第97話 閑話・My Funny Valentine

 もうすぐバレンタイン。この世界にも、バレンタインはある。「ラブきゅん学園♡愛の魔王討伐大作戦♡」という乙女ゲームの性質上、攻略対象の好感度を上げるためのイベントは、盛り込まざるを得ないのだろう。カカオの栽培から輸送、チョコレートという菓子が出来るまでには、かなりの文化レベルを要するのだが、それを魔法とスキルで言い訳して流通させてしまうのが、ナンチャッテ中世ヨーロッパ系ゲームというものだ。


 最近の裕貴セシリーは、ご機嫌でキッチンに向かっている。去年は卒業パーティーを控え、じっくりと手作りしている暇がなかったチョコであるが、今年こそは最愛のダーリンのエリくんに、腕によりをかけたチョコスイーツを用意する予定である。腕は前世、散々磨いた。姉の手作りチョコや差し入れの菓子などは、全て彼の手製、尊い犠牲の賜物であった。自分は義理チョコしか貰えず、ただただ姉にこき使われ、ホワイトデーには高額な見返りを要求される、悪魔のイベントだったバレンタインデー。その艱難辛苦が報われる時が来たのである。


 キッチンから甘い香りのする毎日。エリオットは甘いものは苦手だが、ユウキが機嫌良く料理を作っている後ろ姿が好きだ。そして学園祭の時のように、自分には必ず甘さ控えめのものを用意することを知っている。彼は、彼女の淹れてくれたお茶を啜りながら、リビングで本を読む休日に満たされている。


「〜♪」


 最近、ユウキの歌う鼻歌が、哀愁を帯びたメロディに変わった。本人は至って機嫌が良さそうなのに、なぜそんな悲しそうな歌なのか、彼に聞いてみたところ、「これはヴァレンタインという恋人を想う歌なんだよ」と教えてくれた。歌詞は「ちょっとイケてないあなたが好き」というものなのだが、有名なミュージシャンがカヴァーした物悲しい雰囲気のものが、大ヒットしたのだそう。彼の鼻歌と、そして彼の思考から伝わって来るその曲を何度も聞いているうちに、エリオットも覚えてしまった。




 ふと真夜中に、目が覚めた。皇国から帰り、エリオットと一緒に暮らし始めてから、いつも朝までぐっすりなのに。彼は言葉は少ないが、愛情は行動で示してくれるタイプだ。最初、彼に恋に落ちてからずっと、俺たちの関係は、俺からの一方通行だった。夢中になって追いかけて、追いかけて。彼は真っ赤になって逃げ惑うばかりで、本当は迷惑なんじゃないか、とか、別に俺のことなんて好きじゃないんじゃないか、とか、色々落ち込んだりもしたけど、それでも諦めたくなくて、必死で追いかけた。そしていざ結婚してみても、何だかんだずっとお預けで。


 だけど帰ってきて、改めて城の寮棟で同棲を始めて、俺はこれまでの暴走をきっちり倍返しされた。彼が俺から逃げ回っていたのは、真剣に俺のことを考えてくれていたからで。彼の態度は相変わらずクールだが、夜はすっかり彼のワンサイドゲームである。朝までぐっすり、というか、起きられない。


 目が覚めたのは、静かな歌声が聞こえてきたからだ。昼間、俺がよく口ずさんでる曲。エリオットの甘い声色こわいろが、有名シンガーのそれと似ていて、思わず息を飲んでしまう。


 俺の寝息が止まったことに気づいたエリオットが、歌うのをやめてしまった。


「起こしてしまいましたね」


「…やめないで。もっと、聴かせて」


「ふふ、またね。おやすみ、ユウキ」


 彼が俺の髪を撫でると、俺はすぐに睡魔に飲まれた。




 バレンタイン当日。バレンタインといっても、みんな普通に仕事だ。俺たちもデイモン様の執務室に顔を出し、デイモン様に義理チョコ、アリスさんとブリジットさんに友チョコを渡す。ブリジットさんからも。アリスさんからは「裕貴くんもブリジットもマメだね〜」なんて言われつつ、彼女も市販品をどっさりとソファーセットのテーブルに積み上げた。


 教会と孤児院にも、大量の焼き菓子を持って行った。こっちは数で勝負だから、量産が簡単なものを。そして夕方城に戻ると、食堂に同じものを持って行った。食堂には、俺と同じように、「みなさんでお召し上がりください」という配布用の義理チョコが、いっぱい置いてある。この日は寮の生活者ばかりか、城内に勤務する者がたくさん集まって、食堂は盛況になるらしい。みんな「おお、〇〇様のだ」とか「△△ちゃんのは」とか言ってワイワイしている。青春だ。


 さて、帰って夕食にしないと、と振り返ると、


「ここにいましたか」


 普段食堂に顔を出さないエリオットが、迎えに来てくれた。


「ちょっとついて来て欲しいところがあるんですが…ああ、ここでもいいか」


 彼は俺の手を取り、どこかに誘おうとしたみたいだが、食堂の隅のピアノを見かけて、腰掛けた。そして蓋を開け、キーカバーを外すと、おもむろに弾き出した。


「〜♪」


 彼の弾き語りは、昔あの世界で聴いた通りだった。甘く切ない歌声が、俺の心をチョコレートのように溶かす。何だよ、ピアノまで弾けるとか、反則だろ。


 ほんの一節だけ歌って、彼はすぐにピアノを閉じた。そして俺に向かって


「…惚れ直しましたか?」


 と、悪戯いたずらっぽく笑った。




 何だか調子が狂ってしまった。この後は夕飯を楽しみ、最後にとっておきのザッハトルテを一緒に食べて、いい感じになったところを籠絡する予定だったのに。ダメだ。俺が何か話さないと、食卓は完全に無言になってしまうのに、うまく言葉が出てこない。「はい、アーン」する予定が、恥ずかしくて目も合わせられない。


