3 (第二番 第一幕 第一場の二)

 朝。

 轍の消えかけた、乾いた土の通り。

 その先に草臥れた煉瓦造りの教会。

 ジュリエット、樫の木の扉を押し開き、中へと入る。


ジュリエット

「神父様! ロレンス神父様」


 黒い聖衣の男、ロレンス、奥の間から出てくる。


ロレンス

「これは、これは、キャピュレット家の御息女、ジュリエットではないか。どうしたんだね、こんなに朝早く」

ジュリエット

「もうすでに雄鶏も鳴くのをやめている時分です。そんなに早くもないでしょう?」

ロレンス

「これは失礼。どうにも年寄りは朝が早くて、夜は若者に譲ったとばかり思っていたものでの」

ジュリエット

「それじゃあ困ります。より新しい一日を、老い先短いお年寄りではなく、より新しい私たちに与えてくれなくては不自然でしょうに」

ロレンス

「厳しいご指摘だ、朝は誰にもでもやってくるのに、新しい者たちに譲れとは。時間は皆に平等だと言うのに」

ジュリエット

「そう、それなのです。時間について私は聞きに来たのです」

ロレンス

「どういうことだね?」


 ロレンス、椅子に座る。


ジュリエット

「私が今日ここに来た理由です。おかしなことが起こっていて、とても困っているんです。あなたでも、どうにもできないかもれしない」

ロレンス

「聞かせていただこう、何か力になれるかもしれない」


 ジュリエット、その場を円を描きながら、歩き始める。


ジュリエット

「説明がすごく難しいのですが……その、私、時間を、そう、遡っているみたいなんです」

ロレンス

「……時間を遡っている? 具体的には?」

ジュリエット

「その、なんていうか、私は今日から六日後くらいにですけれど、自殺をします」

ロレンス

「……ふむ、それで?」

ジュリエット

「それで……目が覚めると今日の朝に戻っているんです」

ロレンス

「……それはどういう……」

ジュリエット

「分かっています、信じられないことくらい! 私だって混乱していますから!」

ロレンス

「分かったから、分かったから、落ちきなさい。順番にゆっくりと話をしてごらん?」

ジュリエット

「……はい。始まりは今日の夜から。私の家で仮面舞踏会が開かれて、そこで私は恋に落ちるんです」

ロレンス

「誰にだね」

ジュリエット

「モンタギュー家のロミオです」

ロレンス

「モンタギュー家のロミオ! 仇の息子ではないか」

ジュリエット

「ええ、でも仕方ないんです……私たちはその晩惹かれあって、明日の正午にさっそく式を挙げることになります」

ロレンス

「仇同士でか!」

ジュリエット

「そうです。神父様、あなたが式を執り行ってくれたんですよ」

ロレンス

「私が? この街を仕切る二つの勢力の大事な息子と娘に対して? そんなに軽々しく間を取り持つようなことを?」

ジュリエット

「そうです、あなたは信じていたんです。私とロミオの結婚が両家の和解に繋がることを」

ロレンス

「そんな単純なものか。おお、恐ろしい……」

ジュリエット

「しっかりしてください。(傍白)私が知っている神父様よりも少しばかり気が弱いみたい。(ロレンスに向かって)でも、あなたしか頼れる人がいないんです。あなたは神に仕える身ですから、何もそんなに怯えることはないでしょう」

ロレンス

「人と人との間に生まれる幾星霜の憎しみも、積もりに積もれば人智を越えた悪魔や怪物になる。恐れるなという方が無理というもの」

ジュリエット

「とにかく話を聞いてください」

ロレンス

「これはすまなかった。してその結婚ののち、ジュリエット、君たちはどうなったんだね」

ジュリエット

「式のすぐ後、ロミオが街中で、マーキューシオ、ベンヴォーリオ、ティボルトの諍いに巻き込まれるんです」

ロレンス

「あの悪童どもか」

ジュリエット

「その言い争いの最中、ティボルトがマーキューシオを殺してしまって……」

ロレンス

「おお、神よ。あまりに酷い。朝日のごとく若い命に、芽の青い命を奪わせるとは……そして、どうなるのだ?」

ジュリエット

「親友のマーキューシオが殺されたんです。今度はロミオが激昂の余り、ティボルトを殺してしまい、追放刑を課せられ、マンチュアに行くことに」

ロレンス

「悲劇に継ぐ悲劇……お茶でも飲んで心を落ち着かせたいところだ」


 ロレンス、立ち上がり、棚から茶器を取り出す。


ロレンス

「死んでも構わないほどの悲しみを抱いたことだろう、ジュリエット。それで、その後は?」

ジュリエット

「父が落ち込んだ私を見かねて、婚約者を用意したんです」

ロレンス

「重婚ではないか! 神への冒涜になる!」

ジュリエット

「そうです、だから私はあなたにどうにかならないか相談に行きました。そこであなたに仮死の計画を授けてもらうんです」

ロレンス

「仮死の計画?」

ジュリエット

「ええ、まず、あなたが作った仮死薬を飲んで、私は死んだフリをします。そして、死んだと思い込んだ家族たちは結婚を諦めて、私を霊廟へと運びます。その後、仮死薬の効果が切れたところで、私は目を覚まし、マンチュアにいるロミオの下へと駆けつける、そういう算段だったんです」 


