第102話 Love & Kühn

 あの後、姉貴の家まで送ってもらって、俺は与えられた自室でひたすら、ラブきゅん学園をプレイしていた。クローゼットとして使われていたサービスルームは、狭いし、窓もない。だけど元々持ち物の少ない俺には、この部屋で十分だった。プレイしても何の得るものもないこの古いゲームが、自分と彼を繋ぐ、唯一の細いコードのような気がして。


 誰と話しても、何の選択肢を選んでも、俺の心は動かない。そう、もうすぐB組との合同体育で、騎士団長の息子が出てくるんだった。俺は剣なんか扱ったことないのに、「お前なかなかやるな」なんて言われたな。


 不意に思い出した。B組って、彼がいたはずだ。俺、もうこの時に、エリオットと出会っていたはずなんだ…。


 涙で視界がぼやける。会いたい。男に戻った俺が、もし彼に会えたとしても、もう見向きもされないかもしれないけど。でも、会いたい。会いたい。


 その時、画面の端に、薄いブロンドのモブが見えた。ほんの一部分、男か女かも分からない、微妙な微妙な描写なのだが…


 ーーーいた!


 彼は、あそこにいる。確かにいるんだ。俺、会いに行かなくちゃ…




 次の日、俺は大学に退学届を出し、その足で、Love & Kühn社の門を叩いた。




 エリオットは、あれからずっとモニターと向き合っていた。最初は訳も分からず、彼が教えてくれたことをなぞり、ログの隅々までを眺めていたり、彼が用意した船の見取り図などをくまなく調べたりした。そんなことをしても、彼と繋がる手がかりが得られるとは思わなかったが、彼が触れたと思われる場所をなぞるだけでも、彼と繋がっていられる気がした。


 数日経って、彼が残したファイルを発見した。いつかまたここに来ることがあれば、プログラミングを教えてあげると言っていた彼。彼の名前は管理者一覧からも消えていたけれど、そのファイルの制作者名は、yu_kiとなっていた。中身は、簡単なコード一覧表だった。まだ作りかけだったようだが、良く使うものは網羅されていた。エリオットは、それを見ながら、改めて膨大なログを確認することを始めた。全てのコードが分かるわけではないので、虫食い文書を読んでいるに等しいのだが。


 衣食住については、時々アリスたちがやって来て、世話をしてくれた。彼女らが数日おきに訪ねて来るので、彼は辛うじて食事を摂り、身支度を整え、最低限の生活をこなした。食事と日用品さえ補充してくれれば、この制御室と隣の宿直室だけで生活が成り立つのは、有り難かった。掃除や洗濯、食器を洗うことなども、機械が自動的にこなしてくれる。


 規則正しく生活するように、まさかアリスから小言をもらう日が来るとは、思ってもみなかった。何かと気にかけてくれるアリスとフェリックス、そしてこの場所を示唆してくれた風の龍神には、感謝しかない。


 正直、ここでいくらログを理解して、よしんばプログラムを書けるようになったとして、彼にもう一度会えるかどうかは分からない。だが、ユウキのいない世界で、どんな小さなことにでもすがり、没頭していないと、気が狂ってしまいそうだ。エリオットは今、生きるために端末に向かっていた。




 改めて、ユウキの残したコード表を頼りに膨大なログを一通り読み返してみて、大体どの部分がこの船の制御に関わるところか、外部とのエネルギーのやりとりに関わるところか、セキュリティに関わる部分なのか、判別できるようになってきた。


 ここまで来るのに二ヶ月。彼が必要とするのは、外の世界との交信を司る部分だ。確かに、ユウキが言っていた通り、この船はいくつかの宛先に宛てて、メッセージを送信したという記録が残っている。そのうちのほとんどは、交信に失敗していたようだ。成功したのは、最初のほんの数回。そしてそれらの宛先にも、のちに連絡がつかなくなったことが見て取れる。


 これだ。もしユウキに繋がる宛先が分かれば、彼と連絡が取れるかもしれない。しかし、その宛先はどうやって見つけたら良いのだろう。


 彼は思いつく範囲で、片っ端から数列や文字列を入れてみた。何を入れても弾かれたが、それでも彼は試すことを諦めなかった。宛先が間違っていても構わない。もし誰かに繋がって、不審がられても、もしかしたらその相手がユウキのことを知っているかもしれない。とにかく、どこでもいい。誰でもいい。どうか、繋がってくれ。そしてユウキに届いてくれ。


”yu_ki please contact me elliot”

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