第7話 花冠

 毎日やることがあるというのは素晴らしい。賢者には弟子がいたが、弟子がいないときは何もやることがなかった。家にある本はすべて読み終えてしまったし、おぼつかない足では街に買いに行くこともできない。毎日とにかく退屈だった。だから――

「王立魔道学院入学を目指して魔法の授業をしようと思うわ」

 カージナルの言葉は、賢者の知的好奇心と知識欲を駆り立てるには充分だった。

「王立魔道学院には、入学資格を取得するための試験と、入学のための試験があるの。資格試験は比較的には楽だけど、入学試験は厳しいものよ。座学に加えて実技も高い能力が求められるわ」

 完全実力主義の評価に相応しく、入学には確かな実力を求められるのだろう。その時点で困難を感じる者もいるだろうが、入学したあともそれを継続することに加え向上しなければならないとすれば、勉強の時点で挫折する若者も存在することだろう。

「正確な授業のために、魔力値を計測させてほしいんだけど……」

 伺うようにシアンを見つめるカージナルに、スマルトが呆れたように口を開いた。

「魔力値なら記録を見せただろ」

「あの記録は三ヶ月前のものでしょ! いま、現在、ナウの魔力値を知りたいの!」

「まだ王立魔道学院の入学を目指すかどうかは決まっていない。父の判断次第だ」

「んもう……。シアンちゃんはどう思うかしら?」

「うーん……魔法の勉強はしたいですが、父様の判断を待つことにします」

 カージナルは不満げに息をついた。

「わかったわ。とりあえず、三ヶ月前の記録に合わせた授業を組むわ。計測が終わったらすぐに知らせなさいよね」

 噛み付くように言うカージナルに、スマルトは肩をすくめる。カージナルは気を取り直すように、でも、と続けた。

「家長の許可が降りるのを待っているだけではもったいないわ。素養を伸ばさないとね」

 体力を鍛えるのも魔力を増やすのも「素養」にかかっている。素養が最低値のままでは、身につけた能力ははりぼてのようなものである。上手く定着せず、実力を充分に発揮することができない。素養を伸ばすことで、能力向上の上がり幅を広げるのだ。

「ああ……シアンちゃんの能力値がどんな成長を見せてくれるのか楽しみだわ……」

 恍惚の表情を浮かべるカージナルの期待に応えることができるといいのだが、とシアンは考える。きっとカージナルの指南は的確なもので、それをどう吸収して噛み砕くかということはシアンの能力にかかっている。期待外れで失望させるようなことがなければいいのだが。

「スマルトと今後の話をするから、シアンちゃんは適当に休憩してちょうだい」

「はい」

 この屋敷で最もシアンを溺愛しているスマルトなら、シアンの能力はもちろん把握しているだろう。それに加え、実力を伸ばすためにどういった教育をすればいいかも承知しているかもしれない。シアンが好む勉強も把握しているとすれば、最適な授業を編み出してくれるだろう。ここは彼らに任せてもよさそうだ。

 中庭に出ると、庭師の姿はなかった。花壇の花々を眺め、ハーブを観察し、木の実の棚を流し見する。中には侍女たちが趣味で育てている植物もあり、この庭で採取した材料を加工して使用した料理は絶品だ。昼食の時間が待ち遠しい。

 庭の隅に、芝生が敷き詰められた一角があった。ちょうど木の葉の影ができており、横になると風が涼やかで清々しい。心地良い微睡まどろみに身を委ね、木漏れ日に揺れる葉の影を感じていた。


 賢者がふと目を開くと、シアンは色とりどりの花を膝に乗せていた。小さな手で器用に茎を編んでいる。

「ほう、花冠かかんか。上手なもんじゃのう」

「うん……おじいさんにあげるね」

「ほお、わしに?」

「チリアンをやっつけてくれたお礼だよ」

「そうか、そうか」

 元来のシアンであれば、チリアン・オーキッドの手を跳ね除けることはできなかっただろう。あれだけ心が怯えていた。シアンはきっと、再び悪意に倒れていたはずだ。

「おじいさんがいたら、きっと怖いことなんて何もないよね」

「うむ、うむ。してほしいことがあったら、遠慮なく言うのじゃぞ。可能な限りで叶えよう」

「……僕、学校に行きたい。怖いことが何もない学校がいい」

「うむ、そうじゃな。怖がらずに済む世界を、ともに作ろう」

「うん……」

「シアン?」

 呼びかける声に顔を上げると、アズールが不思議そうな表情で歩み寄って来る。

「誰と話していたんだ?」

「独り言です」

 微笑んで見せたシアンに、ふうん、とアズールは首を傾げた。それでも追及するつもりはないようで、シアンは花冠作りを再開する。シアンが集めて来た花は少々多く、シアンの頭に被せるには大きい花冠になりそうだ。

「スマルトは?」

「カージナルさんとお話ししています」

「シアンをひとりで放っておくなんて……」

 アズールは多少の怒りとともに顔をしかめる。これにはシアンも苦笑を禁じ得なかった。

「屋敷の敷地内にいるんですから、大丈夫ですよ。兄様たちは、心配性が過ぎるんじゃないですか?」

「いつどこで誰が狙っているかわからないだろう? 僕たちが目を離した隙に……」

 シアンはサルビア家を脅すための人質として最適かもしれない。賢者の魂が介入する前であれば、抵抗することは一切できなかっただろう。そしてサルビア家にとってシアンは“弱み”である。シアンを見捨てることは不可能で、悪意の言いなりになるしかないだろう。賢者が転生する前は、である。