 ロレンス、カップを二つ、テーブルの上へと置き、再び座る。


ロレンス

「あなたも飲むがいい。しかし、仮死薬か……」

ジュリエット

「ええ。信じてくださいます?」

ロレンス

「いや、話を最後まで聞いてからにしよう。ジュリエット、その仮死薬は成功したのかね? 多分しなかったのだろう?」

ジュリエット

「いいえ、しました。むしろ計画は途中まで、全く問題なく進んでいくんです。ただ一点を除いて」

ロレンス

「その一点とは?」 

ジュリエット

「私たちの計画をロミオに伝えることが出来なかったのです。あなたが使いをマンチュアに送るんですが、失敗してしまうんです。確かその方も神父様で、名前は……そう、ジョン神父でした」

ロレンス

「……」

ジュリエット

「どうしました? むつかしい顔をして……」

ロレンス

「いや、どうか続きを話してくれ」

ジュリエット

「……そして計画を知らされなかったロミオは、私が本当に死んだと思い込み、毒を飲み、息絶えました。私も彼の亡骸を見て、自害。それから、その、本当に信じられないと思いますが、私は死んだはずなのに……目を覚ましたのです。普通に、まるで眠りから目覚めるように、今日の朝に」


 ロレンス、腕を組んでジュリエットを見る。


ジュリエット

「信じられませんよね。私だって、信じ難いんです。でも、あれは夢ではなかった。本当に私はロミオと出会い、結婚し、二人で死んだんです……」

ロレンス

「ジュリエット、実を言うとその逆で、そなたの話、信じてもいいかも知れぬと思っているのだ」

ジュリエット

「ええ? それはまた何故でしょうか?」

ロレンス

「そなたが話した仮死薬を、今ちょうど作っているからだ」


 石で出来た作業台。

 その上にある虹色のガラス瓶。

 それを手に取るロレンス。


ジュリエット

「嘘でしょう? それがその仮死薬?」

ロレンス

「そうだ。そしてもう一つ、そなたから出た言葉が私を惑わせる」

ジュリエット

「何でしょう?」

ロレンス

「ジョン神父だ。仮死薬の作り方は彼に教わったのだ」

ジュリエット

「まさか!」

ロレンス

「いや、本当だ。ジュリエット、そなたが本来知り得ない、仮死薬とジョン神父の名を口にしたことで、私の世界を見据えるこの目が揺らぎそうになっている」

ジュリエット

「それなら、どうぞ私の話を信じてください。そして、私にどうすればいいか、道筋をお示しください」

ロレンス

「……ジュリエット、すまない、それは酷く難儀なお願いだ。そもそもこの話を信じることそのものが、自然の摂理にツバ吐く行為に他ならない。時間とは、川の流れのようなもので、遡ることはない。本来あってはならないことなのだ」

ジュリエット

「それでは一体、私は何故こんなことに?」

ロレンス

「分からない。神のご意志か、悪魔の策謀か、もしくは理由なんざ無いのかもしれない。何かの弾みで理から振り落とされたとも考えられる」

ジュリエット

「そんな……あんまりです。私はどうしたらいいのです?」

ロレンス

「答えられない。だが、もしも、この運命に、いや運命は遡らない、だから運命という語はふさわしくない。しかし、そなたに起こった摩訶不思議、これにもしも意味があるのだとしたら……ダメだ、皆目検討もつかない」

ジュリエット

「神父様、あなたはこの街一番の賢者でしょう? 何か、何か一つでも行き先を照らすお言葉をください」


 ジュリエット、膝を折り、ロレンスに泣きつく。


ロレンス

「こればかりは如何とも……しかし、もしかすれば、彼ならば何か分かるかもしれん」

ジュリエット

「彼?」

ロレンス

「ジョン神父だ。彼は今、この街ヴェローナ郊外に逗留に来ているのだ」

ジュリエット

「それは吉報じゃありませんか! 私、話を聞きに行ってきます」

ロレンス

「今からか? 彼の居場所は街を横断したその先の荒野。少しばかり遠いのではないか?」

ジュリエット

「関係ありません。でも、心配してくださって、ありがとう。やっぱり私の知っているロレンス様と同様、あなたは素敵な神父様。行ってきます、そしてさようなら」


 ジュリエット、急ぎ、教会をあとにする。

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