第101話 細い糸

 ずっと張り詰めて冷たくなっていた体が、人肌で温まったせいだろうか。それとも、ずっと疲労が溜まっていたからだろうか。やがて彼は私にもたれかかるようにして、気を失った。そんな彼を、ヴィンちゃんがベッドに運び、私は毛布を取り出して、長椅子で休むことにした。


「…ねえ、ヴィンちゃん。この子のこと、どうしたらいいかな…」


「うむ。アリスが探す者は、もうこの世にはおらぬゆえ」


「え」


「かの者は、元の世界に帰って行ったぞ」


 うそ。そんな大事なこと、早く言えよ。


「聞かれなんだゆえ」


「おめぇよぉ!」


 おっと、エリオットうじが起きてしまう。


「…何とか出来ないかなぁ…」


「可能性がないわけでは、ない」


「と言いますと?」


「この世界には、こちらとあちらの壁が薄い場所が、一箇所だけある。アリスも知っていよう」


 あ、なるほど…。




 翌朝。私の部屋で目覚めたエリオットうじは、長椅子で寝ていた私に、こっちが申し訳ないほど謝罪した。後で私の部屋を訪れた、私の夫であるフェリックスうじにも。私は別に、小柄だから長椅子でもゆっくり寝られるし、ヴィンちゃんもいたし、別に二人っきりだったわけじゃない。全くもって、どうってことないんだけど。


「そんなことより、エリオットうじ


 そう、そんなことはどうでもいいんだ。今からすぐに出発しなければ。




 私たちが向かったのは、皇国のあの制御室。あそこは、外の宇宙との交信に使われていた場所だ。この世界の中で、別の世界と繋がることのできる場所といえば、そこしかないと思う。


 私が覚えている限りでは、ここで端末を操作したのは、エリオットうじだったと記憶しているが、よく考えたら、この世界の住人であるエリオットうじが、プログラムなんてイジれる訳がない。彼の探す裕貴くんが、情報工学専攻だとしたら、彼がそこに居た可能性は大きいだろう。エリオットうじも、どうしてそのことを忘れていたのか、呆然としていた。もしかしたら、私たちだけじゃなくて、彼の裕貴くんに関する記憶も、所々欠落しているのかもしれない。


 私たちは、フェリックス氏に飛んでもらい、間もなく皇国の制御室へ。あの時、裕貴くんが私たちの一部だけに管理者権限を与え、他の者は無闇に入れないように設定したという。制御室は、最後に訪れた時の、そのままの状態で残っていた。


「ユウキ…」


 エリオット氏は、ふらふらと端末に向かい、椅子を愛おしそうに撫でた後、そのままモニターを起動して、そこからかぶりついて動かなくなった。裕貴くんから、ほんのさわりだけ教わったプログラム。彼にはそれだけが頼りだった。しかし、ここ二ヶ月、どこに行っても何を訊いても、全く何の成果も挙げられなかった彼にとっては、それで十分だった。きっとこの細い細いコードが、彼につながっている。今の彼には、もうそれしかすがるものがなかった。




 何の言葉を掛けても、エリオット氏の耳には届かないようだった。礼儀正しい彼が、返事もしないで、ずっとログを見返して、プログラムを理解しようとしている。私が前世、少しでもプログラミングを齧っていれば、こういう時、力になれたのだろうか。残りの私たち三人が出来ることは、もうこれ以上なさそうなので、彼の腕輪マジックバッグに生活用品や食事を移し替え、「ちゃんと食べて寝ないと裕貴くんが心配するよ」と言葉を残して、制御室を後にした。そして、何日かおきに様子を見に来よう、ということになった。

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