第52話 33話閑話・エリオットside

※33話までのエリオット視点のお話です。


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 セシリー・クラムという特待生のことは把握していた。


 貴族学園に特待生制度があるのは、慈善活動ではない。平民の中から優秀な者を集めて、国政または領政に起用するためである。こういう言い方をすると聞こえは良いが、その用途・・は様々だ。貴族社会に巧みに取り入り、栄光を掴んだ者もいれば、貴族に良いように消費され、ゴミ同然に打ち捨てられる者もいる。だが平民は、そんな貴族社会の現実と特待生の末路を知らぬまま、より良い生活を求めて、多くの者が狭き門に挑む。


 毎年数名が選りすぐられる特待生は、学園生活の中で貴族に値踏みをされ、本人の知らぬうちに競り落とされる。最初はハーミット男爵家が彼女を求めた。かの家は、男爵家とはいえ、王家や侯爵家との繋がりが深い。当初落札先はハーミット家で決まりとされていたが、何があったのか、しばらくしてハーミット家は彼女から興味を失った。だが、依然王太子殿下や宰相の子息などが関心を示していたため、各勢力は様子見を続けた。


 そのうち、ひょんなことからアクロイド子爵令嬢アリスたちとパーティーを組み、魔王討伐という途方もない目標に向かって、準備を進めることとなった。正直、魔王云々うんぬんに関しては、あまりにも突拍子のない話に半信半疑だった。それよりも、彼女らと共に迷宮に潜ることにより、デイモン様と私は、常人では到達し得ない力を手にすることとなった。アリス嬢には感謝の念に絶えない。


 その魔王討伐の一環として、例の特待生、セシリー・クラムをパーティーに勧誘することとなった。当初は彼女も貴族家からのオファーに戸惑っていたが、アリス嬢とブリジット嬢の二人が、あっという間に我々の輪に取り込んだ。


 その際、彼女の身柄を改めて調査。学業の傍ら、わずかな給金で給仕の仕事に就いていたが、そこは裏社会の経営する酒場であった。そして、いずれ教会の聖職者に、慰みものとして売られることになっていたようだ。デイモン様と協議して、すぐさまセシリー嬢をダッシュウッド家のもとに保護することにした。各貴族家、とりわけ彼女の出身領の伯爵家が、ここぞとばかりに吹っかけて来たが、諜報に強いダッシュウッドは、いくつかの情報と引き換えに、無事彼女を獲得した。当然、例の教会関係者も、同じ要領で黙らせた。弱みに付け込んで脅した、というと聞こえは悪いが、情報とは武器であり、財産である。これがまさに、貴族社会での本来の「情報」の使い方というものだ。


 彼女を仲間に入れたことは、まさに正解であった。彼女の覚えるスキルは、想像を超えて有用であり、最終的に魔王復活阻止において、必要不可欠であった。地中の神殿で、他のメンバーも一斉に宝玉に攻撃を加えたのであるが、彼女のスキルの他は、傷ひとつ付けることが出来なかった。




 魔王討伐が終わった後も、私たちは冒険者活動を続けた。もちろん、冒険者としての活動を続けたいという気持ちに嘘はなかったが、実際のところ、あるじのデイモン様も私も、ダッシュウッド家を離れるわけにはいかない。パーティーを組み続ける一番の目的は、彼女らをそれとなくダッシュウッド家に留め、引き入れることであった。もっとも、デイモン様のお心には他の思惑ブリジットがあったようだが。


 そんな中、闇のダンジョンの攻略中に、何を思ったか、セシリー嬢が私に執着するようになった。止むを得ずドレスを装備する羽目になったのだが、男のドレス姿のどこに、執着を生む要素があるのか。訳も分からないまま、彼女の猛烈な接近を受け、私は人生で一番困惑した。目の肥えた教会の幹部が目をつけるほどの美少女である。男なら誰でも激しく情欲を揺さぶられるだろう。


 紆余曲折を経て、ダッシュウッド家から彼女と私の婚約が発表された。私の方には異を唱える理由はないのだが、彼女が無邪気に喜んでいたのが理解できない。自分は子爵家の次男で、兄が家督を継げば、平民になるだろう。彼女には貴族学園で首席を守る才能があり、美貌もある。希少な光属性であり、有用なスキルを持ち、晴れて貴族家の養女となった。彼女の前途には、数え切れないほどの選択肢があるのだ。他に良い縁談があれば、そちらに移ったほうがいい。だからこうして公衆の面前で、自分と距離を詰めるのは、やめた方がいいと。だが彼女は「やだエリオット様、私もともと平民ですよ?」と笑って、聞き入れなかった。


 その後、彼女の前世の秘密と、真摯な告白を受けて、晴れて正式に付き合うこととなった。戯れではなく、自分のことを心から慕ってくれた上での告白に、一生をかけて大切にしようと心に決めた。ただ、時折暴走して一線を越えようとしてくることには、手を焼いた。貴族の女性の貞節や純潔は、何よりも重視される。血統こそが貴族の貴族たる所以である。稀に奔放な者もいるが、血統の正当性を疑われるようなことがあってはならない。


 本音を言うなら、必死で我慢している私の身にもなって欲しい。




 男女の付き合いが始まったとはいえ、学園の中で出来ることは限られている。私たちは、もっぱら図書室に通い詰め、共に勉強をすることになった。最初は彼女の方から、「勉強を教えて欲しい」という名目で図書室に連れ出されたのが始まりだったが、彼女が自分の正体を明かしてからは、お互いに得意な分野を教え合うことが目的となった。私は、貴族社会の仕組みや力学を。彼女は、以前の人生で得た知識を。大っぴらに話せることではないので、図書室の片隅で、ひっそりと。アリス嬢からは、


