閑話集

第49話 閑話・新年節の祝日

 ダダダダダダダ、バタン。


 ダッシュウッド城の一角、使用人などが暮らす宿舎棟で、廊下を慌ただしく走る音が聞こえる。緊急時には致し方ないとして、貴族の館で響いて良い音ではない。その騒音を立てた人物もまた、普段そのような粗相を犯すような者ではないのだが


「助けてください!」


 そのまま政務棟を駆け抜け、執務室まで転がり込む。着衣は著しく乱れ、シャツのボタンは無惨に引きちぎられていた。これが女性ならば、すわ乱暴かと肝を冷やすところである。


「エリオット、一体どうしたのだ」


 部屋のあるじは、ノックもせずに飛び込んできた部下に声を掛ける。だが大体予測はついている。この男が血相を変えて逃げ込んでくるというと、その原因は一つしかないことを。エリオットは内鍵を掛け、補助錠を掛け、応接用のソファーなどを扉の前に移動させているが、やがて部屋の前で鈴を鳴らすような可憐な声が響いた。


「エリくん?ここにいるのね?」


「ヒッ…!」


 かすかに金属音がしたかと思うと、内鍵はクルリと回転し、補助錠もそれに続いた。まるで一度解いたことのある知恵の輪のようだ。細い腕のどこにそんな膂力りょりょくがあるのか、ソファーをひょいと持ち上げては元にあった場所に戻す。現状復帰までに約30秒。


「も〜、デイモン様のお部屋でかくれんぼしちゃダメだぞッ☆」


 満面の笑みで近づいてくる、絶世の美少女。その手には、見慣れぬ物体があった。




 今日は新年節の祝日。政務棟は一部の常駐部門を残してほぼ無人である。休日ゆえ、本来ならば部屋のあるじであるデイモンも、部下のエリオットも、出勤してくる必要はないのだが、なぜか他のパーティーメンバーも、何だかんだと集まってくる。ある者は休暇であっても仕事を片付けておきたいから。ある者はその手伝いに。そしてある者は、暇だから。結局それから10分もしないうちに、いつしかフルメンバーが揃っていた。


 部屋の隅で、エリオットが体育座りで震えている。そこに上着を掛けてやる上司デイモン。後からやってきたブリジットが手際よくお茶を用意し、アリスとセシリーが真っ先にお茶を楽しむ。いつもの光景である。いつもと違うのは


「セシリー嬢。その、いつものいとなみだとは思うのだが、流石にそれは無いのではないか…」


「えー、だって閣下、今年はウサギ年ですよ?」


 そう、セシリーの手にあった物体、それはウサ耳カチューシャに網タイツ、そして尻尾つきのきわどいレオタードであった。


「ウサギ年とは何なのだ」


「裕貴くん、器用だよねぇ。ちゃんと襟とカフスも作ってある」


「徹夜で作らされた姉貴のコスプレ衣装…あの時の苦労は、この時のためにあったんス…」


 どこか遠くを見ながらつぶやいている。


「でもエリオットうじがどんなに美少女でもさぁ、男子にレオタードはちょっとアレだよぉ」


「だからパニエスカートまで用意したのに」


「配慮の方向が違うっスよ…」


 ブリジットがお茶をすすりながらツッコむ。




 コンコンコン、ガチャ


「おお、揃っておったか。皆に新年の言祝ことほぎを…いかがした?」


 グロリア様が晴れやかな笑顔で執務室を訪ねて来られた。彼女は実家や王都などを飛び回っているため、領都を空けることが多いが、滞在する間はいつも執務室に遊びに来る。そのまま応接セットに収まり、事のあらましを聞いて、「なるほどのう」と。


「セシリーよ。こういうことは、双方の合意が必要じゃ。相手があのように嫌がっていることを、無理強いしてはならぬぞえ」


「はい…グロリア様」


 さすがのセシリーも、シュンとしている。


「そしてエリオットよ。お主が忌避感を感じるものは仕方ないが、何もそれを着て往来に出よということではなかろう?二人で密やかな秘め事を共有するのも、夫婦関係を深めるコツじゃ」


 グロリア様がいたずらっぽくウィンクを送る。彼女が言うと、秘め事という単語が更になまめかしい。エリオットは真っ赤だ。


「さあ、その様子では差し支えるであろう。部屋に戻って身支度を整えてまいれ。デイモン」


「心得ました、母上」


 デイモンに付き添われて、エリオットは一旦自室へ戻って行った。




「セシリーよ、こういうものは、段階を踏むのが大事なのじゃ」


「グロリア様…!」


「よいか、まずはカチューシャ。そして誰も見ていないからと、下着から替えさせる。少しずつ、少しずつじゃ」


「分かってらっしゃる…!」


 アリスが目を輝かせている。


「なぁに、時間はたっぷりあるのじゃ。従順に躾けて行く過程もまた、オツなものよ」


 そうして艶やかな唇に、舌をチラリと這わせる。ぞっとするほどの妖艶さであった。辺境伯もそうやって従順に躾けられたのだ。この人が義母になるのだということに、ブリジットは目眩を覚えた。


「して、その衣装じゃが」


 エリオットねんねには、まだ早いのであろう?ということで、グロリア様がお持ち帰りになった。「今年は楽しい一年になりそうじゃ」とのことである。どっちが着るのか、それは誰も聞く勇気がなかった。




※昨年の新年向け小話です。今年向けに書き直そうかと思いましたが、ドラゴンはバニーには勝てなかった。ご笑納ください。

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