第103話 あの場所へ

 いきなりLove & Kühn社に押しかけた俺は、盛大に怪しまれた。だが、ラブきゅん学園のファンです、で押し通した。金はいらない、働かせてくれと主張して、押し問答ののち、早速インターンを始めた。履歴書くらい書いて行くべきだった。てか、退学届を出す前に、こっちに来ればよかった。今の俺の身分を保証するものは、他県の父の扶養に入っている保険証くらいしかなかったからだ。


 これまで大学で学んだことはあまり役に立たなかったが、姉貴にアシとして散々こき使われた経験は、非常に役に立った。早速塗り師として起用されることになった。社員さんの中には、姉貴のことを知っている人もいて、俺は一気に会社に受け入れられた。給料は微々たるものだったけど、それでも雇用契約を結び、俺は正式に、ラブきゅん学園をリリースするゲーム会社の社員となった。


 目下Love & Kühnでは、次回作のラブきゅん学園6の制作が進んでいた。この会社は、悪い言い方をすると、節操がなく、流行りのゲームを積極的にパクって行くスタイル。良い言い方をすると、新しい分野に果敢に挑んでいく、頭の柔らかい会社だ。6シックスは既にリリース間近で、こちらはオープンワールド形式のソシャゲ。7セブンは、最近流行りのVRMMOに挑戦しようか、という話になっている。正直、この会社の技術力と資本力ではギリギリの線だが、俺には追い風となった。ゲームの中の彼に会いに行くなら、フルダイブ型のゲームしかないと思っていたからだ。


 有り難いことに、俺が前のインターン先でやっていたことが、まさにこのVR技術だった。俺は単なる一学生だというのに、彼らは雑用から割と重要な案件まで、全て俺に押し付けた。だが、あの時の経験が役に立つ時が来た。吹けば飛ぶような零細企業であるLove & Kühnは、今からあの技術を習得して導入するには時間がかかり、他社の後塵を拝することになるだろう。だけど俺は、産官学共同事業で予算がジャブジャブ余っているところで、あそこの技術はほとんど盗んできた。俺は一躍、次回作のディレクターの一人に数えられることになった。




 VRハードウェアのライセンスを取り、自社の用意したデータとコンバートする。この辺の調整がめちゃくちゃ大変なんだけど、一度苦労したことのある俺は、どこがつまずきやすくて、何をどうしたら解決できるのか、大体分かる。他社がこの辺りで停滞しているのを尻目に、俺は寝食を忘れて開発に勤しんだ。いや、正確には、新しいゲームを開発したかったわけじゃない。ただ、彼に会いたかった。給料は相変わらず微々たるものだったけど、俺は姉貴の家を出て、会社の近くのボロアパートを借り、文字通り、会社と家との往復をしていた。正確には、家には寝に帰るだけ。会社からは俺の働きっぷりを賞賛され、姉貴と彼氏には逆に大層心配されたが、そんなことは本当にどうでもいいんだ。


 もうすぐ、彼に会えるかもしれない。その思いだけで、気づいたら三年経っていた。「ラブきゅん学園7セブン♡彼に会いに行こう大作戦♡」このタイトルは却下されて、未だ本タイトルは決まっていないが、俺はついにベータ版を完成させ、初めてフルダイブに挑んだ。目的地の座標は、そう。あの世界に接続するとしたら、あそこしかない。俺があちら側から直接プログラムを書いた場所、あの端末へ。




 ベータ版の、味も素っ気もないコンソールを操作すると、強烈な酩酊感と浮遊感が襲って来る。何度試しても慣れない。脳に直接作用するから、致し方ないんだけれど。この辺りは、ハードの改善を待つしかない。


 まずは音声情報から接続。微かに機械音が聞こえて来る。間違いない、あの制御室の音だ。視覚情報もよし。うん、あの時と変わっていない。嗅覚と味覚は、まだ分からない。この船は、高度な空気清浄機能がついていたはずだから。触覚も大丈夫だ。あの水龍が横たわっていた床の、硬い感覚。ダイブは成功した。


 さて、問題はここからだ。この場所からダッシュウッド領まで、直線距離で5,000キロ。俺はこの端末から、そう遠くは行けない。そもそも、彼らが存在する時代なのかも分からない。違ったら、時間座標の指定を一からやり直さなければならないだろう。とりあえず、ここから外に出てみて…しまった。この格好では目立ちすぎるかもしれない。一度アラブ風の服のデータを用意してから、出直して来るべきだろうか。





 ずっと日光の当たらない部屋にいると、体内時計が狂ってしまうらしい。私たちは、エリオットうじを訪ねるたびに、少しの間、外に連れ出すことにした。外の空気を吸えば、多少気も紛れるだろう。とはいえ、彼の目は虚で、反応も上の空。頭の中は、あの端末のことでいっぱいなようだ。


 彼を制御室まで送り届けて、今回の訪問は終わり。正直、彼をいつまでこうしてここで支えて行けばいいのか分からない。でも、彼がもういいって言うまで、こうするしか。しかしそしたらその時、彼はどうなってしまうのだろう。


 少し重苦しい気持ちで、制御室のドアを開ける。




 水龍がいたステージの上に、見慣れない男がいた。日本人のようだ。彼は、目を見開いて、こちらを凝視している。


「ユウ…キ…」


 エリオット氏が、ふらりとステージに吸い寄せられる。そして駆け出し、彼をきつく抱きしめた。


「ユウキ…!」


「何で…俺が…分かるの…」




「やれ、やっと来たか」


 ヴィンちゃんは独り言ちると、左手で拳を作り、右手の手のひらと合わせた。その瞬間、私は何もかも思い出した。エリオットうじの大事な人、裕貴セシリーくんのこと。そうか、彼が、そうなんだ。21歳って聞いたけど、もうちょっと年上に見える。彼は、想像より遥かにイケメンだった。だけど、暖かくて優しい眼差しが、セシリーちゃんのそれと全く同じだった。

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