第105話 逢瀬

 先週初めてダイブしたのが、日曜日の午後。今週は土曜日に、朝から10時間のタイマーをセットして、あの制御室にダイブした。あちらでは、前回よりも少し早い時間だったみたいで、エリオットは少し慌てていた。


「ごめん、ちょっと早かったね」


 彼は無言で俺に抱きついてきた。ここだと床が冷たいので、俺たちは宿直室のソファに場所を移した。ソファでも、彼は俺に抱きつき、平らな胸にスリスリと頬擦りをしている。そして、俺の左の鎖骨には小さい黒子ほくろが二個並んでるんだけど、時々そこを吸ってくる。くすぐったい。俺は男、しかもそろそろおじさんっていう歳だけど、エリオットはそれでもいいんだろうか。


 俺たちは、ぽつりぽつり、これまでのことを話した。彼は俺のこと、アリスさんたちの力を借りて、そこら中を探し回ってくれたそうだ。俺は俺で、彼に逢うために、三年ほど費やしたことを話した。彼は約五ヶ月くらいだったそうだから、現段階でのあちらとこちらの時間の差は、約7倍ということになる。なるほど、こないだ二時間のダイブで、十数分にしかならなかったわけだ。こちらで、こちら側の端末を操作して、エリオットといつでも連絡が取れるようにしたかったのだが、悠長に作業している時間はなさそうだ。作業する時間があれば、こうしてずっと彼の髪を撫でていたい。今日も10時間を確保して来たけど、これで1時間半にもならないなんて。


 エリオットは、まるで子供に返ったようだった。彼は子供らしい子供時代を送れなかったみたいだから、こういう時間も必要なのだと思う。思いっきり甘やかしてあげたいが、俺には時間がない。エリオットの髪の匂いを思い切り堪能しているうちに、今日も時間が来てしまった。


「また明日ね…」


 彼の泣きそうな顔を見ると、別れるのが辛い。来週も、必ず来るから。


 10時間のダイブを終えて帰って来ると、激しい頭痛に見舞われた。脳への深刻な負担は免れない。だけど俺にはもう、潜らないっていう選択肢はなかった。




 それから毎週日曜日は、一日予定を空けて、14時間のダイブを行うことに決めた。彼と会える時間は2時間。だけど俺は、これまでこの時間のために全てを賭けてきた。他のことはほんのおまけだ。今度リリースする、ゲームの7作目のことも。


 何度目かのダイブで、改めてこちらの端末を操作することにした。よく見ると、コイツはLove & Kühnにある、廃棄寸前のものと同じだった。そしてVRのコンソールから、端末のデータを吸い上げることができた。これであちら側から、この端末のことをリモートで操作できるようになるだろう。


 またある時は、アリスさんとフェリックスさん、ヴィンちゃんにも会うことができた。彼らは俺たちの時間を邪魔しないように、時間をずらしてくれているが、彼らにも連絡を取りたいことはある。彼らにも管理者権限を振ってあるので、メールアカウントを用意して、時々チェックしてもらうようにした。


 端末のログを読み返すと、エリオットがどうにかして俺とコンタクトを取る手がかりを掴もうとしてくれていたことが分かる。俺はほんのさわりだけを見せたつもりだったけど、そこから驚くくらいに言語を理解して。ログを読んでるだけで泣きそうだ。会社の中なので、どうにかこらえた。そしてみんなが退勤して行く中、俺は彼とメールでやりとりした。彼は会っている間もメールでも口数は少ないが、それでもメールは必ずすぐに返事をくれるし、逢えば俺を離さない。彼と逢う前は、もし逢えたとしても、俺のことなんてもう忘れているんじゃないかとか、俺に対して全く興味を失ってしまっているんじゃないかとか、いろんなことを考えたけど、杞憂だった。


 そうだ。彼はずっと、俺への愛情を、言葉ではなく態度で示してくれていた。いつも静かに、誠実に、俺の隣で、いつも俺を守ってくれていた。気心が知れて、ついわがままになって、つまらないことでいっぱい喧嘩したけど、それでも彼ならきっと、ずっと一緒にいてくれるって、信じてた。俺が別の世界の住人になっても、俺が男に戻っても、俺の方がどんどん歳を取っても、それでも彼は、あそこで俺を待っててくれる。


 俺、前の研究所で倒れて、あの世界に迷い込んで、よかった。そして、エリオットに出会えて、良かった。そして彼に逢いたいっていう気持ちを、諦めなくて良かった。俺が欲しいのは彼との時間だけで、他には何も要らない。

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