第92話 出発の時

 出発の時が来た。謁見室では、事情を知っている一部の者たちが、彼らを見送りに集まった。


「それでは父上、母上。行って参ります」


「うむ」


「息災でな」


 各々おのおの決意のこもった瞳に、一抹の家族愛と名残惜しさを込めて。


 裕貴セシリーくんが、光の装備一式をまとって、界渡りのスキルを展開する。部屋の中心に黄金の光の球体が出現し、それは次第に大きくなって、彼ら四人を飲み込んで行く。


 最後、フェリックス氏がこちらに視線を投げかけ、左手をひらりと挙げてニッと笑ったかと思うと、膨大な光量とともに消え去った。


 後には、何も残らなかった。




「…やれ、行ってしもうたな」


 ダニエル様が、静かに呟いた。グロリア様も、瞳を切なく伏せている。他には、いつメンいつものメンバーに、アーネスト様とリリー様、一の側近さんに執事長さん、現筆頭と次席。


「…ふ…」


 彼らを送った裕貴セシリーくんが、たまらず涙をこぼした。エリオットうじに抱き寄せられ、彼の胸で静かに泣いている。


 今日から、彼らのいない世界で、私たちの日常が始まる。みんな無言のまま、しばらく彼らが去った後のその場所を、見つめていた。




 ーーー本当に、行っちゃったんだ。フェリックスうじ


 今頃になって、ふつふつと怒りが湧いてきた。てかさあ、普通嫁がいるのに、帰れない旅とか、行く?アンナさんとデイヴィッド様、カイル爺、あそこは仲良く三角関係だからいいけどさ?しかも出発前、わざわざ私の部屋に来て、あんなキスとかする?!


「あんた、バッカじゃないの?!私今度こそ、マジで処女のまま死んじゃうんですけど?!」


 自分が200年前に手引きしたのを棚に上げ、急にあらぬ言葉を叫び出した私に、みんなギョッとしている。だが止まらない。腹の底から湧き出る怒りも、耐え難い寂しさも、視界を歪める涙も。


「何であんなキスとかして行ったんだよぉ!あんなのされたら、他の男なんて目に入んなくなっちゃうだろ!バーカバーカ!バカああああ!」


 地団駄を踏みながら叫ぶ。


「キス…」


「しちゃったんだ…」


 同じく目に涙を溜めたブリジットと裕貴セシリーくんが、目を見開いて私を凝視している。その他大勢の皆さんも。みんな、なんかしんみりお見送りモードじゃなくなっちゃったようだ。な、なんだよ。夫婦なんだから、キスくらいするだろ。悪いかよ。


 数拍の静寂ののち、隣に控えていたヴィンちゃんが、「む」と声を漏らした。




 その瞬間。


 目を開けていられないような、おびただしい光が、部屋を包んだ。まばゆい光に思わず瞳を閉じ、光が収まるのを待って、一同が目を開いた先には。


「只今戻りました」


 部屋の中心に、先ほど見送ったばかりの四人が、立っていた。


 ちょっと髪が伸びた、デイヴィッド様。瞳の色が左右違う、アンナさん。同じく、髪が伸びて瞳の色が変わったフェリックスうじ。カイル爺に至っては、エルフの姿だ。




 送り出しの儀式が、3分で一転、帰還を祝う祝典となった。


「父上、母上。無事魔王を討ち取って参りました」


 デイヴィッド様が、漆黒の角を両親の元へ差し出す。ああ、マジだ。あれは魔王を倒した証明のアイテム。ゲーム上では、一度討伐成功したセーブデータには、角のアイコンが付くっていうヤツ。


「う、うむ…大儀であった…」


 辺境伯夫妻の前にひざまずき、出迎えを受ける面々。だがしかし、お祝いムードとは違い、周囲には微妙な空気が漂っていた。


「…フェリックス様、帰って来ちゃったけど…」


「しちゃったんだよね…」


 ざわ…ざわ…


 とりあえず、角さえ納めれば、祝典自体は終わりだ。後は祝宴の準備でもして、皆さんおめでとうな雰囲気になるはずなのだが、


「あの…皆様いかがされました?」


 アンナさんが微妙な空気に勘付いて、周りに問いかける。


「いや…その…皆さん出発されてからすぐ、帰還されましたので…」


 執事さんが、目を逸らしながら弁明する。


「ああ、驚かせてしまいましたね」


「俺ら、向こうで元の属性に戻ってよ。あっちで界渡り、取ってきたぜ」


 フェリックス氏が、数分前と変わらない調子で、ニッと笑う。


「あまり皆様をお待たせしてはいけないと、渡った直後の時間に飛んできたのが、仇となりましたね」


 もうカイル爺の面影のないキールがフォローする。だが、周りの空気は微妙なままだ。しかもなぜか、視線はフェリックスに集まっている。


「…俺が、どうかしたか?」


 見送り組は、みんな微妙な顔をして目配せしていたが、やがてエリオットうじが咳払いして、言った。


「あなた方が出発されてすぐ、アリスさんが、あんな口付けをしておいて、私を置いて行くなんてと、取り乱されまして」


「ちょっ、こんのザキマン!!」


 謁見室が、静まり返った。

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