鷹野星の休息

 華の金曜日を喜べない朝。星が朝食を取って家を出るまでのあいだ、誰もホームに顔を出さなかった。レディはいつものように微笑んでいたが、いつも通りではない。昨日の戦いは星の中でも重くのさばっていた。


 それでも、昼休みはダンジョンの情報を把握する時間にしなければならない。ここで攻略をやめるわけにはいかない。世界の崩壊は待ってくれないのだ。


「鷹野くん」


 資料から顔を上げた星は、おや、と首を傾げる。


「惣田は一緒じゃないんですか?」

「いつもつるんでるわけじゃないからね」


 青山が向かいに座るのも、星もなんとなく慣れて来た。青山が胡散臭いことに変わりはないが、こうして毎日のように顔を合わせていれば気にならなくなるような気がしないでもないのも確かだ。


「少女たちの様子はどう?」

「今日はまだ誰にも会ってないんです」

「そうなの? 誰もホームに来なかったってこと?」

「はい。少女たちも頭の整理をする時間が必要なんじゃないでしょうか」

「そうだね……あんな戦いのあとだからね」


 戦闘少女たちがこれで心折れて攻略を投げ出すようなことはないだろう。それでも、戦闘少女たちもそれぞれ意思を持ったひとりの少女だ。かつての仲間を自らの手で葬り去ったなど、いくら鍛錬を積んだ戦闘少女でも辛くないはずがない。星は今日は攻略に行かないつもりでいるが、誰かひとりでもホームに来てくれればそれでいいと思っている。


「鷹野くんは大丈夫?」

「え?」

「鷹野くんもほとんど毎日のように配信してるし、それ以外の時間も攻略のことを考えてる。疲れてないはずがないよね」


 疲れていないと言えば嘘になる。戦闘少女たちは命を懸けて戦っている。星はそれを見ているだけだが、攻略は神経を使うことだ。少しの判断ミスが戦闘少女の危機に繋がる可能性がある。星が作戦を立てている段階で攻略は始まっているのだ。


「俺は異世界から見ているだけなのでまだマシですよ」

「疲れてはいるってことだよね」


 爽やかに微笑む青山に、誘導尋問のような気がして星は剣呑な視線を向ける。青山としてはしてやったりだろう。それでも星は、否定はできなかった。


「ダンジョンは全部で四十六個あると言っていたね。エメラルドの森で七個目なんでしょ?」

「そうですね」

「このままじゃ鷹野くんが倒れてしまうよ。そうなれば攻略を止めざるを得なくなる。どこかで休みを入れないと」

「今日は攻略も配信もないので大丈夫ですよ」

「でも、いまも作戦を考えているでしょ?」

「少女たちが立ち直り次第、攻略を再開しますから」

「鷹野くん自身はいつ休むの?」


 青山の言っていることは星にもわかる。レディが部屋に現れてから今日まで、星は毎日、攻略のために頭を悩ませている。配信はほぼ毎日、行っている。家にいる時間はレディと作戦会議をしている。会社にいても昼休みを作戦を練る時間にしている。通勤の電車でも資料を見ている。星が何も考えずに休む時間はないのだ。