「図書室デートかよ!」


 と揶揄されたが、デートなんてものではなかった。私は彼女かれの知識を夢中になってむさぼった。我々が学園で学んでいるものは、彼らの世界の学問の、ほんのさわりに過ぎなかった。物理、化学、地学、数学、経済や社会科学。「専門じゃないけど」と前置きしながら、わかりやすく噛み砕いて説明してくれる。彼女かれは紛れもなく、特待生の枠を超えた天才だった。アリス嬢の持つ知識も、この世界の力学を塗り替える超機密情報であるが、彼女かれの情報もまた、それに劣らぬ革命だった。正直、彼女を獲得するために、ダッシュウッドは重要なカードを切ったのだが、そんなものとは比較にならない、黄金にも勝る価値。安い買い物だった。


 ユウキセシリーによれば、彼らの元いた世界には、属性やスキルなどは存在しないものの、それを補って余りある機械文明が進んでいるらしい。そして王政や貴族政治はほとんど廃止され、平民が民主主義で国家を運営している。平民にも学問の門戸は等しく開かれ、彼が持っているような知識は、誰もが学び、身につけることが可能だという。




「そんなの嘘だよエリオットうじ。コイツ上級国民だよ!」


 アリス嬢が吠えた。


「俺、上級国民じゃないですぅ〜。奨学金とバイトでやってましたぁ〜」


 すかさずユウキセシリーが応戦する。


 アリス嬢によれば、彼らの住んでいた国は、人口が一億を数え、仮に人間が百歳まで生きるとすると、同じ年齢の者が百万人。


「裕貴くんの大学って、帝都工科大でしょ。そのレベルの大学、百万人のうち、千人も入れないんだよ」


「ちょ、俺の学部そんなアタマ良くないっスよ!」


 学部によってヘンサチが違うのだ、ということをしきりに説明していたが、要するに彼は、前世でも今世でも、同じように狭き門を突破し、働きながら学問を修める、ということをやっていたようだ。あとは、理系が政治経済まで詳しく語れるのがおかしい、だとか、共通テストの範囲程度しか、などと訳のわからない口論を続けるので、図書室では静粛に、と執り成すと、アリス嬢は口を抑えて周りを見回しながら、お目当ての本を借り、去っていった。


 アリス嬢が去った後、ユウキは「自分はそんなに優秀ではない」と慌てて弁明をしてきた。とはいえ、彼女かれはかの世界においても、ほんの一握りのエリートであった、ということは理解できた。




「ユウキ、ヘンサチとは」


 気になった単語について聞いてみると、彼は「ああ、それね」と、簡単な概要から実際の式まで、スラスラとノートに書き、詳しく説明してくれた。彼は、持っている知識が豊富なだけでなく、それらをわかりやすく説明することに、非常に長けている。素直に賞賛すると、


「俺、家庭教師カテキョのバイトしてたから」


 と照れながら答えた。彼らの言う大学とは、貴族学園の先の研究機関のようなところで、実に国民の6割程度が進学するという。その熾烈な受験戦争のため、大学生に人気の仕事の一つが、家庭教師なのだそうだ。なるほど、貴族の世界においても、優秀な者は、家庭教師の職に就くことがある。


「ほら、俺、よくエリオットくらいの子を教えてたからさ」


 同じ年の美しい少女の姿をしたユウキが、教え子の私に、慈しむような目で、微笑んだ。




 この時まで、私はユウキのことを、異性として慕い、大切に思っていた。同時に、異世界の貴重な学問を授けてくれる師として、尊敬もしていた。だが、まさにこの瞬間、私は恋に落ちた、と思う。心臓をギュッと掴まれたような強い衝撃だった。美少女の彼女にではなく、兄のような教師のような、自分を導くユウキに。


 ユウキは、私のことをいつしか「男としても女としても惹かれている」と言ったが、その言葉の意味を理解した。私には男を恋愛対象とする嗜好は持ち合わせていないが、思慕と尊敬が化学変化を起こした結果、私は確かにセシリーではなく、ユウキに心奪われている。何ということだ。


 顔を赤らめて背ける私に、ユウキは不思議そうな顔をしたが、「もう、エリ君は可愛いんだからぁ♡」と言って、髪を撫でた。やめてくれ。今、新しい扉が開いて、自分でもかつてないほど混乱しているのだ。


 この日から、への欲望を抑えることは、これまで以上に困難を極めた。彼女・・としての彼は、相変わらず私への思慕を隠さないが、としての彼に、強烈な情欲を抱いていると知ったら、彼はどう思うだろう。




 学園に入学した時には、いずれダッシュウッド子爵となるデイモン様の秘書官となること、あるじを助けて恩に報いること、それしか考えていなかった。期待はずれとされた自分の属性を、努力でカバーするべく、何とかしようと必死だった。いずれ平民になる自分に、縁談など望んでいなかった。それがまさか、S級冒険者をも凌ぐ力を手に入れ、美貌の婚約者を手に入れ、しかもその、男としての彼に惹かれるなど、思ってもみなかった。


「あなたが私のドレス姿を評価してくださったのも、なんとなく分かる気がします。その…いけないことをしているようで…」


 いつかそう彼に告げると、彼は一瞬目を丸くして、その後「だろ」と嬉しそうに体を寄せた。

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