三人の司令官[前編]
瞼が重く、とても開けそうにない。アラームの音に反応することもできず、音がぴたりと止まっても起き上がることができなかった。きっとそのうち、スヌーズが鳴り始める。その頃には目を覚ませるといいのだが。
そうしているうちに、またスマートフォンが鳴った。星はそれでも動くことができず、ただ鳴り響く音を放置する。耳を貫くように響く音に、頭の血管が震えているようだった。
星が反応できずにいると、また音が止まった。
「はい、鷹野でございます。……鷹野は体調を崩しており、本日はお休みさせていただけたらと存じます。……はい。……はい、ありがとうございます。失礼いたします」
穏やかな声に薄っすらと目を開く。スマートフォンを枕元に戻したレディが、星の視線を受けて優しく微笑んだ。
「おはようございます。まだのんびり寝ていてください」
「……はい……ありがとうございます……」
レディが静かに星のひたいに手を置く。微睡が深まり、心地良い波に浚われるように、意識は再び夢の中へと落ちていった。
* * *
「青山くん」
かけられた声に振り向くと、ショートボブの女性社員が軽く手を振った。確か、星と同じ部署で同期入社の若林凛子だ。入社したての頃、星に話しかける姿をよく見かけていた。
「鷹野くんが休みなのって、昨日の配信のせいなのかな」
「たぶんね。返信が来ないから、まだ寝ているんだと思う」
「よくわからなかったんだけど、何が起こったの?」
「それは俺たちにもよくわからないんだ」
青山は、そう言うようにとレディから指示を受けている。
星が使っている通信機は、レディの魔力を利用して向こうの世界と繋いでいるらしい。ワイトの使った「全範囲攻撃魔法」の魔力がレディの魔力と共鳴した。それが、レディが加護を授ける星に影響を及ぼしたらしい。青山や惣田、視聴者への影響が大きくなかったのは、加護があるかないかの違いだとレディは言っていた。
(つまり、鷹野くんは女神の加護がなければ危険なことをしている、ってことだよね)
この世界に魔法は存在しない。そんな世界に生きる星の部屋と異世界が繋がった時点で、星に大きな影響を及ぼしていたはずなのだ。それに星が気付いていなかったのだとしたら、今回の件で文字通り身をもって思い知ったことだろう。
「……ねえ。青山くんって、鷹野くんのこと、どれくらい知ってるの?」
「どれくらいって?」
「鷹野くんがどんな人か知った上で絡みに行ってるのかなって」
「うーん……まあ、掴みあぐねていると言わざるを得ないけど……」
星はあまり自分の話をしない。惣田は訊いてもいないのに勝手に話すというのに。
「意地悪を言いたいだけじゃないんだけど、鷹野くんって青山くんみたいな人が一番に苦手だと思うよ」
「うん……それはなんとなくわかってた」
「たぶん、青山くんが思ってるのとは別の意味で」
「え、そうなの?」
「私がそう思うってだけだけど。青山くんが思ってる意味でも苦手かもしれないけど」
凛子があっけらかんと笑うので、青山は苦笑いを浮かべる。
星が自分に苦手意識を懐いていることは、青山も嫌と言うほど自覚している。星はおそらく、人とコミュニケーションを取ることを億劫だと思っている。誰に対しても心に壁を作る性質だ。それを知った上で青山が距離を詰めて行ったことで、青山のことを疎ましく思っているのだろう。いまだに敬語が取れないのがその証拠だ。
「でも、別の意味って?」
「鷹野くん、配信のときは穏やかな表情をしてるでしょ? レディさんの人柄もあると思うけど、鷹野くんは女性相手のときは肩の力が抜けているように見えない?」
「そうだね。少女たちと接するときはリラックスして見える」
「だから、そもそも男の人が苦手なんじゃないかと思うわ。ほら……鷹野くんって可愛い顔付きしてるし、小柄だし……」
凛子の言わんとすることを理解して、青山は背筋が寒くなった。こういったとき、女性の勘は大抵、当たっている。
確かに、惣田の前では幾分か表情が和らいで見えるが、青山に対しては、まだ少し緊張しているように感じる。身構えている、ということだろう。
「青山くんは背が高いから。ほら、鷹野くんって小動物みたいなところあるし。惣田はあの性格だから気を許しているということもあるかも」
「じゃあ、僕は鷹野くんを怯えさせていたのか……」
「怯えるまではいかないと思うけど、多少なりとも警戒はしてるかもね。でも、青山くんも攻略に協力してるんでしょ? 心は開きかけているのかもしれないわ」
「そうだといいけど……」