「エメラルドの森の攻略法はもうできてるんでしょ? 少女たちも休息を取っているなら、今日くらい休んでもいいんじゃないかな」

「もっと言ってやってくれよ、青山〜」


 いつからそこにいたのか、背後から惣田が言うので星は肩を跳ねさせた。青山に気を取られているうちに背後を取るとは、実に卑怯である。


「鷹野は人のことはとやかく言うくせに、自分のことは顧みないからなー」

「惣田が心配になる理由がわかっちゃったなあ」

「ほっといてくれ」


 顔をしかめる星に、惣田は朗らかに笑う。


「ってなわけで、今日は飲みに行くぞ」

「どういうわけ?」

「鷹野くんも休息を取らないとね」

「ふたりと飲みに行っても別に気は休まらないんだけど」

「そう言うなって。何も考えず終電まで飲もうぜ」

「レディさんが待ってるし……」

「メールしとけばいいだろ? レディさんだって、鷹野が休息を取るのを悪く思うことはないと思うぜ?」

「でも……」

「デモもストもない。ほら、スマホ貸せよ」

「やだよ」

「じゃあ自分でメールしろ」


 強引な惣田と有無を言わせぬ青山に押し切られる形でレディにメールをすると「どうぞごゆっくりなさってください」と返信が来た。レディの場合、寝食を必要としないため、星がいなければ夕食を作る必要もないし、寝ずに待つということもない。気を遣わせずに済むという点では、もしかしたらレディにとっても休息になるのかもしれない、と星は考えていた。


 いつもなら定時で仕事を切り上げ、すぐに帰り支度を済ませてさっさと部署を飛び出す。今日は惣田と青山との約束があるため、その必要はない。久々に机の上を整理する時間ができた。


「あれ、鷹野くん。今日は帰らなくていいの?」


 ショートボブの女性社員が声をかけて来た。同期入社の若林わかばやし凛子りんこだ。同じ部署の別の班の社員である。


「今日は同期と飲みに行くから……」

「へえ、珍しい! 鷹野くん、配信が始まる前から誘ってもほとんど来なかったよね〜」

「飲み会が苦手なんだよ」

「はは、そんな感じする。鷹野くんは誰にも心を開いてない気がするもん。飲み会に行っても気疲れするだけでしょ」

「そうかもしれない」

「またいつか私と一緒に飲みに行ってよ。ふたりなら気楽だし、男の人よりは親しみやすいでしょ?」

「うーん、どうかな……。まあ、機会があったら」

「機会を作ってもらえることを祈ってるわ」


 明るく笑って若林は去って行く。暑苦しい男と胡散臭い男もこのスマートな引き際を見習ってほしいものだ、と星はそんなことを考えた。

 とは言え、若林は若林で強引なところがある。入社したての頃、一度だけ同じ班で仕事をしたことがあり、親睦を深めるために、と何度か飲みに連れられた。若林いわく「鷹野くんは小動物みたいで守ってあげたくなる」らしい。五人姉弟きょうだいの長女らしく、ぼんやりした星のことが気になるのだろう。


「鷹野、仕度できたか?」


 廊下から惣田が呼ぶ。今日は珍しく、惣田のほうが先に退社の仕度が済んでいたようだ。


「青山さんは?」

「そのうち来るだろ。先にエントランスに行っとこうぜ」

「……惣田。お前、俺が勝手に帰ってないか確認しに来ただろ」

「なんだよ、悪いか? まあ、部署にいなけりゃエントランスにいるだろうとは思ってたけどな。お前はなんだかんだ言いつつ約束は守るからな」


 この男にわかったようなことを言われるのは実に腹立たしいが、その通りなのだから言い返すことはできない。実に腹立たしいことである。


 エントランスで青山とも合流し、夜の街へと繰り出す。いつまでも秋物のコートを着ているため、吹き抜ける風がより一層、冷たく感じられた。


「鷹野くんってお酒は強いの?」

「強くないです」

「今日こそ鷹野くんの敬語を奪いたいなー」

「奪われませーん」

「頑なだ……」


 星は会社や駅周りの飲み屋をほとんど知らないため店の選択は惣田と青山に任せきりになるが、一体このふたりがどんな店を選ぶのかと若干、構えていた。気の休まらない店だったらしんどいな、とそんなことを考えていた。

 惣田が選んだのは小ぢんまりとした大衆居酒屋だった。店主らしい初老の男性と親しげな挨拶をしているところを見ると、どうやら馴染みの店らしい。青山とも面識があるようだ。


「惣田らしいチョイスだな」

「新人の頃に先輩に教えてもらったんだ。ここなら鷹野も気に入るかと思ってな」

「賑やかすぎず良い雰囲気だよね」


 賑やかな居酒屋は星が最も苦手とする場であることは、惣田にはお見通しなのである。


 席順は星の向かいに惣田、左隣に青山となった。青山と並んで座ることに顔をしかめそうになった星だったが、この和やかな場でそんなことで不機嫌になるのもつまらないだろう。