「僕だって抵抗くらいできます。それに、近くに誰かしらいるはずですから」

 中庭のどこかに庭師が複数人いるし、廊下の大窓の付近には掃除をする侍女がいるはず。大声を出すことができれば、誰かしら救助に来るだろう。

「何かあったら、大声で僕を呼ぶんだよ。シアンも魔法力を強化しておいてくれ」

「はは……。どうしてそこまで僕を心配してるんですか?」

「シアンは昔から何かと我慢してしまうからな。僕たちにはなんでも話してくれていいのに、お前はいつも口を噤んでしまう。だから、お前が苦しい思いをしていないか心配だ」

 シアンは心配をかけまいと口を噤んでいたのだろう。それが逆効果であることは気付いていなかったようだ。

「大丈夫です。何かあれば、すぐに兄様たちを頼ります」

「そうしてくれ。隠し事もなしだ」

「はい」

 シアンは微笑んで見せながら、賢者は心の中で呟く。

(九十八のじじいのことは、まだしばらく秘密じゃがのう……)



   *  *  *



 今日の昼食も絶品だった。こんなに美味しい料理はいままでに食べたことがない。なんでも美味しく感じるのは料理人の手腕かシアンの味覚の豊かさか、どちらにしても賢者の口内は天国のようだった。

 食後の紅茶を嗜んだあと、シアンはブルーとともにピアノホールに向かった。今日からピアノのレッスンが行われる。未知の楽器に触れることは、賢者にとってとても楽しみだった。

「はあい、シアンちゃん、ブルーちゃん」

 ピアノホールに入ったシアンとブルーに、カージナルが明るく手を振る。他には誰もいない。

「カージナルさんがピアノを教えてくれるんですか?」

「ええ、そうよ。アタシってばほんと多才だわ〜」

 なるほど、と賢者は心の中で呟く。カージナルのような万能型を雇って、屋敷への出入りを許可する者を厳選しているのだ。爵位のある家であることと、シアンを不安にさせないためだろう。こうしてスマルトも平然としていれば、シアンが心を開く日も遠くないはずだ。

「あなたたちの講師に認められて光栄だわ。さっそく始めましょ。アタシのレッスンは厳しいわよ〜」

 ブルーの希望により、シアンが先にレッスンを受けることになった。ブルーがカージナルの指導を受けるのは初めてのようで、自信がないことも相俟って、どういったレッスンになるか先に見ておきたかったようだ。

 カージナルが用意したのは子ども用の初級者向けの楽譜だった。鍵盤の前で座る位置、楽譜の読み方、ドレミの運指、シャープとフラットの違い、簡単な記号の説明などが行われた。特に難しいと感じることもなく、この調子なら一曲を覚える日もそう遠くないだろう。

「シアンちゃんったら、とっても筋が良いわ! はあ……これからの成長が楽しみだわ……」

 カージナルは夢見心地だ。シアンが難易度の高い曲を弾けるようになれば、卒倒してしまうのではないだろうか。

「さ、お次はブルーちゃんね。一緒に楽しみましょ」

 ブルーは不安そうな表情だったが、カージナルの一言で緊張が解けたようだった。音楽が楽しむためのものであることは賢者も同意する。演奏する者も聴く者も楽しめなければ意味がない。

 初めはおぼつかなかったブルーの指も、鍵盤を叩く感触が次第に心地良くなっているようだった。カージナルはシアンとの能力差を考慮したようで、楽譜の説明よりドレミの運指に重点を置いているように思えた。

「う〜ん、良い調子! きっとシアンちゃんと良い勝負になるわ」

「ほんと!?」

「ええ。サルビア家は優秀な血筋だから、吸収したらしただけ能力が伸びる家系と言えるわ。ああ……あなたたちの成長が楽しみよ。アタシの手腕次第で国でもトップクラスの実力が身につくはずだわ。何かしらの称号が与えられる可能性だってある……。そうなれば、アタシも鼻高々よ。ああ、ほんとに楽しみだわ……!」

 自分に酔い痴れるように捲し立てるカージナルに、スマルトが呆れた様子で溜め息を落とした。

「終わったならさっさと帰れ。シアンは仕事、ブルーには勉強が待っている」

「んもう、釣れないお・と・こ! じゃあ、シアンちゃん、ブルーちゃん、また次回ね。見送りは不要よ〜」

 にこやかに微笑んで、カージナルはピアノホールをあとにする。その都度でこの屋敷に出入りして、実に忙しい人である。

「楽しかったわ!」ブルーが興奮気味に言う。「シアンと一緒なら頑張れる気がするわ」

「うん。一緒に上手くなろう」

「うん!」

 ブルーもピアノが気に入ったようでよかった、とシアンは考える。シアンに釣られてレッスンを始めたとしても、楽しめなければ長続きしないどころか嫌いになる可能性もある。そうなればレッスンは苦痛を伴うことだっただろう。そもそも、カージナルが下手なレッスンをするとは思わないが。


 スマルトたちが仕事をする時間は決まっており、定時になるとキリのいいところで仕事を切り上げ、全員なんとなくリビングに集まって来る。スマルトがシアンを連れて来るため、リビングに行けばシアンに会えると考えているのだろう。

「ピアノの練習の音は健康に良いわね」

 にこやかに言うネイビーに、アズールが同意した。

 ピアノホールなのに防音設備ではないようだ、とシアンは考える。元々シアンにピアノを習わせるつもりだったのか、ピアノの音を聴くのが心地良いと感じるのか、そのどちらでもあるのだろう。

「本当にそうだわ」セレストが頷く。「シアンとブルーの成長過程を見守れるなんて素敵ね……また寿命が延びてしまうわ」

 賢者は、長生きしても良いことなどひとつもないと思っていた。これまでの碌でもない人生がそう思わせる。だが、この家族には長生きしてほしいと思った。そのためには、シアンも長生きする必要があるだろう。この素晴らしい家族の人生で自分もともに生きることができれば、それはとても良いことのように思えた。




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