星はただの人見知りではなかったのだ。知らなかったとは言え、青山は初めから距離を詰めに行っていた。それが星の心の壁をより厚くする結果になったのかもしれない。攻略に協力して家に上げるまで距離は近付いたが、惣田ほど心を開いてくれるまではまだ遠いだろう。
「でも、配信では青山くんと惣田は顔出ししてないのね?」
「鷹野くんの判断でね。惣田はマイクを握らせるとうるさそうでしょ?」
「あは、それは言えてる。お見舞いに行きたいけど、部外者は遠慮しておくわ。青山くんと惣田は放課の時間にお見舞いに行くでしょ?」
「返信が来たらね」
「じゃあ、これ、鷹野くんに渡しておいて」
凛子が差し出したのは「ピッケ」の小箱だった。星が少女たちとの雑談配信をしたとき、レディが気に入って口にしていた物だ。
「じゃ、鷹野くんによろしく」
「うん。ありがとう」
さすが星が信用する女性は引き際をよく知っている。惣田ではこうはいかなかっただろう。きっと根掘り葉掘り配信のことを訊いて来たはずだ。
「お、青山。鷹野から返信きたか?」
噂をすれば、と青山は振り向く。惣田が暑苦しい笑顔で手を振っていた。
「まだ来てないよ。お前のほうは?」
「梨の礫だな。ま、レディさんがそばにいるんだから大丈夫だろ。女神に看病されるなんて羨ましい限りだ」
惣田がひとりでうんうんと頷いていると、ふたりのスマホが同時に鳴った。星を含めたグループチャットにメッセージが来ている。星のアカウントからだった。
『おふたりはお加減いかがですか?』
「お、この文章はレディさんだな」
「レディさんのPCがこのアカウントになってたのかな」
「勝手にスマホを弄繰り回すとも思えないしな。緊急連絡用じゃないか?」
惣田が先に返信を出した。
『俺たちはなんともないが、鷹野は目を覚ましましたか?』
『まだよくお休みです。容体は安定しております。ご心配なく』
続いて青山がチャットを打つ。
『今日中に回復できそうですか?』
『おそらく。配信は難しいと思いますが、明日は出社できるかと』
惣田が軽く笑い声を立てた。
「女神が『出社』って、違和感あるな」
「レディさんがいてくれてよかった」
そこで青山は、ふと、あることが頭に浮かんだ。
「なあ、ダンジョンは大小含めて四十六個あるって言ってたよな」
「そうだな。イェレミス研究所で八個目か」
「すべてのダンジョンが攻略できれば、レディさんはワンガルの世界に戻れるんだよな」
「そうだろうな。レディさんがいなくなると考えると寂しいもんだな。そっちのほうがレディさんも少女たちもいいだろうけどな」
「鷹野くんは僕たち以上かもしれないね」
星は元々、一人暮らしだ。レディや少女がいなくなれば、もとの生活に戻るだけ。そのとき、星は喪失感を懐くのではないだろうか。帰宅したときに出迎えてくれる人がいなくなるのだ。その寂しさは、青山や惣田の何倍にも膨れ上がることだろう。
「そうかもしれないが、レディさんも少女たちも、もとはこの世界と無干渉の世界の住人だ。いずれ別れなければいけないのは始まった頃から決まってることだろ」
「……そうだね」
「ま、いまは考えてもしょうがないさ。とにかくダンジョンを攻略するしかないんだからな」
「そうだね。話はそれからだ」
ダンジョンを攻略しなければ、ワンガルの世界は崩壊する。そうなれば、別れるだけの話では済まなくなる。いずれ別れが来るとしても、彼らに他の道は存在していないのだ。
「それまでに、お前は鷹野に借りを返さなきゃいけないんじゃねえか?」
「もし借りを返してレディさんたちがいなくなれば、鷹野くんと僕はまたただの他人に戻るんだろうか」
「どうだろうな。ダンジョンがあと三十八個もあれば多少なりとも何かが変わるかもしれないぜ」
「そうだといいけど……」
星は青山に貸していることを忘れている。青山がまだ返すときではないと考えているだけだ。青山が借りを返したそのとき、星はまた青山と距離を取ろうとするかもしれない。ともすれば、その恩返しを受け取ることすらないかもしれない。青山にとっては、それも寂しく感じることだった。
「ま、とにかく攻略を頑張ろうぜ。いま、俺たちは司令官のひとりなんだからな」
「惣田のくせにまともなことを言うね」
「どういう意味だ!?」
彼らの使命は、ワンガルの世界を救うこと。そのためには、星の回復を待つことが先決だ。それに関して、青山と惣田にできることはない。とにかくレディに任せておくしかないだろう。せめて手の中のピッケを溶ける前に渡せればいいのだが。
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