 最初の一杯が運ばれて来て、惣田と青山が料理のメニューを見ているあいだ、星はメールを確認していた。「どうぞごゆっくりなさってください」というレディの返信に「誰かホームに来ましたか?」と送っている。レディは小まめに受信箱をチェックしているようだった。

 レディからは、


『先ほどモニカとエーミィが顔を出しました。気落ちしてはいましたが、少女たちならきっとすぐに立ち直りますよ』


 と返信が来ている。誰かひとりでもホームに来てくれたならそれでいい。きっと少女たちなら、新たな決意を胸に再び立ち上がることだろう。


「鷹野。レディさんからメールか?」


 少女たちがホームに顔を出していたことに安堵したことが表情に出ていたらしい。惣田にスマートフォンを取り上げられた。


「今日はお前の慰労会なんだから、少女たちのことは一旦、忘れろ」

「そういうわけにもいかないだろ。いまは少女たちのことを放っておけないよ」

「ほんの数時間くらいいいだろ。少女たちのことはレディさんに任せておけ」

「冷たい言い方になるけど、ここで鷹野くんが少女たちを案じていてもどうにもできないよ」

「まあ……それはそうだけど……」

「少女たちだって、鷹野くんが自分たちのために休息を取れなくなるなんてことは本意ではないと思うよ」

「…………」


 青山の言う通り、ここでは星は少女たちには何もしてやれない。モニカとエーミィがホームに顔を出したのなら、レディが少女たちと話をしただろう。レディは戦闘少女を支える案内女神だ。ただの人間である星にはできないことをできるかもしれない。少女たちも、レディが話を聞けば気持ちを持ち直すこともできるだろう。


「だが、異世界の女神であるレディさんが鷹野の部屋に行き着いたなんて、不思議なこともあるもんだな」

「戦闘少女たちに手を貸せるのも、いくつものゲームをプレイして来た鷹野くんだからできることかもしれないね」

「俺だったら少女たちの能力を活かして攻略するなんて絶対に無理だったぜ」

「そうかな。レディさんに教えてもらえば攻略自体は誰にでもできるんじゃないかな」

「そうだとしても、少女たちが安心して戦えるのは鷹野くんの人柄のおかげだよ」


 もしレディが行き着いたのが惣田の部屋だったら、と星は想像力を働かせる。惣田ももちろん真剣に攻略に取り組んだだろうが、惣田のあっけらかんとした性格が災いすることもあるかもしれない。デリカシーのないことを言ってしまう可能性がある。青山であれば、人柄には問題ないだろうが、星はいまだに彼に胡散臭さを感じている。素直な少女たちもそう思う可能性がある。ふたりは少女たちが信用する星の友達だから少女たちも安心しているだけだ。


「…………」

「どうした?」

「……少女たちもしっかり食事を取ったかと思って」

「心配しすぎだ」

「食事は体調管理のひとつだ。少女たちが疎かにすることはないはずだよ」


 気にするなと言われても、どうしても気になってしまう。あんな戦いのあとだ。年端もいかぬ少女たちが心を痛めていないはずはない。それを支えるのも司令官の役目だ。


「少女たちは何もできない弱い存在じゃない。なんでもかんでもお前が気にかけてやる必要はないだろ」

「少女たちは強い。心配して鷹野くんが心労を溜めたら元も子もないよ」

「とにかく今日は、司令官としてでなく鷹野星としてしっかり休息を取ることだ」

「……そうだな」


 明日には、また少女たちが元気な笑顔を見せてくれるといい。そのとき、星が疲れた顔をしているのでは意味がない。少女たちが微笑んでくれるなら、星も笑っていなければ意味がないのだ。


