の大気圏で、どこからが宇宙空間になるのか。

厳密な線引は難しいため「カーマンライン」というものが設定されている。

この高さを超えると、地球ではなく宇宙に出たと見なされる。

カーマンラインでは、外気圏の上限を10,000,000mと規定している。


俺は機体の高度を示すモニターを見た。

「地球からの距離」の数値がどんどん増加していく。

一千万メートルを超えた!


ポーン!


機内に信号音が鳴る。


「当機は宇宙空間に入りました」


ついに宇宙に出た!

恥ずかしながら俺はこの歳まで宇宙旅行はしたことがなかった。

学校に通っていた頃友達が、


「この前、宇宙に行ってきた」


と話しているのを俺は妬ましく聞いていたものだった。

あの頃に比べると、宇宙旅行もだいぶん大衆化してきたと思う。


俺は今、宇宙にいる……


ストレスまみれで生活していた地球ともお別れ。

俺は体が軽くなるのを感じた。

宇宙空間にいるのだから、体が軽くなるのは当たり前といえば当たり前。


地球の引力から解放された。

それと同時に、地球のしがらみからも解放された気がした。


無重力空間をふわふわと移動してみたいなんて欲求が湧き起こるが、俺の体はホルダーで固定されており、勝手に外すことはできない。


モニターを見飽きた俺は窓の外を見た。

地球が小さく見える。

嫌な思い出ばかりだったけど、こうして離れてしまうと、やはり郷愁に浸ってしまう。


窓ガラスに映る自分の顔を見て、俺は思わず目を見開いた。

これは本当に俺の顔なのか?!

ぱんぱんに腫れている!

変わってしまった顔に衝撃を受けるが、そういえば、このことは搭乗前の説明で聞いていたような気がする。

無重力空間に入ると顔がむくむ。

そんな俺の思考を読むかのように、機内アナウンスが流れた。


「当機は現在、無重力空間を飛行中です。無重力空間では頭部への血流量が増えるため、お顔がむくむなどの症状が表れます。重力が戻りますとむくみは取れますので、安心してこのままお過ごしください」


地上にいるときは重力に逆らって頭部に血液は送られていた。しかし、今は無重力状態なので頭部への血流量が増えすぎてしまうのだ。

無重力状態では下半身の水分のうち、2Lが上半身へと流れ込んでしまう。

結果、顔がむくんだり、血管が浮き出てきたりする。

デートで宇宙に行くのは辞めておいたほうがいいかもな。顔があまりにも変わってしまうから。


俺の体に別の変調が見られた。

鼻が詰まってきたのだ。

あと、トイレにも行きたくなってきた。

自分の足を見てみる。

なんとなく細くなったような……

それもそのはず。下半身の血液は重力から解放されて上半身へと移動したのだ。

顔がむくんだ分、足は細くなっている。


足のことはどうでもいいのだが、それにしても、トイレに行きたい。

無重力状態になると体は水分過剰であると判断し、尿を大量に生成し始める。

シャトルの客席は家族向けの大部屋もあるにはあるが、今回、俺が予約した席は個室だ。

なので、トイレも自分の個室内で座席に座ったまま行う。

座席ポケットには簡易トイレが2種類入っている。重力がある状態で使うものと、無重力状態で使うものとが区別されている。

なんとなくこの部屋の中で用をたすのははばかられるため、しばらく我慢することにした。

地球を飛んでいる飛行機は、客席とトイレは別々の部屋になっているので、乗り物というのはトイレが別なのは当たり前だと思っていたが、今となってはそれはありがたいことなのだと思える。

シャトルでは体はホルダーに固定されているため、トイレもその状態で行わないといけない。誰に見られるわけでもないが、なんとなく嫌だ。

到着までもう少しのはず。

我慢しよう……


だんだん、尿意は気にならなくなってきた。

膀胱内も無重力状態なのだ。それが原因だろう。

しかし、また別の問題が発生した。


気持ち悪い…………


俺は、子供の頃は乗り物で酔ったことがあるが、ある程度大人になってからは経験していない。にも関わらず、俺はこのシャトルで子供の時以来の乗り物酔いに陥ってしまった。

これも、シャトルに乗る前の説明事項で聞いてはいたのだが、まさか自分が宇宙酔いになるとは……

確か、事前の説明ではこう言っていた。


「宇宙酔いは地球の乗り物酔いとメカニズムが異なっております。地球での乗り物酔いは、耳石系の神経が原因ですが、宇宙酔いは前庭系のバランスが取れなくなることが原因です。地球では乗り物酔いになりにくかった方も、宇宙酔いにはなる可能性があります。ご承知おきください」


気持ち悪い……


エチケット袋もあるにはあるが、俺は空腹で搭乗しているので、それは使わずにすみそうだ。

早くネオアースに着いてほしい……


モニターを見てみる。

もう少しかかりそうだ。


ネオアースは、地球と月の間にある。

回転している物体は遠心力によって遠くに飛んでいってしまおうとするが、重力で引き戻される。

人工衛星が同じ高度を保って飛び続けているのはそういう原理だ。

ネオアースは、月へのアクセスも考慮し、地球からかなり離れた場所に建設された。

地球から月への直行便に乗ると、到着まで数日かかるため、どうしても機内で宿泊する必要があり、民間人にはハードルが高い旅となる。

ネオアースは、地球から他の星へ移動する際のハブ空港的な役割も担っている。

そのため、ネオアースは、「地球からの引力」「月からの引力」「ネオアースの公転による遠心力」のすべてがつり合った場所に建設されている。ちなみに、その場所をラグランジュポイントという。

理論上は、ラグランジュポイントにいればエネルギーを使わずにその場所に居続けることができる。

実際には誤差の修正が必要ではあるが、ラグランジュポイントにいることはエネルギーの大幅な節約につながる。


* * *


しかし、宇宙酔いは思いのほか、きつかった。

もうちょっと地球に近いところに作ってくれていたらなぁ……


無重力状態で長くいるのは健康にもよくない。

骨と筋肉が減少してしまうからだ。


機内アナウンスが流れる。


「当機は、まもなくネオアースに着陸いたします」


ふぅ……やっと到着か……

もう、しばらくはシャトルには乗りたくないな……



窓の外にはネオアースが見えてきた。

俺がこれから住む星だ。厳密に言えば星ではなく人工物だが。

ネオアースはこれまで写真や動画では何度も見てきたが、自分の目で本物を見てみると感動もひとしおだ。


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