 甘いものが苦手なエリオットのために作ったザッハトルテは、とても小ぶりだ。俺たちは、無言ですぐに食べ終わってしまった。


「ごちそうさまでした、ユウキ」


 こうして今年のバレンタインは、呆気なく終わってしまった。


 モヤモヤしたまま食器を片付けて、でもさっきの歌声が頭から離れず。エリオットの後にシャワーを浴びて、リビングに戻ると


「私からも、あなたに」


 チョコレートの小箱が用意されていた。そうか、海外では、男の方が女の子にプレゼントするんだっけ。蓋を開けると、小さなショコラが3つだけ。甘党な俺、ちょっと嬉しい。


「食べていい?」


 と聞く前に、彼は一粒手に取って、半分口に含んで、俺に口付けてきた。ショコラは、洋酒の効いた、大人の味がした。




「はぁぁ、完全敗北っス…」


 領都のカフェで女子会。裕貴セシリーくんが真っ赤な顔を両手で覆って悶えている。それを聞かされるアリスもまた、彼に完全敗北だ。何気にマウントを取ってしまっていることに、裕貴くんは気がついていない。


「エリオット様、なかなかやるっスねぇ…♡」


 恋バナ大好きブリジットも、目がハートマークである。彼女も旦那デイモンに、美味しく頂かれたクチだ。例年通り、大量の義理チョコだけ配って終わった私のバレンタインとは大違いである。


 最近エリオットうじが、時々音楽室に顔を出していたのは知っていた。貴族とは、いざという時に、無駄な恥をかかないように、無駄な教養を蓄える、面倒臭い生き物だ。彼もまた、ダッシュウッド家に引き取られてから、デイモンと共に教育をつけられ、一番無難なピアノの基礎を、一通り学んだらしい。そしてこのたび、裕貴セシリーくんが口ずさむ曲を試しに弾いてみたら、DEX(きようさ)を伸ばしたせいか、しばらくのブランクにも関わらず、難なく弾けてしまったという。


 だがしかしそれは、音楽室での練習を見つかってしまったエリオット氏の言い訳だ。ちょっと聞き齧ったものを、ちょっと弾いたら弾けちゃいました、なんてことがあるはずがない。私が音楽室と、たまたま食堂のあの場で聴いたものは、かつて以前の世界で聴いたものとほぼ同じだった。一流のジャズプレイヤーが弾くピアノ伴奏を、ただ鼻歌を聴いただけで完コピできるはずがない。歌もそうだ。真夜中、彼が歌っていたのは、きっと睡眠中の裕貴くんの記憶を覗いて練習していたのだろう。もちろん、短い期間であそこまで仕上げるには、元々の音感の良さと、器用さも影響しているだろうけども。


 エリオット氏の弾き語りに静まり返った食堂は、彼らが去った後には大騒ぎだった。「聴いたかよ、今の」とか「エリオット様素敵〜♡」とか、そりゃあもう。一時期、あれを真似ようと、音楽室の予約が盛況を博したが、間もなくブームは去った。今からエリオット氏と同じようなことをしても、二番煎じにしかならない。しかもあのクオリティを見せつけられた後では、下位互換もいいところだ。




 裕貴くんは、自分ばっかり彼のことが好きで、いつまでもどこか片思いな気分でいる。だけど、エリオット氏の裕貴くんへの妄執ぶりは凄まじい。ブリジットを惚れさせるためのネタ帳を持ち歩くデイモン閣下もさることながら、エリオット氏の脳内ネタ帳はその情報量を遥かに上回る。魅了の魔力と、デイモン閣下の副官としての情報収集能力を最大限に発揮して、裕貴くんを全方位から雁字搦めに溺愛している。今回のことだってそうだ。私はあの曲のことを、それとなしに根掘り葉掘り聞かれ、そして王都で一番美味しいショコラティエに「お遣い」を頼まれた。私に拒否権はない。絶対当たるザキマンに歯向かって、命を落としたくはない。彼は綺麗なジャアンならぬ、アカン方のクリトだ。


 私が記憶を取り戻し、エリオット氏とパーティーを組んだ時、彼はまだ16歳。オリ「パ」ンダーの杖を手に、伊達モノクルを身に着け、格好いい必殺技を覚えるのに夢中の、ほんの子供だった。あれから2年半。もうダッシュウッド領の政治の一翼を担う彼らは、責任ある大人の顔をして仕事をしているが、それでもまだ彼は19である。前世で年上だった裕貴くんを振り向かせたくて、彼は精一杯背伸びをしているのだ。微笑ましい。


 その若い彼らが大人の階段を昇るかたわら、名目上は人妻ではあるものの、何の浮いた話もない私。一応フェリックスはいるが、彼は訳ありで私に一切手を出して来ない。こないだまで踏んで欲しそうだったデイヴィッド様は、先日めでたく踏んでくれるお相手が見つかった模様。契約した龍神のヴィンちゃんは、来世まで順番待ちの様子。乙女ゲーに沼るほど異性にご縁のなかった前世であったが、今世はもしかしたら誰ともそういう関係を結べず、乙女のまま召される可能性が大である。


 今年の私のバレンタインは、とても物悲しいfunnyなものであった。

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