「しかし、攻略を配信するなんてお前らしいな」

「配信してると、視聴者が俺の見落としたことに気付いて教えてくれることもあるから」

「俺もレディさんに花丸もらったしな」

「は?」


 怪訝な表情になる星に、惣田は得意げに胸を張る。


「ポニーの危機を救ったり、草陰の民を見つけたりしただろ?」


 星はこれまでの配信を思い出す。確かにそういった視聴者がいた。確か名前は「TS」だった。

 星は、もしや、と思考を巡らせる。


 TS……惣田S大志T……。


「え……気持ちわる……」


 顔を引き攣らせる星に対し、惣田は鼻高々に笑っている。


「攻略の役に立ったんだからいいだろ?」

「実際、危機を伝えるなら視聴者としてコメントしたほうが早いしね」

「……まあ、助かったのは確かだけど」

「もうコメントで参加する必要はなくなるしな。動体視力をじかに活かしてやるよ」

「うーん……まあ、頼りにしてるよ」


 正体を隠してコメントしていたという点は引っかかるが、その動体視力とタイピングに助けられたのは確かだ。惣田なりの力の貸し方だと思うしかないだろう。


「ここのところ、鷹野くんは配信で話題になっていることもあるけど、仕事を精力的に取り組んでいることで上の人たちの評判も良いみたいだよ」

「仕事を頑張りたくてやってるわけじゃないですけど」

「それで業績が上がるなら良い相乗効果だよ」

「おかげで仕事は増やされたみたいだけどな。上の連中は鷹野の司令業を知らないからな」

「仕事ぶりが認められるのはいいことかもしれないけど、いまの俺にはいい迷惑だな」

「仕事がそうだとは言わないが、鷹野は時間を無駄にできないからな」

「あとどれくらい猶予が残されているんだろう」

「わからない。探査機の完成を待てないくらいだから、残された時間はそう多くないのかもしれない」

「それでも仕事で手を抜いたりしないんだから、鷹野くんは立派だよ」

「社会人として当たり前のことです」


 その後も話題は何かと戦闘少女のことだった。ほろ酔いで気分の良くなった惣田がはしごを提案したが、星はあまり乗り気ではない。できれば早いところ切り上げて家に帰りたい。いまもレディは次の攻略の作戦を考えていることだろう。そう思うと、いつまでものんびりはしていられなかった。

 それでも惣田は押し切る男なのである。レディがゆっくりしてくれと言うのだから、というのが惣田の言い分だ。まさか本当に終電まで飲むつもりなのかと疑う星に、もう一軒くらい、と青山にまで押し通される。一対二ではさすがに星も分がなかった。


 そうしてのんびりと酒を楽しんで、もう一軒、と言う惣田をどうにか振り切り帰宅する。気が休まったのは確かだった。


 星が帰宅すると、レディはやはり資料と睨めっこしていた。


「おかえりなさい。のんびりできましたか?」

「はい、おかげさまで。少女たちの様子はどうですか?」

「全員が一回ずつ顔を出しましたよ。明日にはまた攻略に向かうことができるはずです」

「そうですか……よかった」


『司令官』


 穏やかに呼びかける声にホーム画面を見遣ると、モニカが柔らかく微笑んでいる。


『お仕事お疲れ様でした。今日はお休みをいただき、ありがとうございます』


「いや、俺も休めたよ」


『それはよかったです。また明日からよろしくお願いします』


「ああ。他の子はどうしてる?」


『いまはそれぞれ部屋で過ごしています。司令官もお休みになられる頃かと思いましたので、ご挨拶にだけ伺いました』


「ありがとう。顔を見られてよかったよ」


『はい。明日には他のみんなも顔を出すはずです。司令官もゆっくりお休みになってください』


「ありがとう。また明日」


『はい。おやすみなさい』


 モニカは辞儀をして下がって行く。いつもの穏やかな微笑みを見ることができて、星は心底から安堵していた。


 少女たちは星よりはるかに強い。身体面はもちろんのこと、精神面もそうであるはずだ。星の慰めはもとより不要だったのかもしれない。明日になればきっとまたいつものように元気な顔を見せてくれるはずだ。


 星が休息を取っているあいだにも作戦を考えてくれていたレディに感謝しつつ、ほどよく酔いの回った体をベッドに潜り込ませると、星は心安く眠りに就いた。また明日から、精力的に攻略に取り組むことができるだろう。






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